六章・懐疑(4)

「……そう、ならそれでいい」

「は?」

 深夜にこんなところまで来ておいて、月華はあっさり引き下がる。まさか契約を反故にするつもり? 危惧した朱璃は起き上がり彼女を呼び止めた。

「ちょっと待って。霊術を教われないなら──」

「もちろん、教えるわ」

「は?」

 だったら今までの問答はなんだ? 霊術を教える上で気がかりなことができたと、そう言ったのに。

 月華は半分だけ振り返り、憐れむような視線を送る。

「教える分には問題無いの。貴女は賢い。まだ自覚できていないでしょうけど、才能にも恵まれている。私ほどではないにしても、かなり強い霊力の持ち主。センスも絶対に悪くない。きっとすぐに霊術を使いこなせる」

「だったら──」

「でも、それだけだわ」

「それだけ……?」

 言葉を遮られ、眉をひそめた朱璃に彼女は続けて吐き捨てる。

「思ったよりも、つまらない子だったわね。今の貴女では使いこなすまでが限界。霊術を新たな高みに引き上げることはできない。私が期待していたのはそれ。貴女なら霊術そのものをもっと進歩させられる。そう思ったから呼んだ。私の子供達の中で唯一梅花ばいか以上の才を秘めていた、あの子……桜花おうかのように」


 天王寺 桜花。東京でシルバーホーンの体内からアサヒをサルベージした術士達の一人。そして彼を守り、導き、忘れられない存在として心に焼き付いた存在。


「……彼女は何をしたの?」

「あの子には他の誰より優れた精神感応力があった。その才能を十二分に活かし、数々の新たな術を開発してくれたわ。そこの彼をサルベージできたのだって、桜花の才があったからこそ」

 悪いけど、と彼女は冷たく朱璃を見下す。

「長生きしているとね、色々見えてくるの。貴女のそれは自力で決着を付けなければ絶対に解決しない問題。だから私にも助けてあげられない」

 けれど、一つだけ付け加える。

「アドバイスはしてあげる。霊術の基本でもあるからしっかり覚えなさい。霊術にとって最も大事な要素は霊力でも術式でもない。信じること、ただそれだけ」

「それだけ……?」

 馬鹿な。ふざけてる。信じたからって何が変わると言うのか。そもそも何に対して信心を持てと? 神か、悪魔か、精霊か?

「人よ」

「人……?」

「貴女は人間でしょう。なら、まずは最も身近な存在から始めなさい。まあ、貴女の場合“竜”の方が近しいかもしれないけれど」

 悪戯っぽく笑った月華の視線は、再びアサヒへ注がれた。なんだこの女は? 初対面の時から思っていたが、話していると妙に腹が立つ。

「なんなのよアンタ?」


 思わず、考えていることがそのまま口をついて出た。

 すると童女姿の魔女は、完全に背を向け、退室しながら答える。


「魔法使い」

「は?」

「私の故郷では、霊術は魔法と呼ばれていたの。貴女達が使う疑似魔法とは異なる本物の魔法。それが当たり前の場所で生まれ育ったわ」


 だから知っていると言うのか?

 信じる心が大切だと。


「本音を言うと、まだ少し期待してるの。貴女に足りないものは“勇気”と言い換えてもいい。魔力と違って勇気は誰にでも持てる。誰もが引き出すことのできる大きな力。勇気さえあれば、貴女は“偉大な魔女”になれるでしょう。必ずね」

「勇気……」


 反芻した朱璃の脳裏に、一つの思い出が蘇った。

 無意識のうちに涙が頬を伝う。

 記憶力には自信がある。なのに、思い出したのは久しぶり。

 きっと恐れていたからだ。心が挫けてしまうことを。


「……まだ、あったのね。私の中にも、こんな感情」

 なんとなくわかりかけて来た。

 信じる心、それを持つ勇気が大切だという言葉の意味。

(本当、賢い子だこと)

 笑顔は見せないようにして、月華はそのまま部屋を出て行く。残された朱璃は、呑気に眠ったままのアサヒの隣に体を横たえ、もう一度寄り添った。

 彼の腕を枕に、胸に顔を埋め、息を吸い込む。男の体臭だ。当然、花のような良い香りとは思えない。でも悪くは無い。

「父さんを思い出す……」


 父の死後、母が育児放棄に陥り、怒ったマーカスの元に引き取られた。でも彼の家では、こんな風に一緒に眠ったことは無い。彼は父の代わりを必死に努めようとしてくれていたけれど、朱璃にとっては、あくまで友達だった。

 いや、友達でいてもらうことで自分を保っていたのだと思う。さっき気が付いた。父の死後、なるべく父との思い出を振り返らないようにしていたことに。あの悲しい別れの日の記憶以外、全てに蓋をして仕舞い込んだ。

 そうしなければ、こんな風には生きられなかったから。


「……ッ……」

 数年ぶりに声を殺して泣く朱璃。その傍らではアサヒが、気付かれないよう必死で寝たフリを続けている。目を覚ましたのはついさっきのことで、いったい何があったのか全くわからない。

 でも朱璃は、泣いている姿はまだ見せたくないと思う。そのくらいの察しはつく。


(いつかは、もっと素直に頼ってくれるかな……?)


 どうして朱璃を愛しているのか。何故愛するようになったのか。彼女の母に訊ねられたことがあった。

 あの時に答えた通り、些細なことがきっかけ。たった一つのささやかな出来事が自分の中の彼女に対するイメージを大きく塗り替えてしまった。

 だからきっと、いつかはと信じる。

 いつかは彼女も自分を愛してくれるだろうと。

 今はまだ、復讐に利用されているだけなのだとしても。


(俺は、ずっと傍にいるよ)


 寝返りを打つフリで左手で抱きしめると、泣き声が止まった。

 バレたかな? 内心冷や汗をかくアサヒ。

 でも、やがて寝息が聴こえて来た。

 瞼を開けて確認する。


(寝てる……)


 人間は疲れて、そして眠くなる。起きたらきっと、お腹も空いているだろう。

 福島の戦い以来、そんな当たり前の感覚を失ってしまった彼には、もうそれを想像することしかできない。

 彼女を愛する理由は、時々増える。今また一つ増えた。

 忘れてしまった感覚を目の前で見せてくれる彼女は、自分を“人”の域に留めてくれる大切な楔なのだと、今しがた気付いた。


(愛してる……本当に君のことが好きなんだ、朱璃)


 信じて欲しい。そう願いながらも口に出して言うことはできない。キスで足りないならどうしたら伝わる? 本当はわかっているのに踏み出せない。

 彼にもやはり、勇気が足りていないのだ。

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