四章・覚悟(3)

「彗星の?」

「そう……貴様等人間が名付けた名だ。あれは二五〇年前、この星に衝突すると目されていた彗星の正体。同じ宇宙のどこかにある魔素の大海で誕生した生命。直前で軌道を変え、月に落ちたのは偶然ではない。元々あちらが目当てだったのだ。あの瞬間、最後の微調整を行っただけの話」


 そして“ドロシー”は月へ落ちた。

 なんのために?


「奴は、帰ろうとしている」

「故郷へ……か」

「そうだ、宇宙の彼方のな。奴にも帰巣本能があるらしい。だからまず、この星の衛星を目指した。必要なエネルギー、膨大な量の魔素を得るために。しかし同時に弱ってもいた。こことは別の星で強敵と戦い、傷付き、瀕死の状態で辿り着いたのだ。そのせいで思わぬ事故が起きてしまった」


 ──ドロシーは静かに月へ降り立つつもりだった。ところがダメージのせいで一時的に意識を失い、そのまま超高速で衝突した。彼女は月の地表を穿って内部の“魔素の海”へ落下し、砕け散って膨大な量の魔素と混ざり合った。

 直後、衝撃により月面に生じた亀裂から噴出。より強い引力に引かれて流れ着いた先がどこだったかは、語るまでも無い。

 これが“崩界の日”の真相。あの惨劇は彗星“ドロシー”が、たった一つミスを犯したことによる事故だった。大量の魔素と同化して地球を汚染した彼女の“記憶”は、地球の環境では本来発生しえない災害を次々に再現し、一〇〇億の人口を瞬く間に一〇分の一にまで減少させた。


「付け加えると、あれが魔素を集積するのは帰還のためのエネルギーを欲するのと同時に、自らを完全な形で蘇らせようとしているからだ。この星全体に散った欠片を集め、本来の姿を取り戻すことが奴のもう一つの望み」

「だから“吸収能力”が重要なのね」

 大量の魔素が欲しいだけなら、わざわざ集めずとも“竜の心臓”を利用して異世界から汲み上げれば良い。しかし地球を汚染した魔素の中に“欠片”が散らばったままではそういうわけにもいかない。完全復活を望むあの“蛇”は、先にそれを果たした上で里帰りを始めるつもりだ。

「我が倒したのは、奴のほんの一部に過ぎん。もし完全な状態で復活した場合、勝ち目は無くなるぞ。だから手を組みたい。一刻も早く奴を倒すために。奴が完全な姿に戻る前に。先の痛手から回復して再び動き出す前に。こちらからあれのねぐらに乗り込み、トドメを刺してやらねばならん」


 でなければ滅ぶ。この星で生きる全ての生物が魔素を奪われ枯死を迎える。


「選べ、人間」

 シルバーホーンは目の前の少女にこそ、その権利があると確信した。人類の代表として手を結ぶか、あるいは拒絶するか。

「……」

 少女は葛藤している。彼が父親の仇だからだ。八年前に東京へ来た調査隊の隊長だったという。恨み続けた相手と手を組むくらいなら、死を選ぶと言う人間もいるだろう。

 果たして、この娘はどちらだ? 探るような目付きの彼と、怯え、戸惑う他の者達の前で少女は不敵な笑みを浮かべる。

「選べ? 何を言ってんの、アタシはもう選んだ。次はアンタの番よ」

「なんだと?」

「もう忘れたの? アタシはとっくに選択したわ。アンタ達を必ず秋田へ連れ帰り、その能力を解析して“竜”をぶっ殺すってね。アンタの半身と、そういう契約を結んだ。

 変わりはない。依然、契約内容に変更は無い。アタシはアンタ達を利用して敵に鉛玉をぶち込んでやる。だから次に選ぶのはアンタ。本当にいいのね? よわっちい人間と手を組んで戦うのね?」


 アサヒの意志は確認済み。

 次はお前だ。彼女はそう言っている。

 理解したシルバーホーンは大いに笑った。


「クハッ……ハッ、ハッハッハッハッハ! よかろう、我と貴様の間でも契約は成立した。貴様らが我らの戦いに力を貸すなら、我も可能な限りの協力を約束しよう」


 ──かくして、伝説の巨竜は味方についたのである。彼を仇と狙う朱璃の我慢と覚悟を引き換えに。




「やっぱり妙だぜ……」

 福島を出てから二日後の正午、海に近い林の中を進みつつ、マーカスは何度目になるかわからない言葉を呟く。他の面々も同じ疑念を抱いていた。


 あまりにも静かすぎる、と。


「地上に出てからこっち、竜どころか変異種にも出くわさねえ。こんなこた今まで一度も無かった」

 当然だが、前回のような襲撃を望んでいるわけではない。だが同様の災厄に見舞われることを覚悟した上でやって来たのに、実際にはこれだ。あまりに平穏すぎて逆に不気味に感じる。

