七章・出現(3)

「あ、あれが……」

「シルバーホーン……」

 福島に向かって走りながら馬上で呟く小波と友之。

 突如出現し、雲の障壁を飲み込み、他の竜達を一撃で消し去った巨大なドラゴン。上空から自分達を見下ろすその威容に歴戦の調査官達でさえ絶望した。


 一目で理解できる。

 人間の敵う相手ではないと。


 しかし、ただ一人、朱璃だけは闘志を燃やす。

「お前が、父さんを……!!」

 憎悪を滾らせ、それでも彼女は冷静だった。

「森に逃げ込むわよ!」

 そう叫ぶなり、友之と小波を逃がしたのとは別方向──東へ向かって走り出す。やむなくアサヒとマーカス達も追いかけた。この状況で彼女一人にはできない。当人が彼等のそんな心理まで計算に入れていたかは謎だが、ともかく残りの全員が同じ方向へ向かって走った。

 アサヒと仲間達を引き連れつつ、朱璃は一度だけ振り返り、毛布で包まれた真司郎の遺体へ謝罪する。

(ごめんジロさん。生きて帰れたら、後で埋葬するから)

 残念ながら今そんな余裕は無い。あの怪物が滑空して凄まじい速度でこちらへ迫って来ている。

「朱璃ちゃん、あれッ!?」

 カトリーヌが叫ぶ。ドラゴンの首が赤熱して大きく膨らんだかと思うと、口から火球が吐き出された。次の瞬間には放たれようとしていたそれを、朱璃は反射的に狙撃する。

『ゴアッ!?』

 白い閃光に貫かれた火球は巨竜の眼前で爆発した。意表を突かれ、たじろぐ怪物。その隙に丘を一気に駆け下り、森の中へ逃げ込む。

「ざまあみろ!」

 だが危なかった。あれを放たれたら自分達は死んでいたかもしれない。そしてようやく三日前に見た炎の正体を理解した。筑波山を焼いたあの火災は、おそらく今のと同じ攻撃によるもの。

「ヤロウ、雷だけじゃなく炎まで出しやがるのか!!」

「つくづく“竜”ってのは非常識な生き物だよ!」

 後方を走るマーカスと門司が毒づく。地球上に存在しなかったはずの魔物達。あれらの“記憶”はいったいどこからもたらされたのだろう? いずれ必ずその謎も解き明かしてやる。朱璃は密かにそう誓う。

 一方、次々現れる障害物をなんとか回避し、あるいは強引に突破し、慣れた様子で進む朱璃達にどうにか食らいつきつつアサヒも考えた。

(一緒にいていいのかな? 俺だけ違う方向に逃げた方がいいような……)

 そうしたら敵は自分を追って来るから、他の皆は安全に逃げられる。

 でも、すぐに無理だと察した。こちらの思惑はどうあれ、朱璃は絶対に自分を逃がしてくれない。短い付き合いだが、そのくらいのことはもうわかる。

 それにさっき彼女が言いかけていたことも気になった。自分が他の“竜”に喰われたら終わりとは、どういう意味なのか?

「コイツ以外は逃げてもいいのよ!」

 速度を落としてアサヒに並走したかと思うと、突然、彼の右手を握って引っ張り始める朱璃。こんな状況だというのにドキッとしてしまったのは男の子の悲しい性か。

「そうだ! お前らは福島に行け!」

 自分が同行するのは当たり前。暗にそう言いながら残りの三人の方へ振り返るマーカス。けれど彼等は頭を振った。

「ここまで来たら付き合うさ。このタイミングで逃げ出しちゃ後味が悪い」

「ん」

「せやで、いけずなこと言うたらアカン。今頃あの二人は悔しがっとるわ」

 ニヒヒと笑うカトリーヌ。たしかに友之と小波の性格を考えれば自分達だけ先に逃がされたことを喜んではいないだろう。

 体力的に他の面々に劣る門司は、早くも息を切らしつつ朱璃に問う。

「まあ、小波は重傷者だ。護衛として友之を付けたのも妥当な判断だよ。でも班長、ここからはどうするんだい? 到底勝てる相手じゃないだろ」

「そんなことはわかってる。アタシ達も別ルートで福島を目指すのよ」

 朱璃がこの森へ入ったのは、何もやぶれかぶれになったからではない。きちんと状況を見極めた上での判断である。

「見なさい、アイツ、アタシ達を見失ってる」

 正確にはアサヒをだろうが、ともかくシルバーホーンは上空を旋回しながらこちらの姿を探していた。ここまで追いかけて来た以上、人間の五感を上回る何らかの知覚を備えていることは間違いない。聴覚、嗅覚、あるいは熱探知。どんな能力かは知らないが、予想できるいずれの感覚であったとしても森は最適な障害物となる。枝葉は視覚を遮り、熱探知をも誤魔化してくれる。奴の羽ばたきが起こす風で梢が揺らされれば、葉擦れのざわめきは敵の聴覚をかく乱するだろう。日が落ちつつあることも有利に働くかもしれない。こちらも闇の中では動き辛いが、相手にしたって自分達を見つけにくくなる。

