第三部(後編)
七章・幻日(1)
翌日から早速、対“
「端的に言うなら、敵は“海”よ」
黒板に“蒼黒=海”と書き込む彼女。どうやっているのかチョークだけが空中に浮かび上がり、動いていた。当人は居並ぶ生徒達を見据えたまま、黒板を見てもいないのに。
「あの」
護衛隊士が手を挙げる。この講義の最初で「質問があれば受け付ける。ただし必ず挙手すること」と注意した月華は軽く頷き、促す。
「どうぞ」
「ありがとうございます。つまり、敵は変異種や水棲生物型の“竜”ではないという意味でしょうか?」
「半分正解」
手に持ったポインターの先で彼を指す月華。それから、すいっとその先端を自分の方に引き戻し「半分は不正解」と微笑みながら付け加えた。
「変異種や竜とも戦うことになる。強力な竜が出るかどうかは運次第だけれど、いずれにせよ彼等は蒼黒の尖兵に過ぎない」
「尖兵……?」
「先触れ、ですか……竜までもが」
「そこ、質問の前に挙手」
「すいません」
別の隊士を窘め、それから改めて彼の質問にも答えた。
「北でも一部の方々は知る事実。なので、王太女殿下ならすでにご存知かもしれないわね。蒼黒とは複数の要因が重なって生まれた怪異。一つは当然、魔素」
ただし、蒼黒そのものは記憶災害ではない。
「広義でならそうだと言えるかもしれないけれど、あれの実態は妄念。近海の海水と結合した魔素に、数多の死者の念が一体化して膨れ上がった、いわば特大の怨霊よ」
「怨霊……?」
眉をひそめる一同。魔素の研究が進んだ北日本では、幽霊とは魔素の中の記憶が一時的に再現された小規模記憶災害だと考えられ、その説が一般化しつつある。
月華もそれは知っている。彼女は全く否定しない。実際、魔素によって再現された
しかし浅い。たかだかその程度で“霊魂”の謎を解き明かしたと思ってもらっては困る。物質文明にどっぷり浸かった者達の悪い癖だ。科学的に有力な仮説が唱えられると、ロクな検証もしないうちに答えを決めつけてしまう。他の可能性を探ろうともしない。
「貴方達の中には霊魂の実在を信じていない人も多いでしょうけれど、時間が惜しいから議論に発展させるのは勘弁してちょうだい。今から私が話すことを信じるか否かの判断も個々に委ねましょう。というわけで、とりあえずは大人しく聞いて」
「さっきも言ったように、蒼黒は死者の念が魔素と結びついたことで生まれた怪異。あの崩界の日、大阪は巨大な津波に襲われたの。彗星の衝突を免れ、もう安心だと思い込んでいた府民は地下都市から出てしまい、大勢が犠牲になった」
──反面、地下都市が受けたダメージは少なかった。大半の人間が地上に上がった結果、記憶災害の発生率は逆に低下したからだ。
数万人が生き残り、さらに周辺地域の生存者達も集まって来て、一時的に地下都市大阪の人口は現在の倍の二〇万人以上にまで膨れ上がった。
「当時の暮らしの悲惨さは……まあ、語るまでもないでしょう。北も南も似たようなものだったはずだしね」
それでも人々は逞しく、魔素に汚染された環境に順応し、少しずつ生き延びる術を身に着けていった。
すると当然、数年後には長い地下生活に辟易し、地上への帰還を望む声も上がるようになった。
東京壊滅後、生き残った西日本の地下都市が共同で結成した新日本政府は、彼等に地上を開拓する権利を与えて送り出した。実際のところは余計な諍いを起こす連中を追い出し、口減らしをしようという目論みだったのだが、そんなことは開拓団の面々も理解していた。彼等は、それでもなお故郷の復興に一縷の望みを賭けた。
そして散った。
「私が知る限り最初に“蒼黒”が襲来したのは崩界の日から七年後。地震等の前兆は全く無く、突如海面が盛り上がり陸地へ押し寄せ、地上に新たな生活拠点を築こうとしていた人々を飲み込んだ。
私は昔から霊の類と縁があってね、報告を受けて対処のため地上へ上がった時、すぐにあれが無数の霊魂の集合体で巨大な悪霊と化していることに気が付いた」
そこで月華は結界を張り、地下都市への侵入を阻むことにした。地下と地上を繋ぐ四基のエレベーターシャフト、その入口さえ塞いでしまえば敵は入って来られない。以降数度の襲来を経て蒼黒の活動に一定の周期があることも判明した。なら危険な時期に誰も海へ近付けさせず守りを固めておけば、それで済む。そんな風に高を括ってしまった。
──ところが、ここで敵は予想外の行動に出る。本能か、あるいは取り込まれた者達の知性が働いた結果かわからないが、標的を変え、他の地下都市を襲い始めた。より多くの死者を飲み込み、さらに強大な怨霊と化してしまった。
「知っての通り、私は強い。貴方達の誇る初代王・
そんな彼女でも遠く離れた地下都市を大阪と同時に守ることはできなかった。もちろん努力はしたが結局、他の地下都市は蒼黒によってことごとく滅ぼされた。今も残っているのは大阪と京都の二ヵ所だけ。
「貴方達、ここへは日本海側を回って来たからまだ知らないでしょう? こっちの地方は地上もね、北以上に大きく変化してしまっているのよ。たとえば和歌山は、もはや欠片も存在しない」
「え?」
「奈良の半分と三重の三分の一も同じ。大阪を攻撃するのに邪魔だったから、蒼黒が陸地ごと飲み込んで削り取ってしまったわ」
