第九章第36話 魔王と聖女

2021/08/02 誤字を修正しました

2021/12/13 ご指摘いただいた誤字を修正しました。ありがとうございました

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「なぜ、狂うと分かっていてベルードは魔王になるんですか?」


 私の問いにベルードは悲しそうな表情を浮かべた。それからしばらくの沈黙した後、おもむろに口を開いた。


「フィーネは、私の故郷を知っているな?」

「はい」

「あそこが滅んだのは人間どもの生み出した瘴気による汚染のせいだ」

「……」

「だが、私が魔王となれば一時的にだが世界の瘴気の半分以上をコントロールすることができる」

「では、ベルードは同じことを繰り返さないために魔王に?」

「ああ。そうだ」

「でも、それではベルードは生贄になるようなものではないですか!」

「いや、違うな」

「え?」

「そうならないために、私は進化の秘術を研究しているのだ」


 どういうこと?


「進化の秘術を使えば瘴気を操ることができるのだ。ここの連中のように、衝動を小さくしてやれば、魔物だって心穏やかに暮らせるようにしてやれはずだ」

「それは……」

「まだまだ研究途中だがな。秘術の研究が完成すればもう二度と瘴気による悲劇の起きない世界を作ることができるはずだ。そうして見ているだけで何もしない、神を名乗るクソどもから世界を取り返すのだ」

「……」


 ベルードの話が正しいのなら、それは希望に見える。だけど!


「でも、進化の秘術を人間に使ってホワイトムーン王国に攻めてきたじゃないですか。あの時、アルフォンソに秘術を伝えたのはベルードなんですよね?」


 ベルードは怪訝そうな顔をした。


「アルフォンソ? それは誰だ?」

「ブラックレインボー帝国の元皇子です。先帝を弑逆しいぎゃくし、国中の人間を進化の秘術の実験に使い、死なない兵士である黒兵へと変えて災厄を撒き散らした極悪非道の男です!」

「ブラックレインボー? どういうことだ? 私は魔大陸以外への干渉を許していないぞ? ……まさかあいつが?」


 そう言うとベルードは小さく舌打ちをした。


「そうか。だが、これだけは信じて欲しい。私は進化の秘術をそのような用途に使うつもりはないし、そんな指示も出していない」

「……ですが、進化の秘術を他に研究している者がいるとでも言うつもりですか?」

「わからん。しかし、もし私の部下が暴走したのならそれは私の責任だ。すまなかった」

「……」


 こればかりは謝られても許せる話ではない。


 たとえベルードが指示を出していなくても。部下が勝手にやったことだとしても! ユーグさんは!


「許せと言われても、許せる話ではないのだろうな。だが、私としても知らぬものは知らぬ。それに起きてしまったことをなかったことにはできない。私にできることは何が起きたのかを調べ、やった者を罰することだけだ」

「……そう、ですね」


 悔しいが、それはそうだ。


「でも、魔王が聖女である私とこんなに気安く話をしていて良いんですか?」


 返す言葉が見つからずに苦し紛れにそう尋ねると、ベルードは心底意外だといった表情を浮かべた。


「何を言っているのだ? 魔王と聖女は対立する必要などどこにもない。むしろ、聖女は魔王の目的を助ける者とも言えるのだぞ?」

「え?」


 ええと? 魔王は魔物が心穏やかに暮らせるようにしてあげたいんだったよね。


 あれ? 聖女は何をする役割なんだっけ? 精霊神様は自由に生きていいって言っていたけれど……。


「そうか。聖女の役割すらも知らぬのか」

「……すみません」


 ベルードは大きくため息をついた。


「聖女とはな。人間の心を安んじる存在だ。人間の心が穏やかになり、希望で満たされれば歪んだ欲望を持つ人間が減って発生する瘴気の量が減るかもしれない。そう考えて作り出されたのが聖女というシステムだ」

「システム?」

「ああ。聖剣などという意志を持った武器を通じて資質のある女を探し、そいつに聖女をやらせるのだ。少しでも人間に希望を持たせるためにな」


 それは……ああ、そういうことか。だから聖女は好きなように生きていいのか。


 なんの役割もない、ただの偶像のようなものだから。


「だが、貴様はどうやら少し違うようだ」

「え?」

「フィーネ。貴様は瘴気を消滅させることができていたではないか」

「ええと?」


 私が聞き返すとベルードはまたもや大きなため息をついた。


「貴様は本当に何も知らんのだな。いいか? 今までの聖女や他の人間どもが使っていた【聖属性魔法】の中にある浄化魔法は瘴気を消滅させることはできないのだ」

「え?」

「貴様はおかしいと思わなかったのか? 【聖属性魔法】で瘴気を消滅させることができるなら、貴様はあの精霊の力を借りる必要などないはずだ」

「あ! それは……」

「瘴気はその元となった人間の欲望に応じた衝動があると言っただろう?」

「はい」

「瘴気は衝動に対して自然界に存在するエネルギーが結合して形作られたものだ。【聖属性魔法】における浄化魔法とは、結合したエネルギーを切り離すことのできる魔法であって、衝動を消すことができるわけではない。だから浄化魔法で一時的に瘴気を霧散させることはできるが、根本的な解決をすることはできない」


 そ、そうだったのか。たしかに何かがおかしいとは思っていたものの、漠然とした感覚であって何がおかしいのかは分かっていなかった。


 あれ? でも?


「じゃあ、葬送魔法はどうなんですか?」

「……貴様が使っていた魔法ではないか。まったく。葬送魔法は死者の魂を冥府の門へと送る魔法だ。その過程で浄化魔法と同じ作用を起こしている」

「そうだったんですか……。すみません。私は魔法を習ったことがなくて……」

「……そういえば思い出したぞ。貴様は意味不明な詠唱をしていたな」

「すみません。私はそもそも詠唱というものをしたことがなくて、感覚だけで使っているんです」

「なんだと?」


 今度はベルードが驚愕の声を上げ、そしてまたもや深いため息をついた。


 いやいや。そんなにため息をつかれても……。


「貴様が本物の天才だということはよく分かった。そこについてはもう何も言わん。だが、これで魔王と聖女は対立するような関係ではないことは理解できたな?」

「はい。あ、じゃあ勇者は?」

「勇者とは、瘴気による衝動に呑まれて狂った魔王の下に集まった瘴気を全て消滅させる役割を神に与えられた者だ。聖女とはまったく関係のない別の役割だな」


 あれ? でもどこかで勇者と聖女が協力して魔法と龍王を倒すっていう話を読んだ気がするぞ?


「あの、勇者は聖女と共にあらねばならない、といったことはあるんですか?」

「そんな話は聞いたことがないな。たしかに過去の魔王を勇者と聖女が協力して倒し、そのまま結婚したという話もあったようだ。だが勇者のみが現れ、聖女が現れなかったということも多かったはずだぞ。それは人間どもの好む英雄譚というだけでなのではないか?」

「……そうですね。ベルードの話が正しいなら、聖女と勇者は一緒に戦う必要はないですね」


 するとベルードは眉をピクリと動かした。


「なんだ? 当代の勇者はフィーネに何か悪さでもしたのか?」

「いえ、そうではありません。そういった物語を読んだことがあるので、なんとなく気になったんです」

「そうか」


 ベルードはそう言うと穏やかに笑ったのだった。

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