 おっと、大事なことを忘れていた。一旦立ち止まった彼女は足下の土を手で掬い、自分とアサヒの体に擦り付けた。

「うわっぷ!? ちょっ」

「我慢しなさい!」

 これで嗅覚もある程度欺けるはず。

(さて)

 同じことを始めた残りの四人を見つめ、今後の方針を示す。

「アイツがこっちを見失っている間に、森を突っ切って阿武隈川を目指す」

「川?」

「四〇年前に起きた大規模な“現象型記憶災害”で大きな川が移動して、今はこの少し先を流れてるのよ。水に潜れば奴の探知能力を誤魔化せるし、流れの先にあるのは福島だから自動的に目的地へ辿り着けるってわけ」

 もちろん水中は水中で危険な変異種に出くわす可能性があるのだが、少なくとも上空のアレと真っ向からやり合うよりはマシだ。

「でも福島は廃墟だったよ!?」

 さっき見た光景を思い出すアサヒ。すると、そんな彼の言葉に調査官達は揃って呆れ顔を浮かべる。

「アンタ、それ本気で言ってんの?」

「あそこに関しちゃ、むしろ君の方が詳しいかもしれへんで?」

「えっ……あっ!」

 そうか、地下都市だ! ようやくアサヒはそこに思い至る。自分達の時代、彗星の衝突から生き延びるために世界中で建設された巨大地下都市群。その一つがあの廃墟の下にも存在しているということか。

「阿武隈川は地下都市に引き込まれている。途中に浄水設備はあるけど、なんにせよ森に隠れただけでこっちの姿を見失うようなお粗末な探知能力なら、地下七〇〇mのあの場所まで逃げ込めば完全に振り切れるでしょ」

 だったら小波達と一緒に行っても良かったんじゃないか? アサヒはそんな馬鹿な質問をしそうになって、今度は寸前で言葉を飲んだ。

 そんなことをしたら敵はまっすぐ福島へ向かっただろう。地下深くに存在しているとはいえ、あれだけ巨大な怪物が地上で暴れたらどんな被害が及ぶかわからない。それに途中で追いつかれたら怪我で満足に動けない小波が最も危険に晒される。多分この少女はそこまで考えて作戦を立案したのだ。あの短時間のうちに。

(どうりで、この歳でリーダーなんかやってるわけだ)

 今になってやっと彼女の凄さがわかってきた。マーカス達が揃って心配するのも当然だ。過酷な時代だからこそ、その状況を打破しうる優れた才能の持ち主は優遇される。

「さあ行くわよ。アイツが癇癪を起こしてさっきの雷をもう一度ぶっぱなしたらヤバイわ。まあ、アンタがいる限りやらないでしょうけどね」

 そう言って再び走り出す朱璃。

 アサヒは首を傾げる。

「どうして?」

「少しは自分で考えなさいバカっ。たくもう」

 突き放した言い方をしつつ、それでも彼女は解説してくれた。敵の目的はアサヒを取り込むことだからと。

「さっき、あの雷撃を受けた他の竜はことごとく消滅したでしょ。電力は本来、記憶災害発生のトリガーとなる。でも結果はあの通り。おそらくあれらを構成していた魔素が耐え切れないほどの高電圧だったから、ああなったんだと思う」

 それはそれで大きな発見だ。これまでは記憶災害の発生原因として危険視されるばかりだった電気エネルギーの有用性が改めて見直されるかもしれない。

 ともあれ、それに関しては後で考えればいい。今この場で重要なのは、あの攻撃に巻き込まれたらアサヒも無事では済まないということだ。

 敵の目的はおそらく彼を自分の体内に取り込むこと。となると、アレはアサヒに対してだけは同じ攻撃を仕掛けることは無い。取り込むべき獲物を消滅させてしまうような馬鹿なら話は別だが、だったら最初の一撃を真っ先に撃ち込んで来ているはずだ。奴には少なくとも、その程度の判断がつく知性は備わっている。

 だからアサヒを連れて来た。彼が一緒にいれば敵は雷撃を放つことができない。ようは人質であり盾。

 草をかき分け、枝の下を潜り、太い根や小さな亀裂を飛び越え、出来る限り急いで東へ東へと移動する。こちらが囮になっている間に、そろそろ友之と小波は福島に到着した頃だろう。司令官にちゃんと情報が伝われば、すぐに避難が開始されるはずだ。自分達が到着する頃には地下都市は無人になっているかもしれない。


 ──そうなっていてもらわないと、困る。

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