第29話 デート・バイ・デイライト シーズン7

 またまた俺の発言で、先輩を暗い気分にさせてしまった。

 俺ってほんとバカ、と悔んでいると、先輩は眉間にしわを寄せたまま、ためらいがちに口を開いた。


「でもそれはさ……言っちゃ悪いけど、そのひとたちがおかしいよ。しっかり者のゴウくんを、自分ができないことができるゴウくんを、ねたんでるんじゃないのかな」

「え?」


 思いがけないことを言われ、俺はぽかんと先輩を見る。


「ゴウくんがとっても立派だから、嫉妬して、素直に功績を認められないんだよ」

「そう……ですかね?」


 恐る恐る尋ねると、先輩は憤然と言った。


「そうだよ。だから気にしちゃダメ」


 直後、先輩の口元に、柔らかい笑みが戻る。俺を魅了してやまない、いつもの先輩の笑みだ。


「その点、わたしは素直だから、ゴウくんのこと褒めまくっちゃう! また誰かにひどいことを言われたら、わたしの言葉を思い出して、上書きして」

「先輩……」


 先輩の明るさと優しさが、俺の心にダイレクトアタックをかけてきた。途端、鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなってきたので、これはまずいと上を向く。

 男が、人前で──意中の女子の前で泣くなんて、みっともなさすぎる。耐えろ、俺!


 あわや涙腺決壊というとき、絶好のタイミングでパスタが運ばれてきた。ちょっと遅かったのは、昼時の混雑のせいだろう。

 濃厚なクリームとチーズの香りが俺の食欲を刺激して、涙を引っ込ませてくれた。


「おいしそう!」


 先輩の興味は、もうすっかりパスタへ移ったようだ。いや、もしかしたら、泣きそうになった俺に気を使ってくれたのかもしれない。


「じゃあ、食べよっか」

「そうですね」


 いただきます、と言ったタイミングが重なり、ちょっと嬉しかった。


 それから、改めてカルボナーラへと意識を移す。

 太めのパスタに絡むのは、白いソースとたっぷりのベーコン。上には黒胡椒と粉チーズがまぶされている。

 フォークとスプーンを駆使して軽く麺をほぐすと、ふわりと湯気が立ち上り、鼻腔の奥へと独特の香りが広がった。クリーム系パスタの優しい香りに混ざるのは、ベーコン・チーズの旨味と塩味を彷彿ほうふつとさせる、濃厚な香りだ。


 くるくるとパスタを巻いて口に放り込むと、こってりしたカルボナーラの風味が広がる。次いでベーコンから旨味が染み出て、黒胡椒のピリリとした辛味と混ざり合い、舌を楽しませた。

 脳が『ウマい、最高』と喜び、咀嚼そしゃくもそこそこに飲み込んだ。口に残る味と食感を堪能していると、手が自然に動いて、次のパスタを巻き取っていた。


 それを何度も繰り返していると、食欲が満たされる喜びに、口元が柔らかくほころんでいく。

 それは先輩も同じみたいだった。とてもいい笑顔で、トマトソースの絡んだパスタを口へ運んでいる。


「おいしいですね」

「そうだね」


 会話は短く、それ以上続かなかった。

 でもそれでいい。食べている間は、沈黙に包まれていたっていい。


 だって、ちっとも気まずくないんだから。


 食事中、俺も先輩も、互いに過度の気遣いをすることなく、互いのペースで食べ進めることができる。これって、とってもいいことなんじゃないだろうか。


 このまま、二人の関係がもっと『いい感じ』になっていけばいいんだけど……。

 喜びと不安が胸をよぎった、そのとき。


「ねぇゴウくん、ちょっとちょうだい。わたしのもあげるから」

「あ、はい、いいですよ」


 深く考えずに了承すると、先輩はテーブル端にかさねてあった取り皿を手元に置いて、そこにトマトソースパスタを盛った。だから俺も慌てて先輩にならう。


 小皿に乗ったパスタを交換し合うと、先輩は満足そうに笑い、あっという間にカルボナーラを平らげた。


「うん、おいしい! 今度来たときはカルボナーラ頼んでみようかな」

「こっちのパスタもおいしいですね。……俺も友達と来ようかな」


 本当は、『また二人できませんか?』って言いたかったんだけど……さすがにそんな度胸はないし、無謀すぎる。


 先輩から分けてもらったパスタを味わっていると、今さらながらにとある事実に気づいた。

 俺は先輩の使ったフォークで、先輩は俺の使ったフォークで取り分けられたパスタを食べている。


 こ、これは……間接キスと言っても差し支えないのでは……? 


 一気に動揺して、目を白黒させかけたとき、俺の頭の中に存在する、とびきり凶悪な悪魔が囁いた。


 ──ならばパスタには互いの唾液が付着しているはずだ。

 たとえごく少量であろうとも、唾液を口内に入れ合ったのだから、それはもはやディーpks


 あああああああああ!!!!

 脳内で絶叫した俺は、急いでコップを手に取ると、口内に残ったパスタを、トマトの風味ごと一気に胃へ流し込んだ。


「大丈夫?!」


 先輩は目を見開いて、奇行に走った俺を案じてくれた。


「は、はい、鷹の爪を噛んじゃって……へへへ」

「そっか、わたしも気をつけよ」


 そう言って先輩は食事を再開する。なんとか誤魔化せたようだ、と俺は胸を撫で下ろす。


 ああ、危うくなにかイケナイものに目覚めるところだった。

 冷や汗を流しながら先輩を見遣ると、くちびるの端に白いものが付着していた。間違いなく、俺のカルボナーラのソースだ。


 俺が指摘する間もなく、先輩はほんのわずかだけ舌を出して、それをぺろりと舐め取った。


 にゅっと出現し、ぬるりと引っ込んでいった赤い舌。

 その動きは、俺の目にはあまりになまめかしく映ってしまった。


 俺は死んだ。

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