第66話 最後の生徒会長の告白

 テーブルの上に並ぶのは、二人分の昼食。豆腐とわかめのシンプルな味噌汁、キャベツの和え物、アルミホイルからのぞくさけ、ほかほかのごはん。


「いただきます」


 先輩はひどく神妙な面持ちで手を合わせた。まるで、これが人生最後の食事であるかのように。


「鮭、おいしい。口に含むとバターの風味がいっぱいに広がるけど、レモンのおかげでさっぱり食べられるね」

「はい……。これなら手軽に作れるし、じっくり火を通すから、お母さんに生焼けの心配されなくて済みますよ」

「そうだね」


 くすりと笑う先輩。けれどそこで会話が途切れる。


 なにか言わなきゃ、と思ったとき、口内にちくりとした感触。鮭の小骨だ。

 いつもは『仕方ないよね、魚だもの』で受け流せる小骨の存在が、今日だけは無性に俺をイラつかせた。


 ……ああ、俺、イライラしてるんだ。


「ねぇ、ゴウくん」


 改まった先輩の呼びかけ。俺は一呼吸置いてから、極力冷静に返事をした。


「……はい」

「わたし、ゴウくんは『そのこと』を知らないんだろうなって、ずっとわかってたよ。入学初日からしばらく休んでたって聞いてからね」

「そうですか……」


 ついに、その話が始まるんだ。俺はあえて箸を置かなかった。先輩も食事を続けているし、あくまで『食事中の雑談』として扱おう。


「だからお昼ごはんに誘ったの。生徒会に対して余計な先入観がないだろうなって思って。

 わたし、人恋しかったんだ。大勢で食べるのも苦手だけど、ひとりぼっちはもっと苦手だった」

「……っ」


 切ない告白に、胸がぎゅっと締め付けられる。

 問題を起こし、生徒から見放された生徒会。そこに残るたった一人の生徒会長は、平気へっちゃらな顔をしながら、ずっと孤独を抱えていたんだ。


「どうして、生徒会が終わってしまうことを教えてくれなかったんですか?」

「言う必要もなかったの。言ったところで、もうすでに決まったことだし」


 物悲しそうにつぶやいたあと、先輩はズズッと味噌汁を口に含む。


「気を使わせたくなかった……っていうのは建前かな。

 本当は、わたしが卑怯だからだよ。ゴウくんと穏やかなお昼休みを過ごしたかった。ゴウくんのごはんを食べたかった。どうしてそんなことになってしまったのか、生徒会についての『真実』を語りたくなかった。

