第4話 現場検分
廊下の突き当たりが社長室だった。扉は開いており、中に数名の捜査員がいるのが見えた。
中に足を踏み入れる。
正面の壁に窓があり、その前にはデスクが設置されている。パソコンの横に書類が並び、本数の少なくなったタバコがあった。椅子は机から少し離れており、立ち上がったが椅子をもとの位置に戻さなかったのだなと推測した。デスクの前には来客者用のソファーとガラステーブルがあった。部屋の隅には、ファイル棚とコピー機があった。
顔の知っている刑事がおり、おかんとおれは挨拶した。おかんは相変わらずおばちゃんの微笑みだった。
「阿東は椅子に座った状態で殺されていた。喉に包丁が突き刺さってな」
朝倉は椅子を指さし言った。では、立ち上がったために椅子が離れたわけではないのだな。包丁で刺された衝撃により動いたのだろう。
「阿東のスマートフォンはデスクの近くに落ちていた。襲われた時に落としたのかもな。社長室であるから他の社員の指紋もあった。逆を言えば、社員と社長以外の指紋はなかった。
密室の話だが、阿東は新しいもの好きでな、この部屋の扉はカードキーとAIアシストで施錠できる。スマホにもあるだろ、喋りかけて電話かけたりネット検索したりとかな。この部屋はKetuがいるんだ」
「へえ」
「当然、他の人の声では反応しない。扉の近くにはマイクはなくてな、部屋の中だけだ。つまり部屋の外からは、Ketuでは施錠できん。部屋の天井にマイクがあるだろ?」
見上げてみると、黒い筒みたいなのが突き出していた。
「帰る時などに鍵を閉めるのなら――部屋の外から鍵を閉めるのなら、カードキーしか無理だ。中からは、カードキーとKetuで施錠できる」
「Yo.Ketuちゃ~ん、聞いてるぅ~? Ketuちゃ~~ん部屋の鍵を閉めて~~」
「やからおかん、本人の声やないとあかんて……」
おかんは、もう、愛想のない子やで、と怒っていた。
挨拶は大事。
それは認めるが、機械にまで求めるな。
朝倉はごほんと咳払いすると、
「今日の朝、社員たちが出勤し、朝礼の時間になっても社長は姿を見せなかった。来ていないのか、社長室にはおるが時間になったことを忘れているのか。社長室に向かった。鍵がかかっており、ノックしてみても反応はない。カードキーのスペアは社員のいるオフィスにあるが、なくなっていた」
「なくなっていた?」
「そうだ。あとでわかることだが、社長室の中にあったんだ。カードキーは、社長が普段から使っているキーとスペアの二つしか存在しない。そのどちらも阿東のポケットの中にあった。スペアはおそらく阿東が持ち出したと思われる」
「カードキーでは施錠できひん……」
おかんは腕を組んだ。
「そうなるな」
「誰が社長室に行って、そのあとオフィスにカードキーがないか確認したん?」
「専務の速水(はやみ)正樹(まさき)と、事務員の折原(おりはら)彩乃(あやの)だ。二人はスペアもないと確認すると、もう一度、社長室の前に向かいノックして呼ぼってみた。電話をかけてみると、中から着信音が聞こえてきた。中にいるということだ。阿東になにかあったと思い、速水は男を集め扉を蹴破ることにした。すると椅子に座り喉から血を流し、目を見開きぴくりともしない阿東がいたというわけだ」
「誰も阿東に触れてないの?」
「触れてない。脈をはかる必要もないと感じ、不用意に触れるのもいけないと考えた。だから部屋の中の物にも手をつけていない」
なるほど、部屋に突入してから殺したという方法は取れないわけだ。
部屋の外からはカードキーでしか施錠はできず、部屋の中ではKetuが仕事をしてくれる。だがカードキーはスペアも中にあり、施錠は不可能。部屋の外から叫びKetuに鍵を閉めさせようとしても、阿東の声にしか反応はしない。叫ぼうとも声が届かないかもしれないが。
密室だ。
阿東を殺害し、鍵を閉め逃亡することはできない。
犯人はどのようにして殺人を成した?
