第五章第6話 ユカワ温泉(2)

タカイソ亭の食事を気に入った私たちはそのままタカイソ亭に宿泊することにした。とりあえずは二泊、今後の長旅に備えてゆっくりと英気を養おうと思う。


え? 散々グータラ三昧しただろうって? いやいや、十日も歩いたんだからこのぐらい許されると思うの。


タカイソ亭はその評判の割には価格はリーズナブルで、超高級旅館というわけではないようだ。それなのに案内されたお部屋は 8 畳と 12 畳の二部屋がある大きな部屋だった。


これで一泊二食付きで四人で金貨 1 枚と銀貨 1 枚(大体 6 万円くらいの価値だ)なのだからかなりの良心的な価格設定ではないだろうか?


しかも、崖の上と下にそれぞれ温泉があり日替わりで男女が入れ替わるらしい。とりあえず二泊としたのはこの二つを堪能するためであることは言うまでもない。


「んー、畳の香り~♪」


部屋に入って落ち着いたルーちゃんが畳の上に寝そべると、そのままコロコロと転がりはじめた。どうやらこの真新しい畳の香りが気に入ったようだ。


「これはきっと新しいんでしょうね」

「新品の畳独特の良い香りがするでござるな」

「なるほど。新品の畳はこのような香りがするのですか」


私としてもこの香りは嫌いではないのだが、私には少し畳の香りがきついので障子を開けて換気をする。


「ああ、外はとても景色がいいですね。畳の香りもいいですが私はこの磯の香りもいいですね」

「そうでござるな。拙者も畳の香りは好きでござるが、ここの畳は少し香りが強すぎるように感じるでござるよ」


あれ? シズクさんもそう思うの?


私は少し思い当たる節があったのでシズクさんに質問してみる。


「シズクさん、もしかしてそのお耳と尻尾が生えてから鼻だけじゃなくて耳の感覚が鋭くなったりしていません?」

「おお、よく分かるでござるな。耳だけでなく夜目もずいぶんと利くようになったでござるよ。さすがでござるな」

「やはりそうでしたか」


これもシズクさんが存在進化した影響なのだろう。私も吸血鬼になりたての頃はこの敏感すぎる感覚に苦労したものだ。


特にゾンビとかゾンビとか、それとゾンビとか。


うん、ゾンビしか思い出さないや。気持ち悪いし会いたくもないので思い出さないでおこう。


そんなことを思っているとルーちゃんが声をかけてきた。


「やはりってなんですかっ?」

「え? ああ、ええと、シズクさんの感覚が鋭くなったことについてです」

「どうしてなんですか? 耳が可愛くなって大きくなったから耳が良くなったというのは分かりますけど、他はなんでですか?」


うーん、これは答えていいんだろうか? ルーちゃんに悪気はなさそうだけれど……。


私は困ってちらりとシズクさんを見遣る。


「フィーネ殿、構わぬでござるよ。クリス殿、ルミア殿、拙者は人間ではなくなったでござるよ」

「なっ?」

「ふーん。そうなんですね」


シズクさんは自分からカミングアウトした。クリスさんは驚いて絶句しているがルーちゃんは事もなげな様子だ。


「ルミア殿、驚かないでござるか?」

「え? 別にシズクさんはシズクさんじゃないですか。むしろそのお耳と尻尾が可愛いなってずっと思ってました。あのっ、触ってもいいですかっ?」

「え?」

「ダメ、ですか?」


ルーちゃんが上目遣いでシズクさんにおねだりしている。エルフ族だけあってルーちゃんはとんでもなく可愛いのだ。そんな超絶美少女が上目遣いでおねだりするのは反則だと思う。


「あ、いや……」

「えへへ。じゃあ、触りますね」


ルーちゃんがおずおずと手を伸ばすと尻尾を撫でている。


「あ、そこは……あ……」


何故かシズクさんが顔を上気させながら喘いでいる。


いいなぁ、もふもふの尻尾


そんなことを考えながらその光景を眺めていたのだが、気付いたら私もルーちゃんと並んでシズクさんの尻尾を撫でていた。


あれ? いつの間に?


