第34話

 窓辺に見えているあの黒いのは、黒飴の本体の方だろう。外から入る光の角度から言って、黒飴の影であるならもっと窓際の下の方に伸びているはずである。週末、遅い朝食。いわゆるブランチと言う物を摂り、尚記は朝からずっと窓辺に座って、外を見ている黒飴を目の端に捉えてそう思った。

 黒飴は本当に黒い、影と良く見間違う。毛に光沢が無く、まるで光を吸い込むかのような黒さだった。尚記はベット脇に脚の短いテーブルを置いて、その下に黒い斑模様のカーペットを敷いていたが、黒飴がそこで寝そべると、間違って踏んでしまいそうになるので敷くのを辞めた。

 黒飴を飼うにあたり、多少の出費があった。次のカーペットが買える予算の都合がつくまでは、このまま過ごそうと尚記は決めている。

 三月なのに床に直接ついたお尻がしんしんと冷える。一週間くらい前からチラホラと桜が咲き始めていた。本当なら今日 明日の休みで愉しもうと思っていた人は多いはずだが、生憎あいにく 天気が悪くて寒い。果たして皆どうするのか。

 尚記は遠赤外線の小さなファンヒーターのスイッチを捻って、黒飴の愛しい背中を見た。無防備で丸みを帯びた、一見すると野性を忘れてしまったような背中だが、そのじつ恐ろしく俊敏に動く。今は背後に尚記しか居ないので、完全に気を抜いている。尚記はそれがまた堪らなく愛しく思えた。

 「飴」

 尚記は我慢し切れなくなって、つい声に出して呼んでしまった。本当は一人の…一匹の時間を邪魔したくはない。黒飴と名付けたが、実際に呼ぶ時は結局、「飴」と略して呼んでしまう事が多い。黒飴は振り返ることなく返事をした。窓の外に興味を引く物があるようだ、「なに?ちょっと待って、いま目が離せないの」と言っている。

 ふと、尚記は八崎のことを考えた。

 休日、もしも自分と八崎が一緒の部屋にいるような関係であり、あんな風に八崎が窓の外をいつまでも眺めてるのを見たら、尚記は後ろからそっと近寄って、抱きしめてしまうだろう。そして八崎が何を見ていたかを教えて貰うのだ。

 黒飴の背後からそっと近づいて、何を見ているのかと窓の外に目をやると、雪が降っていた。どうりで寒いわけだ。桜と雪の取り合わせはさぞ風情があるだろう。黒飴にとっては生まれて初めて見る雪ではないだろうか?

 近づく尚記に気付いていた黒飴は、ちょうど良い所で振り返り、「あれは何?弱そうだけど、危害を加えてこない?」生まれて初めて見る雪の正体を知ろうと、尚記を見て鳴いた。それまで黒飴に八崎を照らし合わせていた尚記は、黒飴は黒飴だった事に気づき、「ごめん、ごめん」と謝って、黒飴の肩甲骨あたりを五本の指でつまむように撫でた。

「雪だよ」

 外の空気を体験させてみようと、黒飴が出れない程度に窓を開けた。黒飴は隙間から入り込む冷気と雪の匂いをスンスンと嗅いでいたが、やがて「寒い」急に興味を失ったように ストンと窓枠から降りてベットの定位置で丸まってしまった。

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