一章・崩界(1)

 二〇四八年四月六日。東京都地下都市建設計画における植物工場建設現場の一角で感嘆の声が上がった。

「おおお……アシストスーツ無しで……」

「すげえなオイ、ほんとに子供かよ」

 この日からここで働くことになった新人作業員の一人が、通常はパワーアシストスーツを着用するか、あるいは二人以上で持ち上げる重い機材を片手で軽々抱え上げたのだ。しかも反対の手にはもう一台。なのに当人は顔色一つ変えていない。

 いや、若干顔が赤く、気恥ずかしそうに俯いている。どうやらこんな風に注目されることを好むタイプではないようだ。

 背が高く筋肉質ではあるが、体型は細い。とてもこんな怪力を発揮できるようには見えないシルエット。一方、顔立ちは目付きが鋭いことも含め、攻撃的な第一印象を人に抱かせる。そのくせ実際には控えめな性格なので、心身共に見た目とのギャップが激しい。

「凄いな……えっと、伊東いとう君だっけ? もう下ろしていいよ」

「はい」

 頷いて機材を下ろす彼。さらに驚くべきことに、この新人作業員・伊東 あさひは一五歳というまだあどけなさの残る少年だった。

 もっとも、この若さで建設工事に携わること自体は今の時代なんら珍しい話ではない。というより義務化されている。今日入った新人達は全員が旭と同世代の若者達だ。

 現代、一般教養の学習は小学生の間にしか行われない。小学校を卒業すると適性試験が実施され、その適正に沿ったクラスへと振り分けられる。中学で必要な技能と知識を学び、卒業すると同時に実際の現場で働き始める。

 大半の若者はこうして地下都市の建設作業に加わるか、地上での食糧生産へ回される。そうでもしないと期限に間に合わないからだ。


 ──現在、地球には一つの彗星が接近しつつある。


 一八年前に初めて観測されたその星は、発見者の一人娘の名前を取って“ドロシー”と名付けられた。

 当初そのニュースは小さなものだった。テレビや新聞で多少報じられたくらいで、他の様々な情報に埋もれてしまい、すぐに忘れ去られた。天文愛好者向けの雑誌でこそ大きく取り上げられたが、世間一般での認知は低いままだった。

 ところが発見から二年後、事態は急変する。


“彗星ドロシーは、地球に衝突する可能性が極めて高い”


 世界各国の首脳がある日、全く同時にその事実を公表した。万が一どころか億に一つも無い可能性ではあったが、仮にそうだとしたら備えが必要になる。そのため一部の者達は“ドロシー”が観測された直後から、実用化されたばかりの量子コンピューターを用いて軌道予測シミュレーションを行っていたのだ。

 そして知った。何度繰り返しても同じ結論に達した。衝突を避けるには幸運に頼るしかない。なんらかの要因で彗星が今の軌道から外れない限り、極めて高い確率で地球にぶつかってしまうのだと。

 もちろん爆発物を搭載した無人ロケット等、様々な兵器を用いての迎撃作戦も試みられた。しかし、数年かけて実行されたそれらの計画は全て失敗に終わった。ドロシーの周囲には観測不能な力場が存在しているらしく、爆発がことごとく防がれてしまったのだ。この事実から彗星の正体は宇宙人の侵略船なのではないかという説までまことしやかに囁かれた。


 当然、世界中がパニックに陥り、沈静化までに長い月日を要した。暴動、終末論の台頭、諦めて無気力になる人々。人類史上最大の混乱だったかもしれない。

 それでも例外的に日本だけは落ち着いていた。いつものことだが、この国の人間は災害に対し異常なほど冷静に対応する。


 彗星衝突の危機を公表した時点で、全世界の人間を避難させるための巨大地下都市建設構想は既に持ち上がっていた。幸い、実現に足る十分な時間もまだ残されていた。

 日本人は他国の人々が混乱の坩堝に陥っている最中、政府の指示に従って粛々と計画を始動させた。

 そんな日本の動向を見て、やがて他の国々も後に続いた。それをしなければ死ぬという事実があれば、結局のところやる以外の選択肢は無いのだから。


 そして──“ドロシー”が初めて観測されてから一八年後の現在、教育や労働の形態は大きく様変わりし、かつて“高校生”と呼ばれた若者達が生き残るための計画の最前線で働いている、というわけだ。