「我々、いや、アサヒ様を恐れているのでは?」

 護衛隊士の一人は、そう言って少年を見る。たしかにアサヒがいる以上、彼の力を感じ取れる生物は避けて通ってもおかしくない。

 しかし実際には逆。魔素の影響を強く受けた変異種は、だからこそアサヒを狙って攻撃して来る。あのドロシーに操られて。

 また竜の場合、操られていようといまいと彼を狙う。アサヒの中の何かが十分間の維持限界を突破する鍵。彼等は、その事実を本能的に察せられるらしい。

「だってのに、飛竜一匹降りて来やしねえ」

「昼だからってのが理由の一つでしょうね」

 朱璃のその一言で一同は思い出す。魔素の海から生まれた生命体“ドロシー”は強力なテレパシーによって変異種や竜を操る。そして、その有効射程と効力は闇の中で大幅に向上すると。

 裏を返せば、こういう明るい場所で一定の距離さえ保っていれば通用しないという話でもある。

「でも、あいつが俺を諦めることは無いと思います」

 アサヒの中にある力。それはオリジナルの彼を再現したことにより得た無限の魔素吸収能力と、維持限界を突破する正体不明の因子。そして、その二つが組み合わさったことにより生まれた“消えない竜の心臓”の三つだ。この三つを手に入れた時、ドロシーは地球上に拡散した全ての魔素をかき集め、完全復活して宇宙へ飛び立ってしまうだろう。この星の生物達の死と引き換えに。


 だからこそわからない。ここはもう新潟県の長岡市。秋田より遥かに東京に近い土地だ。なのに、どうして未だ襲撃が無い?


(大阪まで素通りさせる可能性も、無くは無い)

 朱璃はそう考察する。アサヒが大阪へ行ってくれた方が、あの蛇にとっては都合が良いのかもしれないと。もちろん、仮にそうだったらという話。でも、本当にそういう事情があるとすれば、この旅は今後も順調に進む。

 けれど、そうでなかったとしたら? やはり彼の力を手に入れようと機会を窺っているだけだとしたら──

(前の戦いで、アタシ達の力はだいたい計れたはず。人間なら強敵を相手にする場合、正面から立ち向かったりしない)


 策を練り、罠にかける。


 ドロシーにも高い知性があるようだ。なら絡め手に出て来る可能性は十分に考えられる。となると、問題はどこでどうやって仕掛けて来るか。

(アタシなら、ここで一回仕掛けてみる)

 何故なら、ちょうど秋田から大阪までの旅路の中間地点だから。簡単には逃げることも進むこともできない。しかも東京との距離は最も近くなる位置。ドロシーの立場で考えた場合、これ以上襲撃に適した条件は無い。だからこちらも、日中に通過してしまえるよう時間を調整した。

 他の怪物を操る精神波が日光に遮られて弱るこの時間帯、それでも仕掛けて来るとしたなら、いったいどんな手で来る?

 朱璃が敵の狙いを読もうと思考を巡らせていると、すぐ隣の馬上ではアサヒがのんきな声を上げた。

「あ、お地蔵さん。まだ原型を留めてるなんて珍しいね」

 彼の視線を辿り、木々の合間にポツンと佇む苔むした石像を見つけた朱璃は、苛立ちを込めて指摘する。

「あれは地蔵じゃなく道祖神」

「違うもの?」

「全く違うわ。道祖神ってのは文字通り道の神。つまり境界を守るもので、外から疫病や悪霊といった災いが侵入するのを防ぐと言われ……て……」

 反射的にいつもの調子で解説して、途中で自身の言葉に引っかかりを覚えた。もう一度頭の中で反芻した彼女は、突然ハッと顔を上げる。


「境界……そうか、ここは!」


 彼女が何かに気付いた瞬間、けたたましい鳴き声が四方八方から上がり、空がにわかに暗くなった。

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