九章・人竜(1)

 深さ八〇〇mの縦穴。彗星の衝突から人類を守るため建造された地下都市と地上を結ぶ出入口。それは当時の最先端技術を結集して可能な限り頑強に構築された。だからこそ今の時代でも原形を留めている。

 とはいえ地上に魔素が満ち、電気が使えなくなったことから肝心のエレベーターは停止したまま。そのため地上との行き来には別のシャフトに後付けで設置されたスロープや水力を利用したエレベーターが用いられている。

 だから今でも重要な設備であることに変わりはない。しかし、ここは福島市に四基建造された巨大エレベーターの中で唯一、四〇年前の大水害の被害を受けた場所だ。ここから流入した大量の水が地下都市の一部を水没させてしまった上、阿武隈川が大きく移動したことにより頻繁に同様の被害に見舞われ続けている。そのため地下でも、このシャフトに近い区画は封鎖され使われなくなってしまった。

 つまり、もし仮にアサヒの力に耐え切れずこのシャフトが崩壊したとしても地下都市への被害は最小限で済む──かもしれない。

 ガンッという音を立て両者の落下が止まった。二五〇年前の停電によってシャフトの中間で停止したままだったエレベーターにぶつかったのだ。

 ちょうどいい。地下都市への被害を緩和するには、一番底まで行くよりこの位置が最適だ。ここなら地上への被害も同様に抑えられる。

「信じるよ、朱璃あかり!」

 どのみち福島にいた人々の大半は避難したらしい。念の為、ここから地下都市に繋がる通路も全て残った兵士達が手分けして塞いでくれたそうだ。遠慮はいらない。

「行くぞッ!!」

 アサヒの拳に光が集束する。膨大な量の魔素を圧縮した上で“破壊”のイメージを乗せ叩き付けるのだ。極めてシンプルな攻撃手段だが、あの崩界の日、同じ一撃が東京の一角を消滅させた。

 しかも、この狭い空間でなら爆発の威力はさらに跳ね上がる。

『グ……ルァァアッ!?』

 危険を感じ取ったシルバーホーンはなんとか逃れようと身をよじらせる。しかし巨体が徒となり、この狭所では思うように身動きが取れない。

「これで終わりだ!」


 アサヒは輝く拳を振り上げた。

 その瞬間──


『待って、駄目っ!!』

「なっ……!?」

 突如、鱗の一部が形を変え、懐かしい姿を生み出した。

 伊東 あきら。オリジナルの自分の母親。

 アサヒは呆気に取られる。

「母、さん……?」

『この中にはアタシも、おじいちゃんも、おばあちゃんもいるよ。三島君達も久しぶりにアンタに会いたいって。だから、ね? 一緒に東京に戻ろ?』


 穏やかな笑みと共に手を差し伸べる母。昔のように優しく頭を撫でられる。それだけで全身から力が抜けた。

 泣きそうになって、どうにか堪える。答えを知りたい。


「母さん、どうして……?」

『かわいそうに、忘れちゃったんだね。アタシ達は、ずっとこの中で幸せに暮らしていたのに。アイツらがアンタを無理矢理連れ出したりするから』


 そうなのか? じゃあ、この竜の中に取り込まれれば、また自分は昔のように家族や友人達と暮らすことができるのか?

 だったら、自分は──


 アサヒは母を抱きしめようとした。もう一度あの頃に戻れるなら、今のこの世界のことなんてどうでもいい。本気でそう思った。

 けれど、






『ふざけんなよ』






 母の胸から腕が一本飛び出し、彼女の顔を鷲掴みにした。

『なっ!?』

『アタシの顔と声で勝手なことをくっちゃべってんじゃねえ。なにが幸せに暮らしてただバァカ。テメエに利用され続けてるだけじゃねえか』

『う……くっ!?』

『しっかりしな旭。アタシの子だろ。こんな奴に騙されんな。もう、アンタはそこにいる。ここじゃなくて、そこにいるんだ。自分で行き先を選んで自分の足で歩いて行け』

 目の前にいる母とは別の母の声。その言葉で、さっきマーカスに言われたことを思い出す。


『しっかりしろ! 自分で歩け、このクソガキ!!』


「俺……俺は、そうだ、俺は……」

『そうさ、もうそろそろ独り立ちの時期だよ。オリンピックに出てメダルを取ってくれるんだろ? きっと、その夢だって叶えられる。だってアンタは、アタシの自慢の息子だもの』

