第九章第11話 入浴
「これは……!」
波打ち際までやってきた私はごつごつとした岩場の中でもひと際大きな岩の上に立っている。
沖から押し寄せる波が岩間に砕けては大きなしぶきを上げており、強い海風が絶え間なく吹きすさぶ。
そんな荒々しい海岸の大きな岩々の間から湯気が立ちのぼっているのだ。
だが、これはいくらなんでも入浴するのは難しいかもしれない。
無色透明で無臭なことを考えると、ここのお湯はもしかしたらナトリウム-塩化物強塩泉かもしれない。
ナトリウム-塩化物強塩泉というのはつまりあったまりの湯だ。冷える冬場なんかはこれ以上ないほどありがたい温泉なのだが……。
ここで入浴するには色々と条件が整わないと難しいだろう。
大岩は収納を使えば何とかなるだろうが、これだけ高い波が押し寄せている状況では落ち着いて入浴などできないだろう。
だがあったまりの湯に浸かるというのも中々に捨てがたい。
さて、どうしたものか。
私はしばらくの間入浴できそうな場所を探してみたが、どうやら源泉自体が海の中にあり、かなり温度も高そうだ。
これはどうやら一筋縄ではいかなそうだ。今回は諦めたほうが良いかもしれないね。
仕方がない。それなりに時間は潰せたし、美肌の湯に入ろう。
そう考えた私は【妖精化】を使って美肌の湯がある場所へと向かって飛び立つ。
うん。私も空を飛ぶのに随分と慣れたものだね。
しかもリーチェが一緒に飛んでくれるのだ。可愛いリーチェと一緒に空中散歩をすることがこんなに楽しいものだとは想像だにしなかった。
早く【妖精化】と【蝙蝠化】のレベルを上げてもっと長く飛べるようになりたいものだね。
と、そんなことを考えている間にもう到着した。
さて。どうかな?
崖の中腹に設置した湯船型結界を確認すると、それなりの量のお湯が溜まっている。
うん。これならもう入っても大丈夫そうだ。
そう考えた私は着ている服を収納に入れ、洗浄魔法で体をきれいにする。
私以外に入浴する人は誰もいないのだけれど、入浴前に体を洗うのはマナーだからね。
マナーを守らない人にお湯を頂く資格はないのだ。
ゆっくりと足先から湯船に浸かっていく。
無色透明の湯は炭酸水素塩泉特有のヌルヌル感があり、温度もちょうどいい。
うん。この感じのお湯であればきっと湯上り美人を量産するに違いない。
そう。このお湯はまさに入浴するために存在していると言っても過言ではないだろう。
それに加えてこの抜群のロケーションだ。海に面した崖の中腹にまるでガラスの湯船を
「ううん。最高ですね」
そんな声がつい漏れてしまう。
「あ、リーチェも入りますか?」
リーチェが湯船型結界から少し離れた場所に浮かんでいるのでそう尋ねてみたが、リーチェは首を横に振った。
「え? 塩水はあまり好きじゃない? ああ、そうでしたね」
言われてみればリーチェは花の精霊だ。花は海水をかけると枯れてしまうそうだし、そういった特徴を多少は受け継いでいるのかもしれない。
私は肩までお湯につかると再び海のほうへと視線を移す。
波と雲、そして海鳥以外に動くものは何一つ見当たらない。
このあたりに人が住んでいるなら漁船くらいは見えそうなものだが……。
やはりここは絶海の孤島だったりするのだろうか?
そんな予感が頭を過ぎり、不安に襲われそうになった私は収納からオレンジジュースを取り出した。
オーシャンビューの絶景温泉に浸かりながら甘酸っぱいジュースを飲む。
なんて贅沢なのだろうか!
こうして私はしばらくの間温泉を堪能したのだった。
◆◇◆
気が付けばすでに日が傾きかけていた。久しぶりの温泉が嬉しすぎてつい長湯をしてしまった。
私は急いでお風呂から上がると体を乾かして服を着る。そして名残惜しくはあるが、結界を解いてお湯を捨てることにした。
ざばーっと音を立てて温泉が崖下の海へと流れ落ちていく。
これで今日限定、幻の源泉かけ流し絶景野天温泉は閉湯だ。
「リーチェ。そろそろ戻りましょう」
するとリーチェは小さく頷き、ふわりと外輪山の上を目指して飛んでいった。私も蝙蝠となってそれを追いかける。
そのまま【蝙蝠化】の限界時間まで飛び続けた私は連続して【妖精化】を使ってさらに飛び続け、カルデラの中にある泉のそばのキャンプ地へと戻ったのだった。
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