 労働を免れ、更なる学びの機会を得られるのは現代ではごく一部の天才児だけ。彗星が衝突すると言われる二〇五〇年の七月まであと二年と三ヶ月しかない。すでに日本の地下都市建設は実際に人が居住できる水準にまで達しているが、彗星が衝突した後、どれだけ長期間地下での生活を余儀なくされるかは不明。短くて数年。長ければ十数年と試算されている。

 だから少しでも長い期間、快適に過ごせるようにしておくのだ。今の苦労が明日の楽に繋がると思えば、多少辛くとも頑張れる。そもそも今の彼等の世代にとってはこれが“当たり前”なので、特に辛いとも思っていなかったりする。

「よし、じゃあ君達は先輩の指示に従ってここにある資材をそれぞれ必要な場所に運んでくれ。改めて言っとくが、安全が第一だぞ。くれぐれも無理はするな」

「はい!」

 今日が初仕事の旭達は、とりあえず簡単な運搬作業から始めることになった。もう少し専門的な仕事ができる知識も技能も学んできたのだが、まあ新入りが任される仕事なんてどこも似たようなものだろう。

 とはいえ、旭は他の同世代の若者達の数倍の効率でそれをやってのけるのだから十分に活躍していた。

 現場監督を始めとした大人達も、その働きぶりに感服する。

「本当に凄いな彼は」

 最近では多くの建設用機械が別の現場に回されているため、正直ここは人手不足だった。しかし、あの伊東 旭という少年なら一人で数人分の不足を補えそうだ。目上の人間の指示に対し素直に従うところもまた好感が持てる。

「けど、もったいないですね。こんなことになる前だったらオリンピックにでも出られていただろうに」

「そうだな。まあ、もう少し経てばスポーツを楽しむ余裕もできるさ」

「本当にそうなるといいんですが」

 完成後は工場員の寮になる予定の建物の上に立ち、周囲を見渡す彼等。同じ形の建物が遠く彼方まで並んでいる。首都の膨大な人口を支えるため、野菜などの生産は畑でなく効率を重視したこれらの工場で行われるのだ。頭上は分厚い天井に塞がれている。

 最も浅いところでも地下七〇〇m──この都市は彗星が直撃しない限り耐えられる設計だそうだ。とはいえ、実際のところやはり、その時になってみないとわからないだろう。

「オリンピックか……見てみたいもんだな」

「そうですね」

 工事が始まってから一五年。その間にオリンピックのような大イベントは一度も開催されていない。息抜き程度の小さな催しならたまに開かれるが、基本的には生き延びるための準備で手一杯。この危機を乗り越え、人類がもう一度スポーツを楽しめる日が来るのかどうか……できればそうあってくれと大人達は祈った。



 昼休憩が始まり、旭達は自然と同じ学校出身の仲間同士で集まった。他のグループも似たような理由で固まっているのだろう。この現場で働き続けていればいずれ彼等とも仲間意識が芽生えるだろうが、今はまだ初日である。

「あー、疲れた」

「ひたすら階段を昇ったり降りたり……エレベーター使わせてくれよ」

「修理中だってさ。だからオレらが人力で運んでんだろ」

「かったりいなあ。せめてアシストスーツくらいよこせっての」

「数が足りねえんだってよ」

 機械の力で補助を行うアシストスーツは、体力的に衰えて来たものの経験は豊富というベテランに対して優先的に回される。彼等のような新人が使う機会は、おそらく無い。

「まあいいや、飯だ飯」

 気を取り直して唯一の楽しみと言ってもいい食事に取りかかる彼等。それぞれの手には全く同じ形の箱があった。先程作業員全員に配られた弁当である。めいめい適当な場所に腰かけながら封を開けた。白米に梅干しに唐揚げにキャベツ。シンプルながら、まあまあ美味そうに見える。

