八章・落下(2)

 全高一〇〇m超に及ぶシルバーホーンの巨体。大地に立つその姿は高層ビル以上の圧倒的な迫力を誇っていた。当然だ、中身がスカスカの建築物とは違い、こちらは密度の高い肉と骨の塊なのだから。しかも歩き回り、空を飛ぶこともできる。

 そんな巨大な怪物の周囲を銀色の稲妻が駆け巡る。目まぐるしく跳ね続けるそれに対し巨竜は角を、爪を、あるいは尾を振り回し応戦した。巨体に見合わぬ俊敏さ。彼が稲妻を弾き返す度、衝突の余波が衝撃波となって大地を揺るがす。

 稲妻、すなわちアサヒは空中に魔素で形作った障壁を展開し、それを足場に跳躍を繰り返す。そうして速度で相手を翻弄し、隙を見つけては攻撃を加えていた。相手はそれを巧みに迎撃するが、幾度かは防御をすり抜けてダメージを与える。

 強い。シルバーホーンは敵を脅威として認めた。彼の巨体に対しアサヒの身長はたった一八九cm。ところが、その小さな拳は頑強な赤い鱗を打ち砕き、その下の外皮や肉までも抉り飛ばす。全身から魔素を放出し、その推進力によって自らを弾丸と化しているからだ。


 けれど、アサヒの刻みつけた傷は瞬く間に消失する。


「くっ!?」

 間髪入れず巨竜が繰り出した左腕による攻撃を、今度は盾として展開した障壁によって防ぐ彼。そして慌てて距離を取った。

(頭良いなこいつっ!?)

 今のところ彼は直撃を受けていない。しかしさっきからどんどん巨竜の反撃が鋭く避けにくくなっている。おそらく機動のパターンを覚えて動きを先読みしつつあるのだ。

 対する彼自身は能力によるゴリ押しでどうにか戦っているだけ。表情には戸惑いと焦りの色が浮かぶ。

(なんでだよ、俺!?)

 今の彼の中に戦闘に関する知識や経験は無い。記憶は蘇ったが、全てを思い出せたわけではないのだ。やはりサルベージされた直後と同じように、崩界の日の直後から、数日前、南の術士達の前で目を覚ますまでの間の二五〇年分の記憶が抜け落ちている。

(母さんを守れなかったことと彼女達のことが重なって記憶を閉ざしていた。でも今なら思いだせるはずだろ!?)

 せめて英雄として戦っていた頃の記憶だけでも取り戻せたなら。今こそ、それが必要な時なのに。

 けれどもやはり、その記憶が戻って来る気配は全く無かった。

「なんでなんだ!?」

 とにかく止まらず動き回れ。英雄になる前の自分はケンカもろくにしたことがない素人。それでもこのサイズ差で捕まったら不味いことになるくらい想像できる。体重差は何万倍、あるいは何十万倍とあるだろう。魔素の補助によって超人的な力を得ているとはいえ、元のフィジカルに差がありすぎだ。力比べに持ち込まれたら確実にこちらが負ける。


 だが距離を開けた途端、今度は火球が放たれた。


「うあっ!?」

 ヂッと巨大な炎の塊が肩を掠めていく。焦げ臭いニオイが漂った。吐き出されるまでの予備動作がわかりやすく辛うじて避けられているが、射出後の速度はミサイル並──いや、もちろんミサイルを実際に見たことは無いけれど、とにかく速い。

 近付けば捕まる危険があって、離れればこの炎。遠近どちらも危険だが、どっちの方がマシかと言えば、やはり接近戦。近付かなければこちらの攻撃だって届かない。

「クソッ!」

 英雄だった頃の記憶さえ戻れば──何十年もの間、人々を守り続けていたというオリジナルの自分。その知識と経験は大きな武器になるはず。なのに、どうしてそこだけ記憶が抜けている? もどかしさに歯噛みしつつ、再び空中の足場を蹴って間合いを詰める。

「オ! オ! オ・オッ・オォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 捕まらないようジグザグに跳躍し、相手の攻撃を避け、隙を見つけては攻撃。その繰り返し。

「だりゃあっ!!」

 今度は骨まで達する一撃が決まった。これならどうだ?

 いや、それでもすぐに再生が始まる。相手もこうなることを知っているからダメージを意に介さず反撃して来る。そのせいで追撃はかけられない。

(何度やっても倒せない。この程度の攻撃じゃ駄目だ)


 ──今のアサヒは体内に“竜の心臓”を抱えており、そこから無限の魔素を供給されている。だから戦いがどれだけ長時間に及ぼうと、朱璃達のように魔素切れを起こして戦闘不能に陥ることは無い。

 だが、彼の肉体に超人的な力を与えている無尽蔵の魔素は、敵にとっても有利に働いてしまっていた。アサヒが攻撃・防御・移動に用いるため放出したそれを相手も取り込み、利用しているのだ。


 跳躍を繰り返すアサヒの移動した空間に魔素の放つ残光が軌跡を描き、同時に薄い煙がたなびく。火球が掠めたことで皮膚の一部が焼かれていた。けれど、それもまた瞬く間に回復していく。お互い魔素によって記憶が再現されただけの紛い物。魔素の供給が続く限り、ちょっとやそっとのダメージでは消えられないらしい。

(ここから引き離さないと!)