 ……そんなわたしは、ゴウくんに仲良くしてもらう権利なんてないんです」


 突然敬語になった先輩に、俺は泣きそうになった。数か月かけて縮めてきた距離を、一瞬にして離されてしまったような気がして。


「ごめんなさい、ゴウくん」


 先輩はとうとう箸を置いた。俺を見つめながら立ち上がって、ほぼ直角に腰を折る。


「何度も力になりたいって言ってくれたゴウくんの気持ちを、踏みにじっていました」

「やめてください!」


 俺の叫びに、先輩のきゃしゃな肩が震える。

 ああ、声を荒らげたりしたらダメだ。男の俺が怒鳴ったりしたら、女子はすごく畏縮するだろう。


「『仲良くする権利』とか、そんなの水臭いですよ。先輩が俺に言えなかった気持ち、すごくわかります。俺だって、この質問をするべきか迷いました。

 だって、二人の関係を壊したくなかったから。先輩も同じ気持ちでいてくれたってわかって、嬉しいです。

 でも……この程度のことで、俺たちの関係は壊れたりしませんよね……? 違いますか……?」


 優しく、諭すように……懇願するように言う。

 すると、先輩は下げていた頭をゆっくりと戻した。わずかに濡れ光る目を細めて、安心したように微笑む。


「うん……そうだね」

「じゃあ、ごはん食べましょ。食べながら、ゆっくり教えてください」


 そうだ、俺たちはいつも、食事をしながら話をしてきた。その関係を続けていこう、可能な限り。


「生徒会については、もうどうしようもないんですか? 本当に先輩でおしまい、なんですか?」


 バターレモン風味に染まったアスパラを飲み込んでから、俺はできるだけゆっくりとした口調で尋ねる。

 対する先輩も、箸でアルミホイルを広げつつ、非常に落ち着いた様子で答えた。


「うん、決まったことなんだ。ぜ~んぶ、去年の今頃に。

 当時の在校生が選択したのはね、

 その1、生徒会は翌年度の九月で廃会にすること。

 その2、後継は風紀委員を中心とした『委員会総会』が務めること。

 その3、新一年生にはこの問題を背負わせないこと」


 整然とした説明に、俺は首をかしげる。


「どうして、今年度の九月までなんですか? 問題が起こって即時廃会にはならなかったんですか?」

「理由は二つ。まずは、わたしが生徒会長に立候補したから。いわゆる『終わコン』になっちゃった生徒会に、たった一人でしがみついたから。

 わたし、尊敬する阿藤先輩のため、生徒会に『有終の美』を飾りたかったの。どうしても、どうしても。

 それから、新一年生にもある程度事情をわかってもらうため。入学したらいきなり『この高校には生徒会がありません』よりも、『途中から生徒会がなくなります』の方が切り替えがスムーズにいくんじゃないか、って」


 なるほど、と俺は麦飯を咀嚼しながら軽くうなずく。


「ゴウくんたち一年生には、一方的に決定事項を押し付ける形になっちゃって、本当に申し訳ないと思う。

 でも当時、生徒間でも、先生の間でもたくさんの議論があったんだよ。その結果、すべてを生徒たちの投票で決めようということになったの」


 そういえば、鞘野さやの先輩もそんなようなことを言っていたっけ。


「まぁたしかに、投票っていうのは妥当なところですよね」

「うん、いろいろと僅差きんさだったけどね」


 先輩はしみじみとした様子で息を吐いたあと、柔らかく笑う。


「半数以上の生徒が、わたしの存在を認めてくれたんだ。『頑張って』って励ましてくれたんだよ」


 でも俺は、先輩をおとしめる勢力が存在していることも知っている。球技大会のとき、それをまざまざと思い知らされた。

 それに先輩自らが、生徒会を『針のむしろ』だと表現している。


 たった一人むしろの上で耐える先輩が、ようやく見つけた『俺』という安らぎ。多少義理を欠いてでもそれを失いたくないと思う気持ちを、責められるはずがない。


「忘れないでください。俺も、先輩を応援しているうちの一人です。先輩が先代会長を尊敬しているように、俺も先輩を尊敬しています。球技大会のとき、壇上で挨拶した先輩は本当に素敵でした。先輩こそ、最後の生徒会長に相応しい人物だと、心から思い、ます……」


 語尾がかすれた。鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。


「俺にできること、ほんと、に……ないん、ですか? ほんとに、生徒会を終わらせちゃってもいいんですか……? 署名活動でも、なんでも、します……」


 グズグズとはなをすすりながら言うと、先輩は微笑みながら静かにかぶりを振る。


「全部、もう決まったことなの。今から蒸し返しても、混乱が起きるだけ」


 先輩の言う通りなのだろう。もうすべてが遅すぎる。それに、『一年生に問題を背負わせない』という上級生たちの心遣いを踏みにじることになってしまう。


「ゴウくん、その気持ちだけで本当に嬉しいよ。すっごくすっごく、嬉しい……」


 先輩の優しい言葉が、俺の心に染み渡っていく。同時にますます無力感にさいなまれて、泣き叫びそうになった。


 でもそんなことしたってなんの意味もない。俺はうつむいて食事を続けた。

 すべて知ったときにはすべて終わっていたって、すごくむなしい。


「ねぇゴウくん。もう一つ、言わなきゃいけないことがあるの。本当は言いたくなんてないんだけど、ここまできたら話さなきゃ、ってことが」


 腹をくくったような先輩の物言いに、俺は口に含んだばかりの鮭をごくりと飲み込んだ。

 先輩の表情は凛と張りつめていて、『巴あきら』ではなく、『春山北高校生徒会長』としての顔をしているのだとわかった。


「な、なんでしょうか」

「それはね、生徒会が終わってしまうことになった、本当の理由・・・・・

「原因は飲酒・喫煙だけじゃない、ってことですか」

「うん。たぶんそれだけだったら、生徒会はなくなったりしなかった」


 先輩の瞳の奥が揺らぐ。そこに灯るのは、怒りとも悲しみともつかない激情。夏休みに入る前、前副会長の榎木田えのきだについて語ってくれたときに現れたものと同じだ。


「でもごめん、ここじゃ言いたくない」


 先輩はぎゅっとくちびるを引き結ぶ。


「せっかくおいしいご飯を食べてるのに……そんな口が腐り落ちそうになること、言いたくないよ」

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