第三章第32話 シルツァ湖群
「おおー! 姉さまっ! すごいっ! すごいキレイですっ!」
ルーちゃんがすごいハイテンションではしゃいでいるがそれも無理はない。眼下に広がる美しい光景に私は息を呑んだ。
冬だというのに葉の落ちていない森の木々の合間から見える谷底にはミルキーブルーの不思議な色をした水を湛えた湖がいくつも連なっている。湖面は風に揺られて波打ち、日の光を浴びてキラキラと美しく輝いている。
「すごい。不思議な光景ですね。あんな色の湖があるなんて……」
大自然の美しさの前に言葉を失うと言う話を聞くが、まさにこの事なのだろう。砂漠もオアシスも驚いたが、この光景は私の想像を遥かに超えている。こんな場所があるなんて思いもしなかった。
「さすがはエルフの里です。ホワイトムーン王国でもこのような場所は聞いたことがありません」
「拙者も初めて見る光景でござるな」
クリスさんもシズクさんにとっても初めての光景らしい。
「精霊の奇跡、と言いたいところなのですがそうではなく、この辺りの岩に含まれる成分が水に溶けだし、この地に溜まったことでこのような色合いになるのです。夕焼けに照らされた景色もまた格別ですよ」
案内をしてくれている男性エルフの一人、エイイットルさんが解説してくれる。案内役はエイイットルさんの他にもう一人の男性エルフ、カンツォさんが付いてくれた。
二人とも迷いの森に私たちを迎えに来てくれたエルフで、エイイットルさんがおよそ 300 才、カンツォさんは 35 才の若者なのだそうだ。 35 才で若者というあたりも驚きだが、300 才のエイイットルさんもエルフ基準だとまだまだ青年という扱いらしい。
外見がどちらも 20 才前後にみえるのはエルフならではなのだろう。
ちなみにシルツァの里で一番の若者は 27 才のシエラさんで、その次が 35 才のカンツォさんらしい。
思い返してみると白銀の里でも小さな子供を見た覚えはないし、エルフで 13 才のルーちゃんというのは相当珍しい存在なのかもしれない。
そうして考えてみると、里の人たちがルーちゃんを見る目は完全に子供を見る目な気がしてきたし、エイイットルさんがルーちゃんを見る目は幼児がどこか行かないか心配している親目線な気もしてきた。
まあ、14 才ということになっている私も彼らからしたら同じような感覚なのかもしれない。
だが、私の場合は恵みの花乙女などという恥ずかしい肩書がついているおかげなのか、それとも先祖返りと勘違いされているおかげなのかはわからないが、そこまでの視線は感じない。
私たちはエイイットルさんに案内されて急な山道を下っていく。徐々に水面へと高度を下げていくと水面と白い崖の丁度境目あたりに道のようなものが整備されているのが見てとれる。
「あれは、道が作られているんですか?」
「はい。これからあちらの道にご案内いたします。多少ですが漁も行っておりまして、上流の湖に行くための道でございます」
「なるほど」
「ということはお魚が食べられるんですか?」
ルーちゃんはブレない。何よりも食い気が優先だ。
「はい。湖のほとりでお召し上がり頂きますよ」
さすが、300 才の大人エイイットルさんだ。せっかくの景色よりも食欲全開なルーちゃんの発言にも優しく答えてくれる。
ん? その対比だとルーちゃんは 13 才児か? さすがにそれはないか。あ、いやでもエイイットルさんのからすればそうなのか?