 数回の激突を経てようやく彼はその結論に至った。あのドラゴンを倒すには魔素による修復力を大きく上回る一撃を叩き込むしかない。だが、そのためには場所を変える必要がある。

 脳裏には初めて膨大な魔素を吸収し、この力を発揮した崩界の日の記憶が浮かんでいた。東京に突如として現れたシルバーホーンに母が喰われ、祖父と祖母、友人や恩師が目の前で焼き殺された。

 怒りのあまり殺意に心を塗り潰された自分は“全力”でこの怪物と激突した。その結果、東京の一部が消失するほどの大爆発が起きた。


 覚えている。あの一撃で、一度は目の前の相手を倒したことを。


 記憶災害となり体内に“竜の心臓”を抱えている今の自分なら、おそらくさらに強力な攻撃を繰り出せる。けれども、ここでそんなことをしたら地下都市にまで被害が及ぶかもしれない。


 そう考えた時、閃いた。


 空だ。空中でならあの時以上の爆発を起こしたとしても、地上への被害は最小限に抑えられる。

(ならまずは、こいつを上まで連れて行く!)

 方法は一つ。自分自身を囮にすること。どのみち自分にしか倒せないのだから躊躇する必要も無い。

「追って来い!」

 シルバーホーンの周囲を駆け巡っていたアサヒは、突如としてその進行方向を上に切り替えた。地下都市に影響を及ぼさない高度を目指し、空中に作った足場を蹴ってひたすら上昇していく。もちろん火球で攻撃されることは織り込み済み。相手が空に上がって来るまで、なんとか避け続けるしかない。


 だが、途中で気付く。


「なっ!?」

 敵は追いかけて来ず、火球を放とうともしていなかった。代わりに角へ銀色の光が集束する。

「嘘だろっ」

 自分を取り込むことが目的のあのドラゴンは、決して雷を撃たないはず。朱璃がそう予測していた。だから無警戒だったのに、ここに来てまさかの行動。あの攻撃を受けたら今の自分でもおそらくは消滅する。かといって雷なんて撃たれてから避けられるものでもない。

 やむなくアサヒは足を止め、空中の足場に立った状態でさらに大きな魔素障壁を全周囲に展開した。これで防ぎ切れるかは賭けだ。

 そんな彼を見て巨竜はニヤリと笑い、雷撃を放つ。


 ──馬鹿め。シルバーホーンはアサヒの狙いを読み切っていた。だからこそあえて自慢の翼を使わず地上で戦っていたのだ。

 彼の角から放たれた雷光は真っ直ぐアサヒに向かって伸びて行き、そして彼の展開した魔素障壁に当たった。

 次の瞬間──


「なっ!?」

 目を見開いたアサヒの周囲に黒煙が生じた。いや、正確には障壁を形成していた魔素が再現したなんらかの気体だ。

「うっ、ごふっ……!!」

 そのガスを吸い込んでしまった直後、血を吐く。強烈な毒性があるらしい。目や耳からも血液が流れ出し銀色の霧になって拡散した。意識が朦朧とし始める。

(なんで!?)

 朱璃は、あの雷を受けた場合、電圧が高すぎて魔素が耐え切れず消滅すると話していた。でもこれは間違いなく、なんらかの記憶の再現。


 ──簡単な話だ。シルバーホーンはこれを狙って自身の放つ雷の威力を弱めた、ただそれだけ。彼の狙いは動き回るアサヒの動きを止めること。わずかな間でも止まってしまえば捕えられる。どんな記憶災害が発生するかは運次第だったが、彼はその賭けに勝利した。


 ともかくこの煙の中にいてはいけない。そう思ったアサヒは脱出を試みる。戦闘経験の浅い彼は考え無しに距離を取ろうとして、後ろに向かって跳んだ。

 すると背後から突風が吹き、煙が押し流される。

「あっ──」

 失策に気付いた時にはすでに、避けられるタイミングではなくなっていた。アサヒの視界が塞がれた瞬間、シルバーホーンは素早く背後に回り込んで飛翔したのだ。そうとも知らず彼は自ら敵の口の中へ飛び込んだ。


 そこへさらに別の何かが飛来する。


「がッ!?」

 右肩に一二.七mm弾の直撃を受け、吹っ飛ぶアサヒ。しかし、そのおかげでシルバーホーンの顎が閉ざされた時、彼の体はギリギリ牙の外まで移動していた。

『ガアッ!!』

 獲物を逃がしたことに腹を立て、もう一度喰らいつこうとする巨竜。けれどダメージを受けたアサヒは意識を失ったのか、そのまま落下を始め、上空の強風に押し流されたことにより、またしても運良く顎から逃れる。

『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 猛り、咆哮して周囲に視線を走らせる巨竜。どこだ? 今の攻撃はどこから誰が撃って来た?

 邪魔をするな! 怒り任せに、彼は適当な位置へ火球を放った。

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