明日しか見えないボクが死ぬ時、明日はナニが見えるんだろう

武論斗

シュレディンガーの僕

 ――ボクはキ○ガイ。


 明日と昨日までしか分からない、はかない、心許こころもとない。

 今、という時を失ったボクは灯台もと暗し、穀潰しの闘病暮らし。


 聴いた話――


 ボクはカノジョに襲い掛かった暴漢の持っていた兇器の“ナタ”を頭に食らってしまった、らしい。前頭葉、とかいう箇所に重大な障害を負ってしまったっぽい。

 ――っぽい、というのは、命に別状はないから。

 ただちょっと、頭が<>なってしまった、その程度、さ。

 カノジョ、とうのは、ああ、幼馴染みのキミのコト。無論、分かっているとは思うけど。


 お医者さんは、首を傾げていたっけ。

 と云うのも、知性に問題はないから。でも、致命的なかを失ってしまったらしい。

 を失ったかと云うと、、という記憶。

 どうにも、ボクには今日という“今”の記憶がない。

 昨日のことは覚えているさ。ただ、今、って記憶が存在しないんだ。

 引き換えに、“明日”が見える。

 明日の今が分かるんだ。

 凄いだろ?

 為替だって競馬だって天気だって、明日の今くらいの頃合の“それ”が見えるんだ。凄いだろ?

 お医者さんは、前頭葉徴候ちょうこうたぐいと云っていたけど、それが何なのか、ボクには分からない。


 ボクはコレを<桂馬>に例えている。

 ぴょん、と跳ねて1つ飛ばして2つ目に移動できるんだ。勿論、ナナメ先だけど。

 ああ、分かってるさ。

 そう、ボクは完全に気が違っているんだってね。

 だから最初に云ったろ?


 ――そう、ボクはキ○ガイ、なんだって。



 ボクは、考えている。

 仮に、Twitterのタイムラインの“今日”分のツイートが削除されていたとしたら、って。

 昨日分のツイートは当然、見られる。

 ――そして、

 明日分のツイートが、ナニモノかによって呟かれている。その呟きを先んじて見ている、そんな感じ。

 同時多発テロや未曾有の地震、株価の世界的暴落、未知のウイルスによる被害だって分かっていたさ。ソレを信用しないのはキミ達の問題さ。ボクが悪いワケじゃない。

 ただ、ボクは“今”が分からない。今日分のツイートが、何者かによって非表示にされている。ボクはボクのツイートだというのに、今日の分の呟きは鍵付きで見られない。

 朝、何を食べ、昼、何を食べ、夜、何を食べたのか。

 今日、トイレに何回行ったのか。体は拭いたのか。そもそも、キミと何を話したのか。

 勿論、明日になれば思い出す。昨日の朝、何を食べ、昼、何を食べ、夜、何を食べたのか。トイレに何回行き、キミと何を話したのかも。

 そう、――

 明日になれば思い出す。記憶という名の思い出が、ボクに語りかけてくるんだ。

 ああ、ボクは明日と昨日までしか記憶にない。

 今日という今を、今知るすべはないんだ。キミや誰かがボクを観測した記録を伝えてくれないと、ボクはボクの今を知ることが出来ない。


 そう、ボクは“廃人”なんだ。



 お医者さんから話を聞いた日、いや、その翌日、その日のコトを今でも覚えている。

 父さんは声を押し殺して黙っていた。母さんは泣いてた。キミは……ああ、やっぱりっけ。

 あの事件が起こったのは高二の時。父さんも母さんも、今では大分皺が増えてきた。キミもだけど。

 ボク?

 ――さぁ?

 鏡、ってのを、最近、いや、ずっと見ていないから分からない。

 ただ、記憶が曖昧になってきたってのは気付いている。

 明日のこと、そして昨日までのこと、それは分かる。でも、昨日までの記憶が段々薄れて来ている。

 恐らく、加齢、に因るものだろう。

 多分、もう、何十年も経っているのだろう。

 ベッドの上で過ごすことが増えてきた。動くのが辛い。筋力の衰え。いや、それ以上に気力が失せている。

 当然、だ。

 だって、今って時間がボクには、ない。

 だから、今を語らうコトができない。

 明日の話と昨日の話はいくらでも出来る。でも、今を話すコトが出来ないんだ。

 キミが何故、微笑んでいるのか、何故、悲しそうなのか、その記憶がない。それを、今、認識出来ない。

 ボクは未来に生き、過去に生きる。

 今を共に生きるコトが出来ないんだ。そんなボクを、キミはずっと見守ってくれている。


 キミが記してくれたノート。

 凄い数、だ。

 そのノートには、ボクが語った“明日のコト”まで書かれている。

 明日のコト、その全てが的中していた、とキミは語ってくれたね。ボクの語る未来の、明日の出来事が妄想ではない、とキミは証明してくれるんだ。

 昨日も、一昨日も、一昨昨日も、先月も、去年も、ずっと何年も、何十年も、キミはボクの話す“明日”と“今日”という名の過去を記録してくれている。


 ――ありがとう。。


 ふと、キミのノートの目を落とす。


『20○○年○○月○○日○○時○○分

 明日の昼過ぎ、から蒲焼きが食べたいな、って』


 ハハッ――

 ボクのに付き合ってくれている。

 相変わらず、優しいなキミは。

 、なんて世迷い言までメモってくれているなんて、さ。

 ふふっ。

 そんなないじゃないか!