何だかエルフの年齢に関する感覚を考えているとよく分からなくなってきたので、ここで私は思考を打ち切る。
私たちはエイイットルさん達の案内に従って崖下へと歩を進める。
崖の上から流れ落ちる滝や段々になっている湖などの不思議な光景を見ながら斜面を下りきると私たちは遂に湖畔へとやってきた。
「すごい! すごいですよ姉さまっ! 近くで見ても水が青白いですっ!」
「ね! 本当にキレイですね」
こんな水の色は見たことがない。不思議な色をしているのに、水が汚れているようには全く見えない。
「今日はミルキーブルーですが、エメラルドブルーに見える日もあれば、紺碧色や群青色のようにもう少し濃い色にみえることもあります」
エイイットルさんが解説を入れてくれる。
「どうして色合いが変わるのですか?」
「それは我々もよくわからないのですが、おそらくは水に含まれる成分が毎日少しずつ変化しているのだと思います」
前の世界ほど科学が発達しているわけではないし、この辺りは仕方ないのかもしれない。
「姉さま、すごいですよっ! 魚があんなにいっぱい! カモまで泳いでします! じゅるり」
「ルーちゃん、ご飯は用意してくれるそうですから勝手に捕まえちゃダメですよ」
「えー? 捕まえちゃダメなんですか?」
「お一人で食べる程度でしたら捕まえても問題ありません。ですが、獲物を持ったまま歩くのも大変でしょう。ですので次の機会にして頂けると助かります」
「ちぇっ」
ルーちゃんは本当に残念そうな顔をしている。ま、どうしても捕まえたいと駄々をこねるわけではないから良いけどね。
私たちは滝や淵をかなりの時間をかけて歩き、この湖群のなかでも最上流にあるという湖の
そこには小屋が建っており、先回りしてくれていたのかエルフたちが私たちの食事を準備してくれている。
ちょうどお昼時で私たちもお腹がすいてきたところだ。魚が焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり食欲を刺激してくる。
「わーい、ご飯っ!」
小屋の前のテーブルに着くと食事が運ばれてくる。魚の塩焼きに魚と野菜の塩味のスープ、それとじゃがバターだ。
大食い情報が伝わっていたが間違って伝わっているようで、私たち全員に二皿ずつ運ばれてきた。
「姉さまっ!」
いつも通りのキラキラした目を私に向けてくるので当然のように半分と少しをルーちゃんにあげる。
私には二皿食べるなんてできないので丁度いい。
「はい、どうぞ」
「わーいっ! 姉さま大好きっ!」
私たちは思い思いに食事を楽しむ。味はかなりの薄味で、良く言えば優しい味がした。もしかすると、かなり内陸部なので塩は貴重品なのかもしれない。
私は用意してくれたエルフの皆さんに感謝して完食した。じゃがいもが少し大きかったのでもう少しルーちゃんにあげても良かったかもしれないが、何とか残さずに食べきることができた。
「ああ、お腹いっぱいです。ごちそうさまでした」
「ご満足頂けたなら何よりです」
冬の弱い太陽も日差しを浴びれば暖かい。穏やかな陽気と満腹感から少し眠くなってしまった。
「気持ちいがいいので、ちょっとそこで寝転んでもいいですか?」
「もちろんです」
エイイットルさんの許可を得て私は湖の良く見える草の上に寝転ぶ。
──── ああ、最高のお昼寝日和だ
ルーちゃんはシズクさんと並んで釣りを始めたようだ。クリスさんは私の側に腰を下ろしている。
長閑で平和な昼下がり、暖かな日差しを浴びて私はぼんやりとした睡魔に身を任せた。微睡に包まれた私は誰かの優しい声を聞いた、そんな気がしたのだった。
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シルツァ湖群のモデルはクロアチアにあるプリトビチェ湖群国立公園という場所です。石灰岩から溶けだしたミネラルとその時に日差しなどの影響で日々色合いが変わるというとても幻想的な湖です。そして、ユーゴスラビア内戦で重大な危機に瀕した場所でもあります。
過去に旅行で訪れた際に強く印象に残った場所でしたので、当時お世話になった方々への感謝の意味も込めて意味も込めて紹介させて頂きました。
昨今の社会情勢の中旅行という選択肢は当面難しそうですが、もし今後欧州旅行の機会がありましたら行き先の一つとして検討してみてはいかがでしょうか。
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