しかしあまりのもふもふ尻尾の気持ちよさについつい撫でてしまう。


「あっ、フィーネ殿までっ。あ、あぁ……ん」


シズクさんがまた艶めかしい声をあげたのだった。


****


私たちがひとしきりシズクさんの耳と尻尾を堪能し終える頃にはシズクさんがふにゃふにゃになってしまっていた。


「すみません、あまりにも手触りが良かったのでつい」

「シズクさん、ごめんなさいっ」

「……いい、で、ござる……よ……はぁ」


私とルーちゃんは素直に謝罪すると、シズクさんは寛大にも許してくれた。ちなみにクリスさんは完全に蚊帳の外だ。


人間じゃなくなった宣言からの私たちの痴態に言葉を無くしている様子だ。


「クリスさん? シズクさんは今も変わらずシズクさんです。それにシズクさんを治してあげられなかったのは私のせいですから」

「フィーネ様、私はそんな……ただ、ちょっと驚いただけで……それにスイキョウを止められなかった自分の力の無さが悔しくもあります」

「フィーネ殿、それにクリス殿も、拙者は命を救ってもらっただけでも感謝しているでござるよ。そもそもこうなったのは全ては拙者の自分勝手な行動が原因でござるしな」


シズクさんはそこで一呼吸置いて、そして笑顔で言い切った。


「それに、これはこれで悪くないでござるよ」


シズクさんは晴れやかな表情で言葉を続ける。


「こうしてレベル 1 から再出発できるという事は、拙者の成長余地が増えたという事でござる。それに、狐殿も一緒でござるからな」


シズクさんは胸に手を当ててそう言った。もしかしたらシズクさんはあれからその狐殿の存在を感じられるようになったのかもしれない。


それを質問しようとしたところで、クリスさんが先に口を開いた。


「シズク殿、レベルが 1 になったというのはどういうことだ?」

「はは、フィーネ殿はやはり秘密にしていたでござるな。拙者、どうやら降ろした黒狐と融合して存在進化をしてしまったらしいでござるよ。それで、拙者のレベルは 1 になったでござるよ」

「なっ! 存在進化をするとレベル 1 になるというのか? フィーネ様、インゴールヴィーナ様はそのような事は仰っていなかったと記憶しておりますが……?」

「これはアーデに教えてもらいました。存在進化する時はレベル 1 になるので安全が確保された状態でするようにって注意されました。でも、シズクさんは安全の確保どころか戦闘の真っ最中でしたけどね」


そう言って苦笑いをした私に合わせるようにシズクさんも苦笑いを浮かべた。


「と、いうわけで、これが拙者の現在のステータスでござるよ」


そう言ってシズクさんは自身のステータスを二人に見せる。


「うわぁ~本当だぁ。 種族が半黒狐になってます。いいなぁ。あたしも早くハイエルフになりたいなぁ」


ルーちゃんが羨ましがっているが、そのためにはマシロちゃんを強くしないとね。食べさせてばっかりじゃダメだよ?


「なっ? レベルが 1 なのにこのステータスの高さは何だ!?」


クリスさんはそのステータスの高さに驚いているようだ。


「それには拙者も驚いたでござる。どうやら進化前のステータスが半分ほど引き継がれているようでござるよ」

「ということは、この存在進化を繰り返すと……」

「ああ、恐ろしい怪物になる、でござろうな」


クリスさんとシズクさんが顔を見合わせている。


おお、なるほど。確かに! 言われてみればレベルもステータスも上げ放題じゃないか。


あれ? もしかして私の【成長限界突破】って、完全にいらない子 だった?


そんな二人を尻目に私は心の中で小さくショックを受けていたのであった。


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※)ステータスが半分くらいになるのでレベル上限が取り払われるのとは少し違いますが、そんな経験値を稼げないという意味では似たようなものかもしれません。

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