第45話 誰も寝てはならぬ
「ねぇゴウくん……。あのね……」
弁当箱を保冷バッグにしまった先輩が、改まった様子で俺に向き直る。だから俺も慌てて片付けて、おっかなびっくり先輩に
「ど、どうしました?」
「あのね……以前、なにかできることがあれば言ってください、って言ってくれたよね」
「はい」
一瞬にして緊張して、ごくりと唾を飲み込む。少し前、俺が本心から告げた言葉を覚えていてくれたんだ。そして、実際に頼りにしてくれようとしている。
そう思うと嬉しい半面、どんなことをお願いされるのか、不安でもあった。けれど、どんな無理難題を出されても、絶対に拒否なんてするものか。
「ゴウくん……わたしね……」
先輩は深くうつむき、ひどくもじもじしたような様子で言う。
「わたし……ゴウくんに料理を教えて欲しくって……」
「へえっ?!」
俺の口から、素っ頓狂な声が飛び出した。先輩の頬が林檎みたいに真っ赤になっているのを見て、慌てて口元を押さえる。
先輩は髪をいじったり、スカートの
「なにもかも全部、基礎の基礎から知りたいの。スーパーでの買い物の仕方、食材の選び方、ご飯の炊き方、お味噌汁からおかずの作り方まで……」
「え、ええと……はい、もちろんお安い御用ですけど……うぉえ?」
今の正直な気持ちは、『これって現実に起こっている出来事なの?』だ。
憧れの女性と、スーパーで一緒にお買い物して、一緒にメシ作って……って……え? そんな夢みたいな話あるか?
俺は白昼堂々、妄想が具現化した夢を見ているんじゃないだろうか。
もしくは、俺が了承した瞬間、『ドッキリでした~テッテレー♪』みたいな展開になるのでは?
無表情のままあれこれを思いを巡らせる俺に、先輩はさらに言う。
「ゴウくんの家に行っちゃダメ……かな。わたしんちに来てもらってもいいんだけど、料理道具がちゃんと揃ってるかわかんなくて……」
あーなるほどね、確信した。これやっぱり夢だわ。
先輩が頬を赤らめながら、どことなく上目遣いで、『ゴウくんの家に行っちゃダメかな?』なんて言うわけないじゃん。ハハッ。
一度、自分の横面にビンタを入れて、現実に戻ろう。
「ごめん、やっぱ迷惑だよね。ご家族もいらっしゃるだろうし」
心底申し訳なさそうに引き下がろうとする先輩を見て、俺の理性より先に本能が動いた。
「いえっ、むしろご家族は誰もいらっしゃいましぇんので……! それでもよろひければ、ぜひいらっひゃってください!」
「本当にいいの?!」
先輩の表情に笑顔が戻る。
「は、ははい! 俺なんかでもよければ、誠心誠意お伝えいたします!」
俺は両手でズボンの生地をぎゅうっと掴んだ。こうでもしなくては、興奮しすぎて先輩の手を握ってしまいそうだったから。
乱れた息を整えながら、ゆっくりと理性を回復させる。
先輩は純粋に料理を習いたいだけだ。だから俺も、その気持ちに真剣に応えよう。
そのついでに、ちょっとだけカップルごっこを楽しんでも
「俺、いつか先輩に、弁当以外のごはんも食べてもらいたいって思ってたんです。だから、その夢が叶って嬉しいです……!」
感極まった俺は、つい本心を告白してしまった。すると先輩も、俺を見つめたままキラキラした瞳で言う。
「うん、わたしも、ゴウくんが作る、お弁当以外のごはんを食べてみたいって思ってた……!」
二人の気持ちが交わったーーーー!!
今この瞬間、狭い生徒会室にみっしりと管弦楽団、そして一人のテノール歌手が出現する。彼らが俺たちのために奏でてくれたのは、オペラの名曲『誰も寝てはならぬ』だ。
最後に、トゥーランドット姫の代わりに俺が叫ぶ。
──彼の名は、『愛』です!
はい、妄想終了です。
以前のデート(仮)のときも思ったけれど、調子に乗った言動をしてはいけない。先輩が家に来るからって、まかり間違っても変な気を起こしてはいけない。
俺は至極冷静になって、先輩へ提案する。
「あのぅ……水曜日はどうですか? 毎週水曜は、うちの母親が会社の人たちと飲んで帰ってくるんで、いつも一人分の晩飯しか作ってないんです。でも、一人分だと食材が中途半端に余っちゃうから、大したものが作れなくて。だから先輩が来てくれれば、いつも通り二人分作れるから、ちょうどいいです」
「うん、水曜日なら大丈夫。ちなみに、一回きりじゃなくて、何度かお願いしてもいいのかな……?」
またもや上目遣いで尋ねられ、冷静さが吹き飛びそうになる。
「ももも、もちろんです! 一回じゃ、教えきれないですからね」
「やったー!」
先輩はぱんっと両手を打ち鳴らし、そのままバンザイした。
俺も万歳三唱したい気分だよ。だって、先輩とカップルごっこができるうえに、何回もその喜びを味わうことができるんだから。
けれど、先輩の頼みごとが、生徒会活動に関することじゃなく、料理に関することだったのは少しだけ寂しい。俺はまだ、生徒会長としての先輩の力にはなれそうにない。
でも今は、できることをコツコツとやっていこう。
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