第九章第34話 変態覗き魔

 一週間ほど滞在したアイリスさんは魔大陸に戻ると言って島を後にした。


 ちなみに移動手段はなんと! 連れてきていた大きな鳥に鷲掴みにされて飛んでいくというものだった。


 なんというか、その……。


 まるで鷲や鷹に捕まって巣に運ばれる獲物のように見えて、それはそれはシュールな光景だったよ。


 ええと、うん。まあ、それで無事に移動できるなら良いんじゃないかな。


 それからまた季節は巡った。少しずつ気温が下がり、にわかに秋の気配が漂ってきた。


 だからといって私たちがやることは特に変わりない。


 魚を獲って卵を採り、野草や木の実などを採集して分け合って食べる。


 誰もが一度は憧れるであろう究極のスローライフが、別の言い方をするなら代り映えのしない単調な日々が続いている。


 なんだかんだで一週間の間にアイリスさんの歌っていた歌を覚えてしまったため、夜のお歌の担当は私がやることになった。


 ヴェラたちの歌は幼稚園児が一生懸命に大声で歌っている感じなので、私が歌ってあげないと収拾がつかないのだ。


 でもそんなヴェラたちの歌も聞き慣れてしまい、最近はそんな歌もかわいいと思えるようになってきたのだから不思議なものだ。


 そんなこんなで今日のぶんの漁を終えた私は今、一人で贅沢に崖中温泉のお湯を頂いている。


 アイリスさんに教えてもらった歌を口ずさみながら海を眺めているのだ。


 この名湯とこの景色を独り占めにする。何度体験しても飽きのこない最上級の贅沢とはまさにこのことだと思う。


 これ以上の贅沢といえば……そうだね。あの海中から湧き出ている温泉にどうにかして浸かるというのはもっと贅沢かも知れない。


 実は前から構想自体はあって、結界で海の水をせき止めている間に堤防を作ってしまえば何とかなるんじゃないかと思っている。


 だが実際に工事をするとなるとかなり大変そうなため、どうにも二の足を踏んでいるというのが現状だ。


 それにヴェラたちが利用するためには道だって通さなきゃいけないし、嵐のときは波で滅茶苦茶にされないようにする必要がある。となると、きっとかなり大きな堤防が必要になるのではないだろうか?


 そうしたことを考えるとこの崖中温泉があるしまあいいや、と後回しになってしまっているのだ。


 と、そんなことを考えていると誰かがものすごい勢いで走ってくる足音が聞こえてきた。


 ん? 誰だろう? アイリスタウンにはこんな足音の子はいなかったはずだけど……。


「おい! フィーネ! 貴様がなぜここにいる!」


 乱暴に扉が開けられ、男が浴場に怒鳴りこんできた。


 え? ベルード!?


 って、覗き!


 私は慌てて霧化してお湯から上がった。それからすぐに収納へアクセスして服を取り出すと、霧化の解除と同時に身にまとう。


「こんの! 変態! 覗き魔!」


 私は我を忘れて踏み込むとベルードの顎に全力でストレートを叩き込んだ。それと同時にフルパワーの浄化魔法をベルードに叩き込む。


「なっ!? がっ!?」


 私の一撃をまともに受けたベルードはそのままきれいな放物線を描いて宙を舞い、はるか遠くの海面へと落下していく。そしておよそ二百メートルほど沖合の海面に大きな水しぶきを生み出した。


 って、いたたたた。


 殴った拳がものすごく痛い。


 治癒魔法で拳の傷を治すといつものローブを取り出し、それを服の上から羽織った。そしてベルードが落下したあたりの海面に目を凝らす。


 ええと、もしかしてやりすぎたかな?


 いや、でも神聖なる温泉で女湯を覗くなど言語道断だしな。


 それに、あれだけ強いんだからあのくらいではきっと死なないはず……だよね?


 やや不安になりながらも海面を見ていると、ベルードの体が浮かび上がってきた。


 うつ伏せになっていたが自力で仰向けになったのでどうやら死んではいないようだ。


 何かぶつぶつと呟いているようだが、いくら私の耳が良いからといってもさすがにこれだけ距離があっては聞き取ることはできない。


 だが、心なしかベルードが晴れやかな表情を浮かべているように見えるのは私の気のせいだろうか?


 ……もしかして! ベルードは女湯を覗いて女性に殴られることに喜びを見出す変態だった!?


 それならリエラさんを紹介すれば万事丸く解決するような気が?


 いや。でもアイリスさんの恋人ってヴェラが言っていたし、それはダメだね。


 うん。とりあえず、ベルードは無事なようだし村に戻るとしよう。


◆◇◆


 歩いて村に戻った私が広場のベンチに腰かけていると、空を飛んでベルードがやってきた。


 なるほど。私たちを飛ばすことができるだけあって自分も空を飛べるようだ。


 あれは一体どういう魔法なのだろうか?


 そんなことを考えていると、ベルードが一直線に私のところにやってきた。


「おい! フィーネ!」


 怒気を孕んだ声でそう言ってくるが、以前ほど怖いと感じないのはなぜだろうか?


「こんにちは。お久しぶりですね。ですが、まずは私に覗きの謝罪をするのが先ではありませんか?」

「なっ!?」

「女湯に入るなんて、男性が入るなど言語道断ですよ。ベルードが覗き魔だなんてアイリスさんが知ったらどう思うんでしょうね?」

「な、な、な……」

「ニャニャ? ベルード様、覗き魔だったのかニャ?」

「チッチッ。ベルード様、覗きはダメだッチ」

「お、おい。お前ら……」


 ベルードはたじろいだ様子だがまだ謝罪すらしてこない。


 うん。なんだか先ほど覗かれた怒りが再び湧き上がってきた。


「しかも、私に殴られたあとすっきりした表情を浮かべていましたよね? もしかして、女性に殴られて喜ぶ趣味でもあるんですか?」

「なっ!? お、おい! フィーネ!」

「ベ、ベ、ベ、ベルー、ド、さま。へ、へ、へ、変、態……。お、お、お、おで。わかった」

「おい! お前!」

「えっ!? ベルード様は変態だったゲコ?」

「そうみたいだピョン」

「おい! こら! おい!」

「ベルード様。悪いことをしたら謝らなきゃいけないんだワン」

「そうだワン。ボク、アイリス様に教えてもらったんだワン」

「ワンワン」

「ぐ……フィ、フィーネ。その、すまなかった」


 ベルードが渋々といった感じではあるがやっと謝ってくれた。


 最初からちゃんと謝ればいいのに。


 とはいえ、いつまでも根に持つ話でもないだろう。


「わかりました。その謝罪を受け入れます」

「あ、ああ」

「それで、そんなに慌ててどうしたんですか?」

「ああ、そうだ。おい、フィーネ。貴様――」

「あれ? ベルード様だズー。何かあったズー?」

「ベルード様は殴られて喜ぶ変態だってことが分かったんだニャン。しかも女湯を覗いたことがバレて叱られたから、フィーネに謝ってるんだニャン」

「それはびっくりだズー。アイリス様にちゃんと報告するんだズー」

「なっ!? おい! 待て! 誤解だ!」


 ベルードの慌てて取り繕う声がアイリスタウンに響き渡るのだった。

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