第30話
「あたぼうよ」と言いながら、キッチンテーブルに着いた沢五郎は、土鍋の中の子ネコに気付き、「わぁ!」っと言って驚き弾けた。
「なんじゃ、こりゃ!今日の昼飯かい?」
「止めてよ、冗談にしても面白ないし。ヒサが拾うて来たんよ。飼うからヒロの荷物の中のネコ道具持ってく言うて来た。あんた、この子、婚期を更に逃すわ」
「おぅ、おう、そうか、男は自分で引退を決めるまで現役だから大丈夫だ」
沢五郎はその話題から逃げるように、自分の上着の胸ポケットからスマートホンを、鞄からはパッドを取り出して、それぞれを右手と左手で操作し始めた。それを見た尚記は「百の資格を持つ男」そんな通り名は、沢五郎を表すには不足だろうと思った。見ているのはたぶん、競馬か競艇の情報、もしくはパチンコの攻略サイトだろう。神様は沢五郎に才能の使い方の才能を、与え忘れたのか、忘れていないのか、平凡な尚記には分かる由もなかった。
尚記が感心しながら沢五郎の様子を見ていると、横から、
「あんたご飯は?」
房子が沢五郎に問いかける。
「おう、要らん」
沢五郎は肯定して否定する。対して房子はお好み焼きを四分の一だけ皿に載せて、沢五郎の前に置いた。沢五郎は「要らん、と言っただろう」と言う事も無く、パッドをいじっていた右手で、お好み焼きをほとんど見ずに食べ切った。
尚記は家を出るまでは、この光景を何の疑問を持つ事なく見ていた。気にも留めていなかったので、見てもいなかったのだろうが、たまに久しぶり帰って、この様な遣り取りを見せられると、どれだけ巧妙な呼吸の上でこの遣り取りが成り立っているのか計り知れず、ひとつの奇跡を見せつけられたような気分になる。
お好み焼きを食べ切った沢五郎は、まだ口が寂しかったのか、二つの端末を交互に見ながら、口に物を入れる代わりに、今度は言葉を外に出してきた。
それは先刻、房子が尚記を出迎えた時の説教と似た内容の文言だった。
「それにしてもヒサ、お前もうちょっと顔出せんのかい?俺や房子はいいけど、親やヒロの仏壇もここにあるんだぞ?いったい誰に育てられたら、そんな薄情に育つんだ?」
房子が沢五郎には日本茶を持ってきた。沢五郎はそれを受け取りながら、
「俺か」
一人で質問し、一人で受け答えて会話を進めて行く。
「そうか俺か、それは謝る。でも、もしもお前が俺の育てた尚記くんなら、もう少し頻繁に顔を見せているはずだが、そうしないお前はだれだ?」
今度は尚記の答えを待っている。
「尚記です」
尚記はいつものように沢五郎の会話の流れにノッた。
「どの?俺の育てた?」
言外には尚記か?と続くのだろう。
「はい、そうですよ」
わざと呆れた含みを持たせて、尚記は答える。
「あれれ?あれれのれ?おかしいな、おかしいな、俺の育てた尚記くんならもうちょっと義理堅いはずだけどな」
沢五郎は本気で言っている訳ではない。やっている事はギャンブルの情報収集だ、口寂しいから片手間に軽く小言を言っているだけだった。
尚記はもう少し引っ張って、沢五郎の口から何が弾き出されるか聞いていたい気もしたが、ひとまず裕記の荷物を確認してしまいたかった。
「分かりましたよ、スイマセンでした。これからもう少し顔を出すようにします」
沢五郎の後ろでニヤニヤしながら聞いていた房子が助け舟を出してくれた。
「ヒロの荷物は二階の、昔あんたらが使ってた部屋に纏めてあるわ。でも、他の荷物もあるから、盗んで行かんでな」
房子はちょっと迷ったようだったが、尚記と一緒に二階に行く事にしたようだ。
「おいで」
そう言って尚記を二階に促した。
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