七章・出現(4)
「朱璃」
マーカスが追い付いて来て朱璃とアサヒの間に割り込んだ。強引にアサヒを押し退け、他の面々には聞こえないよう小声で問いかける。
「お前、嘘ついただろ」
「なによ」
「あの化け物は東京から追いかけて来たんだぜ……しかも、あの雲の障壁越しに。地下に逃げ込んだところで完全にこっちの姿を見失うとは思えねえ」
現に、頭上を旋回する怪物の顔は常にこちらを向いていた。正確な位置まで掴むことは出来ずとも、おおよその見当ならついている証拠だ。おそらく自分達にはわからない何かを感じ取ってアサヒの気配を捉え続けている。
「戦うつもりだな?」
「それしかないもの」
朱璃が福島の駐留軍に避難して欲しいのは、彼等の身の安全の為ではない。気兼ねなく地下都市を戦場にするため。
「倒し切れなくてもいい。奴を撤退に追い込めばアタシ達の勝ちよ」
「どうにか追い払って時間を稼ぎ、その間にあのボウズの力を解明する気か?」
「他に方法がある?」
「アイツを敵に差し出すってのは──」
「却下。そんなことをしたらいよいよ勝ち目が無くなるわ」
朱璃は走りながらかいつまんで説明した。先程のハリトカゲがアサヒと接触した時に起きた不可解な現象。そして奴が最後に見せた彼を捕食しようとする動き。
そこから導き出される答えは、つまり、
「竜はアサヒを体内に取り込むことで、維持限界を超えて存在し続けることができる。そういうことだと思うわ」
マーカスだけでなく他の四人にもそれを伝えた。
当然、全員顔が青ざめる。
「待っとくれ、あんた、そんな力があるのかい坊や?」
「い、いや、俺も知りませんでしたよ」
「しっかりしい! 自分のことやろっ」
「だったら、今ここで殺しちまうのはどうだ?」
アサヒに銃口を向けるマーカス。冗談めかしているが本気の目だ。
「それは最後の手段」
アカリも真剣に答える。本当に最後の最後、どうしようもなくなった場合にはそうする。自分にはここまでアサヒを連れて来た責任があるから。
「でも、そんなことをしたら奴は怒り狂う。アタシ達の生き残る確率もゼロになるわよ」
「じゃあ、やめとくか」
そう言って銃を下ろすマーカス。ホッとするアサヒ。
門司が話に割って入り、再び質問を投げかける。
「い、いや、おかしいよ班長」
ますます息が上がっていた。彼女の場合、顔が青いのは酸欠になりかけだからかもしれない。だからタバコなんてやめればいいのに。
あまりに辛そうなのでウォールが背負ってやった。彼も彼で仲間に甘い。
「ハァ……ハァ……すまないね。それでだ班長、とっくに一〇分を過ぎてるわけだ。いや、そもそもアレが東京から坊やを追いかけて来たなら、もう数日は経ってるはず。なのに、なんでアイツはまだ消えてないんだい?」
朱璃の立てた仮説が正しいのだとすれば、これまでシルバーホーンが存在を維持出来ていたのは、アサヒを体内に取り込んでいたから。そう考えたのだろう。どうして彼が体外へ排出されたのかはわからないが、アサヒに維持限界を突破する力があり、あのドラゴンが同様に二五〇年という長い歳月、東京に在り続けたこと。そして今必死に取り戻しに来ている事実を合わせて考えれば、自然にそういう推測が成り立つ。
しかし、それでは二つ辻褄が合わない。奴はアサヒと切り離されてから一〇分以上経過した今でも存在しているし、オリジナルの“伊東 旭”が英雄となって活躍していた時代にも、やはり“消えない記憶災害”と呼ばれ東京を支配していた。そういう記録が残っている。
「それは……」
朱璃の中では、すでにその矛盾を解決する仮説も組み上がっている。おそらく存在を維持するだけなら彼は必要無いのだ。何故なら奴の体内には他にも“適合者”が眠っている。
「七年前、父さんが最期の手紙で送って来た情報によると、当時のアイツは今の倍以上のサイズだったはずよ。おそらく
「縮むだけ? どうして消えないんだい?」
「多分、もう一つコイツと同種の存在を抱えているから。アサヒ、思い出して。アイツはアンタ以外の“誰か”を喰わなかった?」
「ッ!」