 空から降ってくるのは、

 だよ!!

 うなぎのワケがないじゃないか!

 まったく――

 ――キミってヤツは……


 よし!

 今日も、今日というのが今なのかさえ分からないけれど、キミに明日起こる話をしておこう。


 ――明日は、


 そう、


 ボクが死ぬんだ――



 そう云えば、父さんや母さんを、久しく見ていない気がする。

 何故なのか、キミに訊ねる。

 キミが悲しそうな表情を浮かべたってのは、明日、気付く。

 ゴメン――

 今はまだ、分からないんだ。

 ボクの時間は、未来と過去にしか存在していないから。

 今って時間を共有できないこと、キミに謝るコトしかできない。

 ――ゴメン、ね。


 “理由”を聞いてボクは納得したが、それも明日以降の記憶に頼らなければいけない。聞き出した理由を、今、それを理解することは出来ないのだから。何故、納得出来たのかは分からない。それも勿論、明日になれば分かるはず。

 ただ、何となく、目頭が熱くなった気がする。

 何故だろう?

 勿論、そんな疑問さえ、今は感じられないのだけれど。


 ふと、ボクは思った。


 今が分からない、今が見えないボク、明日しか見えないボクがいなくなる時、ボクには何が見えるんだろう、って。

 明日、ボクは死ぬ。

 そんな明日、ボクは死ぬ寸前、一体、ナニが見えるんだろう?

 天国が見えるのだろうか?

 地獄が見えるのだろうか?

 それとも、ナニも見えなくなってしまうのだろうか?


 ――まぁ、いい。


 明日になれば自ずと分かる、さ。

 一体、ナニが見えるのか。

 ボクの壊れた脳では、今はまだ分からないけど、明日になれば答えは出る。

 キミに、最後に語る“明日”の話。

 明日を楽しみにしておいてくれ。

 それがボクの最後の言葉になるはずだから。




 やぁ。

 元気そうだね。

 随分、老け込んだね、キミ?

 いや、コレは昨日の記憶かな?

 そりゃそうだ。今、って記憶はないのだから。認識できない今を語るってのは、そりゃウソになっちまう。

 ゴメンごめん。

 こんなコトを語るつもりはないんだ。

 そう、ボクが語りたいのは、明日のコトなんだ。


 そう、明日。

 ボクが見ている明日、それは――


 キミの笑顔。


 アレ?

 不思議だな。

 明日、キミの笑顔が見える。

 おかしいな?

 何故、こんな抽象的なコトが見えているんだろう?


 ……違う。

 違うんだ。

 ボクが見ていたのは、明日、なんかじゃない!


 キミ、なんだ!


 明日じゃなく、キミを見ていたんだ。

 キミを、明日のキミを、明日もキミに逢いたくて、キミの明日を見たくて、ボクは、ボクはずっと、キミを追い掛け、追い続けて。いつしか、キミを追い越し、キミの明日を見たくて。

 キミの笑顔を見たくて――

 泣き崩れたキミの顔を見たくなくて。

 ボクは、ボクはキミの笑顔を見たくて。


 ああ、ボクはキミという“願望”を見ていたんだ。


 ボクは壊れてて、今という時を認識出来ない。

 キミという“観測者”がいなければ、ボクはボクを認識できやしないんだ。

 でも、やっと分かった。

 もう、明日は見えない。いや、ボクから見えないってだけ。

 キミからは見えている。明日も明後日も明明後日も。

 そう、キミがボクを認識してくれたから、ボクは永遠になれるんだ、キミの中で。


 ありがとう、ボクを見てくれて。

 ボクをてくれたからボクは存在できた。ボクをてくれたからボクは生きながらえた。


 ゴメンね、キミを拘束し続けて。

 ボクという呪いが、キミの時間を奪ってしまった。

 もう、充分。

 解放すべき、だ。

 キミ、を。

 ボクという呪いの鎖から。


 ボクという存在は、キミによって成り立っていたんだ。

 キミがボクを認識してくれたからボクは存在できたんだ。

 ボクという曖昧な存在は、キミの御手みてによって成されていた。

 ボクはもう消えるけど、キミという大切な人の記憶に生き続け、思い出へと変わるだろう。


 ありがとう。

 出来れば、ボクがキミを支えてあげたかったのだけれど。

 キミの命を救えたコトだけが、ボクの存在を求めたんだ。



 明日しか見えないボクが死ぬ時見たものは、キミの瞳に映ったボク。

 そして、ボクの瞳に映ったキミとの鏡合わせは永遠とわ永久とこしえに……

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明日しか見えないボクが死ぬ時、明日はナニが見えるんだろう 武論斗 @marianoel

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