第38話 嘘を口にしてはいけない。しかし、真実の中にも、口にしてはならぬものがある。その2

 先輩は上目遣いになって、俺の顔色を窺うように尋ねてくる。


「ゴウくん、聞いたことなかった……?」

「はい……」


 記憶を掘り返しても、てんで心当たりがない。去年のこととはいえ、保護者や中学校経由で耳に入ってもよさそうなのに。


「一年生には、詳しく教えられてないのかもね」


 先輩は俺から目を逸らし、困ったように笑う。


「去年まで生徒会室は、第二校舎の三階にあったの。こんな物置きみたいな教室じゃなくて、歴代の生徒会が使用してきた、それはそれは立派な生徒会室がね」


 そして、呆れたように肩をすくめた。


「よりによって、その伝統ある生徒会室の室内で、『法令違反』が行われたの。職員室から一番遠いから、先生たちの目も行き届かなくてね。

 それで、生徒会室はこの『第一資料室』に移されちゃったんだ。ほら、ここなら、すぐ近くに家庭科室や理科室があるじゃない?」

「そうですね……」

「あと、この生徒会室を使用する際のルールももうけられたの。

 まず、使用中は施錠しないこと。

 そして、カーテンを全部閉めないこと」


 先輩はちらりと窓の方を見た。その視線を追うと、たしかに半分以上カーテンが開いていた。窓からは渡り廊下がよく見える。通りかかった教師からは、さぞ『監視』しやすいことだろう。

 本校舎に遮られて日光があまり当たらないから、カーテンのことはあまり気にしていなかった。


「なるほど……そりゃ当然、そうなりますよね……」


 物わかりのいい返事をしつつ、初耳のことばかりで頭の中はぐちゃぐちゃだった。


「そんな不祥事があったから、教師にも、風紀委員にも目をつけられてるんですね」

「そうだね。生徒会の信頼は地に落ちちゃった」


 先輩は自嘲するようにふふ、と笑ってから、なぜかうーんと伸びをした。しんみりしてしまった空気を打破するため、あえてやっているんだってわかった。

 けれど俺は、もっと尋ねずにいられない。


「だから先輩が、教師の言うことを聞いたり、恋愛禁止にしたりして、信頼回復に努めてるってことですか」

「まぁ、そういうことだね~」


 先輩の返答は明るい調子だったけれど、俺はますます不安になる。


「まさか、会長である先輩が一人で頑張ってるわけじゃないですよね。昨日ここで勉強会をしていた先輩方が、生徒会の役員ですか?」


 だとしたら、巴先輩だけに仕事を押し付けて自分たちだけ勉強会、っていうのはいただけない。いろいろ聞かせてくれた鞘野さやの先輩のことだって、あんたはなにしてるんだよ、と恨みがましく思ってしまう。


 先輩は、ふるふると頭を横に振った。


「ううん、違うよ。昨日のみんなは、ただの勉強会メンバー。この時期は教室も図書室も混むから、このわたしが、生徒会長権限で使わせてあげたの」


 と、えっへんといった具合に胸を張る。


「じゃあ、他の生徒会メンバーはどこにいるんです?」

「いないよ」

「ええっ」


 驚く俺に対し、先輩はさも愉快そうにカラカラと笑った。


「不祥事の起きた生徒会になんて、だーれも入りたがらなかったし、みーんな辞めちゃった!」


 やけくそ極まりない物言いに、俺の胸がちくりと痛む。

 けれど先輩は、打って変わって落ち着き払った顔をして、俺を真っ直ぐに見て言う。


「でも、そのままじゃ生徒会が消滅しちゃうじゃない。不祥事を起こしたひとなんて、ほんの一握りなのに。

 ここで誰も彼もが生徒会に入ることを拒絶したら、今まで真面目に生徒会活動をしてきた先輩方に申し訳なくって。だからわたしが生徒会長になったの」


 そう語る先輩の瞳には、強い意志がみなぎっていた。思わず尊崇の目を向けてしまうほどに。


 ともえあきらという女性は、ただ明るくてかわいいだけのひとじゃない。自分を犠牲にしてでも、人の上に立つことのできる、立派なひとだ。やっぱり、生徒会長になるべくしてなったひとなんだろう。


 鞘野先輩は、巴先輩が会長になることは投票で決まった、と言っていた。

 ということは、校内には先輩の味方が半数以上はいるということになる。

 ……いや、現一年生は投票に関与していないから、二年と三年の中で半数以上、ってことになるかな。

 でもその生徒たちはみんな、先輩の為人ひととなりを認めたうえで投票したんだろう。


 去年の生徒会で不祥事があった、っていうのは残念な話だけれど、それでも巴あきらという偉大なひとが会長でいる限り、この学校は安泰……そんな気がした。


 果たして俺は、このひとに釣り合う人間になれるだろうか。ただ、飯を作るしか能のない俺が。


「俺になにか手伝えることってありますか? せ、生徒会に入るとか」


 覚悟を固めてそう言うと、先輩は柔らかく微笑む。年上の女性らしい魅力的な笑みは、俺の心臓の鼓動をこれでもかと乱した。


「ゴウくんって、ほんとに優しいね」


 温かい言葉が、胸に染み込む。おそらく俺の脳からは、セロトニンやオキシトシンなどの幸せホルモンが分泌されていることだろう。けれどまだポヤポヤした気分に浸るわけにはいかない。


「前はね、ゴウくんみたいなしっかり者に、生徒会活動を手伝って欲しいって、魔が差した・・・・・ことがあるよ。

 でも、それはだめ。今はね、先生も生徒も、生徒会を疑いの目で見てる。そんな針のむしろに、ゴウくんを迎え入れるなんて、絶対にできない」

「そんな……」

「今はわたしの踏ん張りどころなの」

「でも……」


 何度も食らいついていると、先輩の眉がどんどん八の字になっていく。俺は言葉を飲み込むしかなかった。


「わたし、ゴウくんのお弁当にすごく助けられたよ。ゴウくんと過ごす楽しい昼休みに、すごく助けられた。

 だから、ゴウくんが嫌じゃないのなら……このまま、わたしにお弁当を作って欲しい。それが、わたしからのお願い。ゴウくんに甘えられる唯一のこと」


 切実な物言いは、俺の胸をこれでもかと締め付けたけれど、そこまで言われてしまったら、大人しくうなずくしかない。


「わかりました。でも、他に手伝えることがあったら、なんでも言ってくださいね」

「うん、ありがとう」

「ほんとに、ほんとに言ってくださいね! じゃなかったら、お弁当はオアズケですからねっ!」


 俺が言える、精一杯の脅迫。深刻な雰囲気にならないよう、あえてガキっぽい言い方をした。先輩が俺のノリに合わせて、『もーっ!』と肩パンしてくれることを祈って。


 けれど……。


「うん……ありがとう」


 うつむいた先輩の声は、わずかにかすれていた。スン、と鼻をすする音が、たしかに俺の耳へ届く。けれど俺は、無力感に打ちひしがれる他に、なにもできなかった。

 そのとき、高らかに鳴り響いた予鈴にはっと気を取られた。

 うろたえながらも先輩へ目を向けると、すでに顔を上げていて、いつものように快活な笑みを浮かべていた。


「お弁当オアズケされたら死んじゃうから、なにかあったら遠慮なく頼るね!」

「……絶対ですよ!」


 今の俺には、先輩の笑顔と言葉を信じることしかできない。

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