八章・落下(1)

「な、なんなんだ、どういうことなんだ、この揺れは!?」

 福島の地下都市で部下達の避難を指揮している司令官は断続的に襲いかかる震動で物理的にも精神的にも動揺した。彼がここに着任してから二年。元から地震の多い地域ではあるものの、ここまで大きな揺れは始めてだ。しかも一向に止む気配が無い。

「本当にどうなってんだよ」

 小波を守りながらここまで辿り着いた友之は、地下都市の高い天井を見上げて同じように呻く。あれからまだ十数分しか経っていない。なのに地上ではいったい何が起きているというのか。

(揺れが続いてるってことは、まさか班長達が戦ってんのか……? こんなことのできるバケモンと)

 想像のつかない話だ。いや、あの場にはアサヒもいたし、もしかしたら彼が?

 なんにせよ、おかげでこちらの言葉に懐疑的だった軍人達もようやく重い腰を上げてくれた。彼等も当然外に監視を立てていて、雲の障壁の接近には気が付いていた。ところが何が起きているのか確認するまでここを離れないなどと言い張り、なかなか退避を始めてくれなかったのだ。

 それどころか、ついさっきまでは迎え撃とうとしていた。シルバーホーンが出現したと報告を受け、流石に無理だと悟ったようだが。

「急げ! 奴にまつわる伝承が真実なら、ここも危ない!」

 避難を進める司令官の表情には、まだ苦渋の色が浮かんでいる。本当なら逃げ出したくなどないのだろう。

(ここは重要な拠点だし、放棄したくない気持ちはわかりますよ)

 彼の頭がもう少し固かったら、おそらく大勢の兵士が無駄死にしただろうし、自分も後から班長に叱られていた。まったくもってありがたい決断である。

「持っていく物は必要最低限に留めろ!」

 東北六県の地下都市は全て長大な地下道により繋がっている。駐留軍の兵士達は言われた通りわずかな荷物だけを馬車に積み込むと、次々にその奥へ向かって駆け込んで行った。流石は軍人、命令を受けてからの行動は素早い。

 ここに一般人は一人もいない。いるのは駐留軍と少数の調査官だけだ。最も関東に近いこの街は現在、記憶災害の脅威から他の各都市を守るための最前線基地として利用されている。

 もっとも人類には未だ“竜”に対抗する手段が無いため、実際のところは関東圏へ赴く調査官達のための補給基地と言った方が正しい。兵士達はここの設備の保守点検と地下道を使った物資の運搬が主な任務。戦うのも変異種相手がせいぜいで、竜が現れたらすぐに地下へ隠れてやり過ごすらしい。

 友之が彼等の避難を見守る間、その横ではストレッチャーに乗せられた小波に対し治療が行われていた。さっきまで痛みに悶えていたが、今は麻酔のおかげで眠っている。

 その寝顔を見ていたら、お互いに幼かった頃のことを思い出した。あの頃の小波は割とドジで頻繁に怪我する子供だった。しかも泣き虫で、いつも自分の後をついて回っていた。それがまたどうしてこんなマッチョになり、調査官なんて危険な仕事を選ぶに至ったのか、ずっと見て来た彼にもさっぱりわからない。

