第58話 MOTHER3

 先輩のお母さんは、俺を見つめたまま母ちゃんへと語りかける。


「……非常にしっかりしたお子さんですね」

「恐れ入ります」


 母ちゃんはめちゃくちゃ嬉しそうに笑い、言葉を続ける。


「巴さん、わたしには息子しかいませんので、娘を持つ母親の気持ちは十全にわかりかねます。

 ですが、年頃の娘さんが男子の家に出入りしているとなると、不安で居ても立っても居られないという気持ちは理解できます。本題はそちら・・・ではないのですか?」

「お恥ずかしながら、おっしゃる通りです。娘の交際関係に過度に口を出したくはない反面、相手はどんな男の子なのか気になって、心配で仕方がありませんでした」


 大人たちの会話に、俺は恥じ入った。

 先輩が家に来てくれたことに浮かれまくって、エプロン姿に興奮していた自分が本当に情けなくなる。

 お年頃のガキの思考なんて大人たちにはお見通しで、なにか間違いが起こっていないかと心配するのは当然のことだ。


「……ですが今日、お邪魔してよかったです。豪くんの話を聞けて、為人ひととなりを知れてよかったです」


 先輩のお母さんの視線が再度俺を捉えた。口元に浮かぶのは、先輩そっくりの笑み。


「わたしには、豪くんのことはもちろん、あきらのことも責める資格はないんです。あきらには食費だけ渡して満足して、普段なにを食べているかちっとも気にしてこなかったんですから。

 改めて聞いてみると、豪くんに出会う前は、お昼はコンビニ、夜はシリアルやダイエットバーで済ませることも多かったそうです。

 それが今は、お昼は毎日野菜たっぷりのお弁当で、水曜日の夕飯は一汁三菜。おかげさまで、ニキビや便秘がずいぶんよくなったと喜んでいました」

「そ、そうですか」


 生々しい話に、俺はちょっと照れる。そういうデリケートなコト、先輩は男の俺に知られたくないんじゃ……。『母親』って、こういう無神経ところあるよなー……。


「本来なら母親であるわたしが気に留めてやらねばならないことを、豪くんにしてもらっていたんです。あきらの母として、本当に感謝しています」


 そこで先輩のお母さんは、ゆっくりと立ち上がった。


「ありがとう、豪くん」


 俺に向かって、深々と頭を下げる。


「豪くんさえ迷惑でなければ、今後もあきらにおいしいごはんを作ってやってください」

「えっと、その……」


 すぐには手放しで喜べず、母ちゃんを窺うと、ニヤニヤと笑うばかりだった。『答えはあんたに任せる』ということだろう。


「はい、頑張ります」


 腹の底から声を出しつつ、俺も頭を下げた。


「豪を信じていただき、ありがとうございます。大切な娘さんに万が一のことがないよう、重々留意いたします」


 母ちゃんも頭を下げ、同時に俺の背中を軽く叩いた。これは、激励といましめかな。


 とりあえず話がいい方向にまとまり、三人が一斉に腰を下ろす。ホッと胸を撫で下ろしていると、先輩のお母さんがまだ俺を見つめていることに気付いた。


「ところで豪くん。あえてあきらには尋ねませんでしたが……豪くんは、あきらのことが好きなの?」

「そ、それは……!」


 なんつーダイレクトな質問をしてくるんだ。そこは察して欲しかったよ。

 なんと答えたものか、俺は高速で思考を巡らせる。

 隣の母ちゃんは我関せずという様子で麦茶をすすっているけれど、絶対に耳をそばだてている。


「こ、この場では言えません!」


 必死に絞り出した答えは、決して『逃げ』じゃない。未だ先輩にさえ言っていない言葉を、先に母親たちに聞かせるわけにはいかなかった。


「でも決して、巴先輩に迷惑をかけないようにします!」


 そうだ、決して『迷惑』はかけない。先輩が俺に興味を失くしたら、そのときは大人しく身を引く。絶対に恨んだりしないし、ストーカーみたいな真似はしない!


 先輩のお母さんは、申し訳なさそうに目を伏せる。


「そうよね、無遠慮な質問をしてごめんなさい。……若いあなたたちが、分別ふんべつある付き合いをすることを信じています」

「は、はい」


 『分別ある付き合い』。俺はその言葉をしっかり胸に刻み込んだ。


 と、そのとき、再びインターホンが鳴ったから、母ちゃんが面倒くさそうに席を立つ。


「あら、この子って、もしかして……」


 モニターを見ながら首をかしげ、通話ボタンを押す。


「はい、どちら様でしょうか」

「と、巴あきらと言います。うちの母がお邪魔していないでしょうか」

 

***


「もう、ママったら! ゴウくんの家に行くときは一緒に、って決めたじゃない!」

「だってぇ、あきらちゃんがいたら、したい話ができないんだもの~」

「なにそれ! どんな話をしたの!」


 母娘の会話に、俺は圧倒された。

 先輩がこんな風にキャンキャンと怒る姿を見るのは初めてだ。一方のお母さんも、先ほどまでの凛とした姿が嘘みたいに甘い声を発している。


「本当にうちの母がすみません!」


 先輩がうちの母ちゃんに向けて頭を下げた。思わず見とれるくらい、美しいお辞儀だった。


「ゴウくんのお母さまには、いつかきちんと挨拶をしなくてはと思いつつ、気後れしてしまっていました。結果、こんな形になってしまい、申し訳ございません」

「いいえ~、そんな気にしないでぇ~~」


 母ちゃんはスケベオヤジみたいに目尻を下げて、ついぞ聞いたことのないような猫なで声を出した。

 どうやら、一目見て先輩のことをいたく気に入ってしまったみたいだ。嫁扱いするのは百万年早いからな!


「ええと、あきらさん。こちらこそ、豪の料理を気に入ってくれてありがとう。今後も仲良くしてやってね」

「は、はい、ありがとうございます……」


 みるみるうちに先輩の頬が赤くなる。いきなり知らないオバサンと対峙する羽目になって、緊張しているんだろうか。


 それから、ほんの少し雑談したあと、母娘で連れ立って帰っていった。

 玄関のドアが閉まる寸前まで、巴家と三ツ瀬家の面々は互いに頭を下げまくっていた。


「あんたも隅に置けないわね」


 リビングに戻った途端、母ちゃんに小突かれる。そのにやけたつら、すこぶる気に食わない。

 大きくため息を吐いてから、俺はつっけんどんに言ってやる。


「あのさ、俺と先輩は彼氏彼女とかそんなんじゃないから。余計なことすんなよ!」


 すると母ちゃんはなにか言いたげに口を開いたけれど、ふっと肩をすくめて、「わかったわ」とだけつぶやいた。


「結局、材料費とかの問題はどうなったんだ?」

「それは、母親同士でやり取りするから気にしなくていいわ。あんたは衛生管理と、『分別ある付き合い』だけを意識してりゃいいから」

「うん……わかった。それにきっと、俺と先輩の付き合いは長くても今年まで……いや、九月までだよ」


 悲観さをにじませながら言うと、またもや母ちゃんはなにか言いたそうにした。

 でも結局、「青春アオハルねぇ」とぼやいただけだった。


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