第三章 もっと動く六月

第40話 なぜ嗤うんだい?

 高校生になってから初めてのテストは、つつがなく終わった。どの教科も平均点以上だったから、結果は実に上々と言っていいんじゃないだろうか。


 一番の不安ごとは、ともえ先輩と生徒会の件だったけれど、あれから何事もなかったかのように、いつも通りのランチタイムを過ごしている。


 そして六月に入って三日目の今日は、一学期の一大イベントである球技大会だ。

 空には薄い雲がかかっていて、直射日光を防いでくれている。六月にしては湿度も高すぎず、なかなかの運動日和じゃないだろうか。


 けれど、体育会系ではない俺には、かったるいイベントである、という認識しかない。それでも、退屈な数学の授業を聞くよりは幾分かマシだ。


 まずはグラウンドに全校生徒が整列し、開会式が行われた。

 ダルいなぁ~と思いつつ突っ立っていた俺は、すぐにはっと目を見開くことになった。

 開会の挨拶をするために台上に登ったのは、生徒会長である巴先輩だったから。


 しかし、列の後方に並んでいる俺には、その姿はぼんやりとしか見えなかった。

 俺の位置からわかるのは、先輩が決してうつむかずに背筋を伸ばして立っていることと、上がジャージで下がハーフパンツであるということだけだ。


 ああ、ハーフパンツから伸びる、白く細い脚を間近でしかと目に焼き付けたかった。制服姿のときはハイソックスを履いているから、今日は生ふくらはぎ、生くるぶしを拝むチャンスなのに。


 惜しむ気持ちと共に、優越感もわいてくる。

 全校生徒たちよ。俺は、あの美しい生徒会長と共に、毎日昼飯を食べているんだぜ。

 今、毅然きぜんと台に立つあのひとから、特別な笑顔を向けてもらっているんだぜ。……なんて。


「みなさん、おはようございます」


 マイクを手にそう切り出した先輩の声は澄み渡り、緊張の色はこれっぽっちも含まれていなかった。とても落ち着いた声音で、聞き取りやすく、耳に心地よい。演説慣れしているな、とすぐにわかった。


 入学式のときも、こんな様子だったんだろうか。凛として、さぞカッコよかったんだろうな。尊崇の気持ちが、俺の胸を焦がす。先輩、素敵すぎます。

 

 陶酔状態に陥りかけていた俺だけれど、どこからともなく聞こえた笑声に、一気に我に返った。

 だってその笑い声は、明らかな嘲笑だったから。


 おそらく二年生の列から発せられたであろうその笑いは、ゆっくりと全校生徒へ伝播していく。

 一体どこの誰が笑われているのか、視線を向けて探るまでもなかった。

 それは間違いなく、台上の巴先輩へ向けられた嘲笑だ。なにか失敗したわけでもないのに、どうして。


「あの足、細すぎ」「蹴ったら折れそう」


 どこからともなく聞こえてきたその剣呑な罵倒に、俺はぞくりと震えた。


「静粛に!」「私語は慎め!」


 一部の教師と生徒が鋭い声をあげると、醜悪な笑声はぴたりとやんだ。……いや、それでもわずかに聞こえる。

 くすくす、ひそひそと。小さいけれど明確な悪意が生徒たちの中から生まれ、真っすぐに生徒会長へと向けられている。


「今日は天候にも恵まれて──」

「練習の成果を存分に──」

「体調には十分に気を付けて──」


 開会の挨拶を続ける先輩の声は、相変わらず落ち着き払っていた。でも俺はうつむいたまま、先輩の姿を見ることができなかった。


 脳裏に、先輩から聞いた生徒会の醜聞スキャンダルが蘇る。

 昨年の生徒会内部で飲酒と喫煙があり、すべてのメンバーが去っていった。先輩以外、誰も役員になろうとはしなかった。

 そして先輩がたった一人で、生徒会の信頼回復に向けて尽力している。


 その立派な先輩をあざける生徒たちがいる。

 まるでいじめ同然に、わらい、容姿をあげつらって……。


 どうしてここまで? 先輩は悪くないだろう? 

 どうして、頑張っているひとに対して、あんなに聞えよがしの嘲笑を向けられるんだろう? あまりにひどくないか?


 胸に義憤の炎が灯ったとき、はたと思い至る。

 本来なら不祥事を起こした当人らに向けられるべきヘイトを、生徒会そのものが、生徒会長ただ一人が受けてしまっている、ってことなんだろうか。

 俺のあずかり知らないところで、先輩はたくさんの理不尽に耐えている、ってことなんだろうか。

 すべて、覚悟のうえで。 


 道理で先輩は、俺が生徒会へ入ることを拒んだわけだ。俺が生徒会役員になれば、俺に対しても悪感情が向いてしまうから。


 そして俺には、『それでも構わないから、先輩の助けになりたいです』と言える勇気がない。

 さしたる苦労も知らず、のほほんと生きてきた俺には、どう考えても無理だった。

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