「こいつ、助かりますか?」

「ああ、しっかり応急処置されていたし、輸血と縫合も済ませたから命の心配は無い」

 そう答えた医者は続けざま搬送の指示を出した。兵士達がやって来て小波を馬車の荷台に乗せる。

 直後、少しばかり考え込んだ友之は同じ馬車に乗らず、再び司令官の元へと駆け寄った。やはり退避を始めようとしていた彼に、軍属ではないものの一応の断りを入れる。

「あの、あいつのこと、よろしくお願いします。オレは戻りますんで」

「戻る? まさか地上へ行く気か?」

「班長達が心配で」

 天井を見上げながら答えた。

 揺れはまだ続いている。

 つまり、仲間達はまだ戦っているのだ。

「オレはほとんど無傷なんだし、手伝ってきますよ」

「一人でか? 馬鹿を言うな、救出に行くなら我々も力を貸す。少し待て」

「いや、でも、それじゃ──」

 二人が問答を始めたそのタイミングだった。突然、すぐ近くにあるマンホールが下から何かに叩かれる。


『おいコラ! 誰かいねえか!?』


「えっ、この声って!?」

 驚きつつ友之と何人かの兵が駆け寄って蓋を持ち上げると、下から次々に人が出て来た。マーカス達だ。アサヒ以外の全員が揃っている。

「アンタ達、まだいたの……!?」

 友之と兵士達の姿を見つけ、悪態をつく朱璃あかり。軍人達も含め全員が避難済みだと思っていたらしい。

「そんなすぐに話を付けられませんよ、班長じゃないんだから」

 結局怒られるのかと肩を落とし、言い訳する友之。

「アレ貸したでしょ!」

「そりゃ見せましたけど、本人じゃないし」

「しょうがないわねっ」

 マーカスに支えられながら友之の差し出したバッジをひったくる朱璃。それを兵士達に向かって掲げた。

「誰が司令官? 今、上では“伊東 旭”と“シルバーホーン”が交戦中。巻き込まれて死にたくなかったらさっさと逃げなさい」


 彼女の口から出た二つの名に、兵士達はどよめく。


「い、伊東 旭? 初代王がここに!?」

「やっぱり、あの巨大な竜はシルバーホーンなんですか!?」

 どちらも知らない者の無い名だ。騒ぎ出すのは当然。

 そんな中、流石に彼等を率いる立場の人間は落ち着いていた。

「我等が窮地にあることは理解しました。でしたら、共にここから避難を」

 そう言って差し出された司令官の手を、しかし朱璃は手の平でやんわり押し返す。

 その目は周囲を探っていた。何か使えるものがないか探すように。

「アタシは残る。アンタ達だけで逃げて」

「いえ、それは」

 出来かねます、と答えようとした彼の言葉を遮り、さらに続ける。

「アタシがどういう性格かは聞いてるでしょ? 置いてったって誰も咎めやしないわよ」

 彼女のその言葉に司令官は黙り込む。本当にそうなのだろうと思ったから。だからこそ彼も彼女を置いて退避しようとしていた。

 とはいえ、目の前にいる相手を見捨てられるかどうかはまた別の問題だ。彼は黒い口ひげをため息で揺らすと、部下の一人に問いかけた。

「避難の状況は?」

「八割方、地下通路に」

「では残り二割を呼び戻せ。我々もこの方に協力する」

「いいの?」

 値踏みするように見上げた朱璃に対し、彼はシニカルな笑みを返す。

「八割も生き残らせれば、謗りは免れましょう」

「なるほど」

 朱璃は朱璃で考える。ここで突っぱねて時間を無駄にするより、素直に彼の厚意を受け取った方が話は早い。実際、自分達だけでは人手が足りないし。

「策はありますか?」

 司令官に問われる。言外に、勝ち目が無ければ王都まで連れ帰る。そう言いたげなのも読み取れた。だから朱璃は自信満々に頷き返す。

「当然」

 本当は一か八かの賭けだが、そんな事実はおくびにも出さない。何故なら彼女は不安を感じないから。怖いもの知らずはハッタリを通すのも上手いのだ。

「任せなさい。ここでアイツを倒すわよ」

 彼女の言葉に周囲にいた兵士達が「おおっ」と感嘆の声を漏らす。今まで“竜”を倒すなどとハッキリ断言できる者はいなかった。ましてや、その相手が伝説のシルバーホーンともなれば、ますますもって無謀な宣言。

 けれど彼女が言うなら──そんな期待感が彼等の眼差しに見え隠れしている。

「ヘッ」

 苦笑するマーカス。流石だと思った。大人達を躊躇無く手駒に加える少女も、一五歳の小娘に命を託す兵士達も、本来ならば狂気の沙汰だ。

 けれど、この場合は違う。北日本王国において“星海”の姓は重要な意味を持つからだ。彼等は二五〇年間、国民を守り続けて来た。故に、この姓の持ち主に直接命じられたなら大抵の兵士は無条件に従う。恩義があるし、信頼もしているから。

 かつて、二代目の王がこう言った。


『伊東という名はありふれていて、王が名乗るに相応しくない。母は星の海を眺めるのが好きだった。ゆえに私は、今日から“星海”と姓を改める』


 彼女、星海 光理は伊東 旭とドロシー・オズボーンという女性の間に産まれた一人娘だった。朱璃はそんな女傑の孫の孫の孫の娘。

 つまり王女である。それも──


「残った兵は私を含め一〇〇〇名ほどです。なんなりと御命令を、王太女おうたいじょ

「なら悪いけど、アンタらの守って来たこの地下都市を利用させてもらう」

 ずらりと並んだ兵士達の顔を眺め、北日本王国第一王位継承権者、王太女・朱璃は攻撃的な笑みを浮かべた。自ら志願して来たのだから、ここにいる全員が死んだとしても文句は言わせない。表情がそう物語っている。

「それじゃあ始めましょうか、楽しいドラゴン狩りをね」

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