「包丁には、阿東の指紋がついていたが、握らせれば済む話だからな」
「自殺ではないんですか?」
とおれは尋ねた。殺人が不可能ならば、残された可能性は事故か自死。
「微妙なところだ」
と朝倉は渋面を浮かべ言った。
「自殺する動機は今のところないし、遺書もない。喉に刃物を突き刺し自殺というのは、ないわけではないが、珍しい。なにせ自分に刃物を突き刺すんだからな」
「包丁で自殺するんやったら、自宅でしそうですね。わざわざ会社に包丁を持って来て、自殺するなんて……」
「そうだ。このまま犯人がわからなければ、自殺として処理される可能性もあるがな……指紋もあるし……。それも踏まえ、結論を出してもらいたいと考えている」
「カードキーのスペアのスペアを犯人が作っていたとかは?」
「それもないと思われる。カードキー会社に確認してみたところ、発注はなかった。その二つだけだ。他のカードキー会社で作るのは無理だ」
「デスクの後ろにある窓はどうです」
「もちろん鍵は閉まってる。クレセント錠だ。鍵爪のような金属を引っかけロックするやつだ。無理に開けたような跡も、工作した跡もない」
「扉の方もですか」
「ない」
どのような工作で密室を作れるかと考えていると、扉の隙間ならカードキーを通すことができるなと思った。カードキーで扉を閉め、隙間から中へ放り込むことはできるが、阿東のポケットに入っていたことを思い出した。糸などで装置を作り、キーをポケットに入れたのか? 朝倉は、工作の痕跡はないと言っていた。隙間から遂行はできない。
「なら本当は鍵は開いているのに、速水と折原が嘘をつき閉まっていると言った可能性は? 二人が犯人で、捜査を撹乱するために密室に見せかけたんです」
「その二人だけでなく、蹴破る時ではあるが鍵がかかっているのを他の者も確認している。それに今現在も、蹴破ったためどうやら施錠状態にあるらしい。もとから鍵がかかっていたという証明になるだろ?」
「そうみたいですね……」
おれは顔をしかめた。バトンタッチしたかのようにおかんは話し出した。
「カードキーや、部屋にKetuを導入したのも社長自身?」
「そうだ。さっきも言ったように新しいもの好きだからな。社員のオフィスなどは、カードキーだけでKetuはいない。補足しておくと、オフィスのカードキーと社長室のカードキーは、もちろん別物だ。併用はできない」
「死亡推定時刻はいつなん」
「夜の九時から十時。社員は全員九時頃までには帰っていたから、それ以降は社長一人だ。目撃者はいない」
「この会社には防犯カメラはないの?」
「ああ、それがな、会社の玄関に一台備え付けられていたみたいなんだが、壊れていたんだ。昨日に発覚した」
「じゃあ犯人に壊された可能性もあるってわけやね」
「そうなる。どうやら外部から衝撃があったみたいだからな」
朝倉は頷きながら言った。
おかんは頬に右手を当て、う~んと唸った。頬をぷくーと膨らませているが、息子としてはやめてもらいたかった。全然、キュートではないし、別の意味で胸がきゅうっとなるのだ。
身内の恥は心臓に悪い。
映像がないのは痛手だが、壊されたということは計画された犯行の証明になる。
「物は取られておらず、阿東の財布にも手をつけていない。物取りではない」
「仮想通貨の会社なんだから、データとかを盗られたとかは」
「社員はその可能性を考慮し調べたが、どこにも異常はなかった。データを狙うのなら、そういった奴らはハッキングを行うだろうな。阿東健吾の命が目的だということだ」
「外部犯ではなく、知り合いが怪しいと……」
「しかも社員だ。会社で殺されていたのだからな。社員ならば、社長が一人の状態になったのかも把握でき、その日のスケジュールもわかる」
「これが肝心やで刑事さん。容疑者はいるの?」
「いる。三人だ。その者たちだけがアリバイがなく、社長とも接する機会が多い」
「その人たちと話をすることってできる?」
「できる。会社にいるためすぐに聞けるぞ」
「じゃあさっそく聞こかな」
「手配してくる」
朝倉は部屋を出て行った。
おかんは持て余した時間で、顔馴染みの刑事と世間話を始めた。相変わらずおばちゃんの微笑みで、まるでスーパーで知り合いと出会ったような雰囲気だが、ここを殺人現場だということを忘れているらしい。
母は強し、という言葉が浮かんだが、少し違うような気がした。
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