「これ西川達が作ってるってマジ?」

「西川? そういや食品工場に行ったんだっけ」

「そうそう。っても本人から聞いたわけじゃねえけど、うちの母ちゃんが西川ん家のおばちゃんと友達でさ。よく話してんだよ」

「ふうん」

 と、そんな級友達の話を聞きながら旭が箸をつけようとした時だ。突然彼の弁当の上に唐揚げが一つ上乗せされた。

「なに?」

「やるよ旭。お前が一番働いたんだし、でかいんだから、その分」

「ああ、オレもオレも」

「オレのも」

 そう言って友人達が次々に自分の弁当を分けてくれるものだから、旭の分だけ唐揚げの量が倍になった。

「いや、いいよ。お前らだって腹減ってるだろ」

 彼が困り顔でそう返すと、友人達は一様に「いいんだよ」と言って自分の分をさっさと食べ始めた。

「……ありがとう。でも、今日だけでいいからな」

 苦笑しながら山盛り弁当に箸をつける。美味い。さっきの話のせいか脳裏に小中学校が一緒だった西川 サキという少女の顔が思い浮かぶ。話に出てきたあの子も今頃同じものを食べているんだろうか?

「そういや、オレはさ」

「うん?」

「旭は都市間連絡通路の方に回されるんだと思ってた」

「ああ、うん、まあね」

 旭自身、頷きながら弁当と一緒に配給されたボトル入りの緑茶を飲む。地下都市建設にある程度の目途が立った六年前から、日本では各地方の地下都市間を結ぶ地下道の建設も並行して進められてきた。実際目の当たりにしたことは無いのであくまで聞いた噂の範疇でしかないが、向こうの労働環境はこっちが天国に思えるくらい過酷だそうだ。そのため向こうに回されるのは経験豊かで体力もある者達ばかりだと言う。

 だが中学時代から並外れた身体能力に注目されていた旭のところへは、実際に地下道建設現場からの打診があった。

「でも母さんのことが心配だし、地元がいいですって言ったら先生が向こうの人と話して、こっちに回してくれた」

「え、マジで? いいとこあんじゃん栗ヤン」

「栗坂先生はいい人だよ」

 今度は、ちょっと独特な髪形の元担任教師の姿が思い浮かぶ。気難しい人ではあったが悪い人じゃない。優しいから厳しくする。そんな先生だった。

「第一、地下都市自体はもう出来てんだしさ、焦る必要も無いよな」

「うん」

 彼等若年層は今の状況に楽観的だ。他の地方への道を通しておきたいと思っているのは大人ばかりで、子供の大半はそれを望んでいないし、かといって反対もしていない。

 彼等はこの計画が始まってから生まれた世代だ。そもそも他の地方のことなんかロクに知らない。映像や写真で見たことがあるくらいで、誰も実際に旅行で他県を訪れたりしたことが無いからだ。急がなければ死ぬ。大人達が揃ってそう危惧しているから、誰も彼もが忙しくてそんなゆとりを持てずにいた。

 だから旭達にとってはこの東京の街が全て。地上と地下の二つの都市だけが彼らの実際触れてきた世界なのである。

 旅をしてみたいという願望はあるのだが、誰もそれを口には出さない。言っても空しくなるだけだから。

「そういや旭、お前ん家って何階?」

「まだ決まってないよ」

 旭と友人達は視線を巡らせ、周囲にそびえ立つ無数の柱を見上げた。地下の限られた空間を有効活用しようと、天井を支える柱の多くは集合住宅を兼ねている。そうでもしなければ、とても全国民を地下に収容することなんてできやしない。

「上の方にはなりたくないな」

「昇り降りが大変だろうしな」

「うちも、じいちゃんとばあちゃんが一緒に住むことになってるから、下の方がいい」

「だよな。でも政治家とかは三階建ての専用公舎に住むらしいぜ」

「なんだそれ、ずっりい」

「差別だよな」

 愚痴愚痴言いつつ食事を終え、残りのお茶で一服しながら駄弁っていると、やがて先輩達からお呼びがかかった。

「おーい、新入りさん達。そろそろ再開するぞ」

「あ、はーい」

「すぐ片付けて行きます」

 休憩はきっかり一時間。回収箱に容器を捨てながら、それぞれの持ち場へ戻る作業員達。旭も立ち上がると、ズボンの尻を叩いて歩き出した。

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