朱璃のその問いかけがトリガーになった。
アサヒは足を止め、苦しみ始める。
「う……ぐッ!? ああ……っ」
「坊や!?」
「オイ、どうしたいきなり?」
頭を抱えて苦しみ悶える彼を見つめ、狼狽する門司達。朱璃だけが冷静にその症状の理由を察する。
「そう、やっぱり、本当は覚えていたのね」
──最初、彼女は彼が“崩界の日”以前の伊東 旭を再現した存在だと思っていた。
けれど違う。彼の生誕の経緯が想像通りだとしたなら、この少年の脳には崩界後の記憶も残っている。ただ単に、これまでは自身の精神の均衡を保つため、それを封印していたに過ぎない。
彼女の読み通り、彼の中では急速に眠っていた記憶が蘇り始めていた。
『自分の名前を言える?』
「う、ぐッ!?」
フラッシュバックしてくる無数の光景。
最初に脳裏に浮かんだのは、短い黒髪の美しい女性。
彼女は京都から来たと告げた。
『大英雄も、子供の頃は可愛らしかったのね』
「あ、ああ……あああ……」
救ってもらった。彼女達の計画によって、自分は二〇〇年ぶりに“あいつ”から切り離された。
朱璃の想像通りだ。過去の自分、オリジナルの“伊東 旭”は、あの赤い巨竜に戦いを挑んで敗れ、取り込まれた。
南の術士達は当時からの協力者。だからシルバーホーンの中に“伊東 旭”がいることを知っていた。そしてずっと救出の機会を窺っていたのだ。
二〇〇年間、何度も挑んでは失敗して、数日前──ついに成功した。
けれどシルバーホーンの体内からサルベージされた彼は、完全な“彼”ではなかった。
復活した“伊東 旭”は崩界後の記憶の大半を失っていた。姿は若返り、力の使い方も覚えていない。それは彼女達の求めた“英雄”からは程遠い存在だった。
『これが本当に“螺旋の人”かよ?』
『役に立ちそうもないね』
何人かは、無力な自分を見てあからさまに落胆した。
なのに、彼女は笑って励ましてくれた。
『気にしないで、いつかは貴方も彼のようになれる』
記憶を失い、ただの少年になってしまった彼に対し、南の術士達を率いていた女性は姉か母親のように接してくれた。だからアサヒも素直に彼女の言葉に従った。
だが──
『どうする!?』
シルバーホーンは追って来た。どこまでも執拗に。
本来なら目覚めるタイミングではなかったのにと、彼女達は言っていた。けれどアサヒが切り離されたことに気が付き、取り戻すため強引に自らを覚醒させた。
奴と、東京を囲む巨大な魔素の壁から出現した数多の記憶災害。追い立てられた彼女達は南へ戻ることを諦め、北に活路を見出した。
そして多くの犠牲を出しながらも東京を脱出し、北上を続け、それでも逃げ切れないと悟った時、彼女は一か八かの選択をした。
『あの山に登ろう』
『でも姉さん、あんな場所じゃ隠れることも──』
『どのみち逃げ切れない。だったら、こっちの人達に託そう』
彼女達は賭けた。北日本の人間が近くにいる可能性に。自分達が倒れた後、別の誰かがアサヒを見つけ出してくれることを願って。
だから筑波山に登った。少しでも遠くまで、その輝きが届くようにと祈りながら。
一人、また一人と倒れていく仲間の屍を踏み越え、彼女はアサヒを山頂付近まで連れて行った。
そこでシルバーホーンと対峙した時、彼女は言った。
『私が出来る限り時間を稼ぐ。だから、その間に遠くまで逃げるのよ。いつか必ず貴方は人類の希望になる。もう一度、かつての輝きを取り戻せる』
「うっ、く……うっ……」
思い出した。だから忘れていたのだと。彼女の最期の姿が“彼女”と重なったから。
二五〇年前のあの日──自分を救って、代わりに赤い巨竜に喰われた、母・伊東 陽の姿と。
「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
蘇った記憶。大きな罪悪感に苛まれるアサヒ。
その頬をマーカスが叩く。
「しっかりしろ! 自分で歩け、このクソガキ!!」
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