第7話 おひたしと卵焼きと先輩と俺
「いただきま~す」
割り箸を割った先輩は、俺の弁当箱からほんのちょっとだけ小松菜のおひたしをつまんでいった。
「ん~、ん~、んむ……これが小松菜ね」
あっという間に飲み込んだ先輩は、ふんふんと頷いたあと、しょぼんと寂しそうに眉尻を下げた。
「あ、もしかして苦手な味でした?」
「違うの、おいしかったよ」
そう頭を横に振る先輩は、相変わらず複雑そうな面持ちだ。これは無理してるに違いない。
「もしくはちょっと薄味すぎましたかね……? すみません」
「違うのっ!」
声を荒らげた先輩は、自分の両頬を軽く叩いた。
「ああもうわたしったら、思いっきり
「え?」
「おいしすぎて、もっとこんもり食べたくなっちゃった。シャキシャキしてて、お醤油の味がきいてて……そのお弁当箱ごと、強奪したくなっちゃった」
と、ひょいと肩をすくめてみせる。それから正面に向き直り、サンドイッチの包装を
「小松菜、全部食べていいですよ」
俺は弁当箱の
小松菜だって、先輩のお口でカミカミされるほうが幸福だろう。
しかし先輩は「むむっ」とうなって、葛藤をあらわにした。俺の厚意に甘えていいものか迷っているんだろう。
やがて、名案を思いついたかのように明るい表情で言った。
「じゃあ、サンドイッチと交換でいいかな?」
「相変わらず、釣り合わない交換条件出しますね」
今度は俺が困った。小さなカップに入ったおひたしとレタスハムサンドでは、明らかに後者のほうに価値がある。
「だって、わたしが一方的に要求してるんだから、過剰に提供しないとダメでしょ」
「べつに一方的ってわけじゃ……あ、そうだ」
不意にとあることを思い出した俺は、早口で提案する。
「だったら、追加で卵焼きも一つどうぞ。それならサンドイッチ一切れとトントンじゃないですかね」
「た、た、た、卵焼きもくれるの?」
先輩は信じられないものを見るような目で俺を見た。
実は俺は、いつも三つ入れている卵焼きを、今日は四つ、ぎゅうぎゅうに押し詰めてきていたのだ。もし先輩とお昼をご一緒できるのなら、おひたしじゃなくてこっちをあげる予定だった。
「ありがとう! わたし、昨日からずっとゴウくんの卵焼きの味が忘れられなかったの!」
先輩はホクホク顔でそう言った。等価交換契約が成立したことで、遠慮はすっかり吹き飛んだらしい。
一方の俺は、先輩の誉め言葉が心にガツンとヒットしたせいで、行動不能に
えっと、なんだって?
『昨日からずっとゴウくんが忘れられなかったの』っだって?
俺は、先輩のセリフの一部を都合よくデリートしてから、脳の記憶領域に厳重に保存しておいた。
「あれ、今日の卵焼きも、なにか入ってるね」
先輩は卵焼きをつまむ寸前でそのことに気付き、興味深そうに尋ねてくる。
「はい、今日はしらすとネギの卵焼きです」
「なにそれ! なんだかオシャレ~!」
先輩の顔が光り輝いたのは、未知のものを食す喜びからだろう。
「昨日みたいに一口で食べるのはもったいないから、ちょっとずつ食べるね」
と、四分の一だけ割ってから口へと運んだ。
「ん~、しらすのしょっぱさが卵と合う! あと、ネギの苦みがあるかなと思ったけど、甘いねぇ」
「そうですね、ネギはよく火を通すと甘くなりますから」
「なるほどね! じゃあ、残りもありがたくいただきます」
先輩は俺の弁当箱の蓋に卵焼きとおひたしを乗せ、自分の前へ持っていった。二種類のおかずをゲットしたその横顔は、本当に満足そうだった。
それから、それらをゆっくりゆっくり食べながら、合間合間に「幸せ、幸せ」としみじみした様子で繰り返した。
その単語を聞くたび、俺の心がじんわり温まる。
誰かに、自分の作ったものを『おいしい』と言ってもらえて、さらに『幸せ』になってもらえるなんて。
それこそ、作り手に取って最大級の幸福なんだ、って、痛いほど理解した。
ちょっと、目頭が熱くなってしまった。
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