──チョークが、かつての日本地図の一部を黒板に描く。大阪・京都の南に張り出していた陸地。その一部が、やはり宙に浮かぶ黒板消しによって消去された。北の一同は顔を青ざめさせる。
「あの部分を……削ったってのか、波が……」
「地下都市を破壊された上、土地ごと海中に引きずり込まれて……」
「そんな無茶な。シルバーホーンだって、そこまではできないでしょう」
【できなくはない】
軽んじられたことに抗議する彼。しかし容易い話でないことも事実だ。だからアサヒの脳内でだけ言い返すに留める。
月華は、まるで彼の思念を聞き取ったかのように一瞥して、説明を再開する。
「昨日言ったように、現在この地下都市が露出した状態なのも、度重なる襲撃により少しずつ頭上の岩盤を浸食された結果よ。そして、あまりに強大になった奴の力は、今や私の結界まで打ち砕こうとしている」
──二五〇年の時をかけ、蒼黒の力は完全に彼女を上回った。これまでにも様々な手段で結界の強化を試みてきたが、もはや試行錯誤でどうにかなるレベルではない。
南日本の実質的な最後の砦。その大阪が瀬戸際に立たされている。
「だから“螺旋の人”アサヒ、貴方の力が必要」
「……」
アサヒも、流石に「俺の?」なんて間抜けな質問は返さなかった。秋田の会談の席でも言われたことである。自分の力が必要になると言うなら、いくらでも貸そう。南日本にはサルベージしてもらった恩があるし、そんなことを抜きにしても、窮地に立たされている人々を見捨てられない。
しかし当然の疑問は脳裏をよぎる。手を挙げ、そちらを訊ねた。
「あの、具体的には何をすればいいんですか?」
ここに来るまで、シルバーホーンのような怪物の類と戦うのだと思っていたのに、実際には海そのものが相手と来た。そんなものどうやって倒したらいいかわからない。かつての東京や福島での戦いのように、全力を出せば街一つ消し飛ぶような攻撃も放てる。でも、海なんてものは規模が桁違いだ。
彼の言葉に月華は「何も海をぶっ飛ばせとは言ってないわ」と苦笑して、黒板に一本の横線を引いた。
続けて、垂直に縦線を引き、交差させる。
「貴方には深海へ潜って、海底にあるものを破壊して来て欲しい」
「もの?」
「まだ、それが何なのかはわからない。でも、おおまかな位置は掴めている。沖合へ六〇kmほど南下した海域。かつては和歌山の伊那郡があった場所。そこに蒼黒の核となっている何か、数多の霊を取り込み、彼等の怨念と魔素を利用して海を操っている元凶が存在するはず」
「はずって、曖昧な物言いね」
朱璃の指摘に今度は肩をすくめてみせた。
「もうしわけないけれど、私達でもそこまで特定するのが精一杯。ただ、少なくともそのあたりに元凶がいるという情報だけは信じていいわ。
「桜花さん?」
予想外の名前が出て、思わず腰を浮かせるアサヒ。
隣に座る朱璃は、その名を聞いた瞬間、彼の中の疑念が晴れたことに気付いた。今なおアサヒにとって“桜花”が特別な存在だからだろう。名前が出ただけで月華の曖昧な話を信じさせるほどに。
「作戦はこうよ。貴方は単独で沖へ向かい、その間、残った私達は全力で大阪を防衛する。シンプルだけれど、これが一番効果的じゃない?」
「なるほど」
海へ潜るだけなら月華やカトリーヌにもできるはずだ。彼女達には霊力障壁と飛翔術がある。
でも今までは戦力が足りず、都市の防衛を優先せねばならなかった。だから伊東 旭の助力を欲していたのだと、納得するアサヒ。自分ならさらに再生能力があるので、単独で敵の懐に飛び込んでも生還率は高い。実際にこれがベストな案に思える。
彼が頷いたのを確かめ、月華は朱璃にも訊ねた。
「どう思われます? 殿下」
「……同意する」
やはり頷く朱璃。こちらは月華の説明を鵜呑みにしたわけではない。だが、仮に彼女の説明が全て事実だとした場合、たしかに最も合理的な作戦である。
アサヒの力は強すぎる。それゆえ全力を出せば周囲の味方も巻き込むだろう。なら彼という駒は他から離して配置すべき。残る全戦力をもって籠城戦を行い、時間を稼ぎ、その間に元凶を叩かせるという作戦は実際理に適っている。
「でも、独自の調査はさせてもらうわ。アンタの話の裏を取りたいから各種資料の閲覧と市民への聴取を許可して。それから地上の現状も確かめておきたい」
「もちろん全面的に協力します。話を聞きたい人間がいたら誰でも指名して。地上へ出るなら護衛もお貸しするわ」
「不要。自前の戦力で対処できる」
「そう? まあ、好きにしてちょうだい」
強情な子を眺めるように、余裕の笑みを湛える月華。北日本の人間を自由に行動させることに対し、全く危機感を抱いていない。鼻につく態度である。
とはいえ好都合なのもまた事実。言質は取れた。
「なら、好きにさせてもらう」
「ええ、でも気を付けてね殿下。貴女に死んでもらっては困るの。こちらは福島と仙台が欲しい。そのために貴女達に霊術を教え、無事北日本へ帰っていただく。最低でも御身にだけは無事でいてもらわなければ」
「当然。アタシだって霊術を学ぶために来たのだもの、無駄足にはしたくない」
「そう、わかっているなら結構です」
月華が了承し、朱璃が納得したことで講義は終了。解散となった。
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