『ぎあっ!?』

 腕は母の姿をした“何か”の顔を握り潰し、粉砕した。

 同時に周囲で、いくつもの別の人影が現れる。


『やっちまえ、旭』

『私達を』

『解き放っとくれ』

『旭っ』


 三島、西川サキ、祖母、祖父──他にもたくさんの、見知った顔と見知らぬ顔が自分を見つめていた。期待のこもった眼差しを向けて。

 ああ、そうだ。そうだった。

 皆、この中に囚われているんだ。

 アサヒは歯を食い縛り、再び拳を振り上げた。

 光が集束する。


『やめろ!!』


 母の姿を模していた者が、悲痛な声でそう叫ぶ。

 でも今度は耳を貸さない。


「やめるかよ」


 本当の母が願った通り、自分の道は自分で決める。

 一瞬、脳裏に朱璃達の顔が浮かび、彼女達を裏切ろうとした自分を恥じた。


「俺はもう、ここに──この世界にいるんだ。だから!」

『ガアッ!!』

 苦し紛れにシルバーホーンが火球を吐き出す。シャフトの中が瞬く間に炎で満ちてアサヒを焼いた。彼を見守っていた人影も全てその炎に巻かれて蒸発する。

 それでも彼は拳を振り下ろす。満身の力を込めて。


「俺はここで生きていく! 邪魔をするな、クソドラゴン!!」


 叩き付けた拳から光がシルバーホーンの体内へ撃ち込まれた。深く突き刺さったそれは次の瞬間、アサヒの思い描いた“破壊”のイメージを再現して大爆発を起こす。

「く、うっ!?」

 アサヒは咄嗟に障壁を張った。しかし自ら生み出した爆発によってあっさりと砕け散る。作り物の肉体を引き裂かれながら上へ上へと押し上げられる彼。

 このままじゃ自分も死ぬ──そう思った時、目の前に紙人形が現れた。無数の紙人形が金色の光線で互いを結び、結界を作り出して彼を包み込む。


『大丈夫よアサヒ』

「あ……」


 そうか、彼女もあの中にいたのか。きっと筑波山で死に別れた後も、シルバーホーンの中から干渉して守り続けてくれていたのだ。


「ありがとう……菊花や他の皆にも、そう伝えて、桜花さん」

『わかった、元気でね』


 南の術士・桜花。自分をサルベージして救ってくれた女性との二度目の別れを済ませたその瞬間、彼を押し上げていたエネルギーはエレベーターシャフトの開口部から飛び出し、さらに高く伸びて天高く駆け上がった。




「あっ!」

 地上から見上げていた朱璃は、光の柱から吐き出され落下して来るアサヒの姿を見つけ、ニッと笑う。

「ちゃんと生きてたわね、偉いわよ、もどき!」

「だから名前で呼んだって」

 隣でカトリーヌが苦笑した。マーカス、ウォール、友之、それに他にも何人かの人間がそこにいた。朱璃の作戦に参加してくれた兵士や調査官達だ。


 そんな彼等をアサヒの方も見つけ出す。

 そして落下しながら叫んだ。


「逃げろ!」

「え?」

 次の瞬間、天地を貫く柱の中を“何か”が駆け上がった。明らかにシルバーホーンとは異なる細長いシルエット。

 それはアサヒの目の前で外へ飛び出し、彼に向かって襲いかかった。


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


(蛇!?)

 白い大蛇だ。金色の目の美しい蛇。少女のような声で叫び、大口を開いて空中のアサヒを丸飲みにしようとする。爆発で深手を負った彼は逃れられない。


 ──そう思った時、しかし大蛇の顎を二本の腕が掴んで止めた。


『この俺を、二度と、利用するな』

 アサヒの両腕が一瞬で再生し、あまつさえ巨大化していた。皮膚が赤い鱗に覆われ背中からは翼が生える。牙を剥き出し、怒りに満ちた金色の双眸で敵を睨みつける。

「なっ……!?」

 絶句する朱璃。彼女達の視線の先でアサヒの姿はさらに変貌を遂げる。たった今、自らの手で倒したはずの赤い巨竜のそれへと。


『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 咆哮するアサヒだったもの。大蛇は長い胴をそんな彼に巻き付け締め上げたが、巨竜はニヤリと笑って喉を膨らませた。

『ゴアッ!』

 火球を吐き出し、大蛇の口の中に叩き込む。蛇の体は内部から膨らみ爆裂した。

 すると、その中から二つの発光体が現れる。


『ッ!』


 巨竜は腕を伸ばし、落下するそれを受け止めようとした。けれど破裂し拡散したはずの魔素が再集結し、その二つの物体を包み込む。球体となった魔素は凄まじい速度で彼方へ飛び去って行った。

 そして南の空へ消えた。

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