第三章第7話 吸血鬼フェルヒ

これはきっと、フェルヒの魔力が私の心を縛ろうと侵入を試みてきている……のだろう。


──── あー、ええと、これは、うん。やっぱりこいつは悪い吸血鬼ってことでいいのかな?


目の前には怪しく輝く縦長の瞳があり、私に魔力を送り込んでいる。私はその瞳を見つめながらどうしたものかと思案していた。


「さて、これで貴女は私の虜になったことでしょう。それでは聖女様の高貴なる血を頂きましょうかね。喜びなさい。あなたはそのまま私の奴隷として飼って差し上げましょう」


フェルヒは悦に入った様子だ。


どうしたものかと考え事をしている間にフェルヒは私の後ろへとゆっくり回り込む。


おっと、こんな考え事をしている場合じゃない。私は【影操術】で影に潜り込むと、するりと拘束を抜け出した。


「な! な、な、な、今のはまさか!」


フェルヒが驚き私を指さしている。


「話す時に他人を指さすのは失礼ですよ?」

「う、う、うるさい! どうして聖女のお前が! なんで!」


こいつ、計画がちょっと狂ったからってちょっと余裕なさすぎじゃないかな。


「行きがかり上こうなってしまったんだから仕方ないじゃないですか」

「どうして! どうして吸血鬼が聖女なんてやっているんだ! おかしいだろう! それに、なんでまだ覚醒していないんだ!」


未だに私を指さしたままのフェルヒは、余裕を失ったのか私に向かって怒鳴り散らす。私の方を指したその指が上下にふるふると揺れ動いているのが何とも小物感を漂わせている。


「さっきまでの慇懃無礼なキャラが崩壊してますよ? それに、ちゃんと行きがかり上って説明したじゃないですか」

「そんな説明があるかっ!」


私は嘘を一つも言っていないのに。言いがかりも甚だしい。なんてわがままな吸血鬼だ。


さて、こいつは捕まえてサフィーヤさんの居場所を聞き出したいわけだが、どうしたものか。夕飯の時の口ぶりだと個別の相手のことは覚えていないように見えたしな。


よし、決めた。交渉して聞き出せる気もしないし、面倒だし。こいつを倒してから魅了を解除して回ればきっと大丈夫だろう。


「じゃあ、フェルヒさん、素直に浄化されてくださいね。浄化!」


フェルヒの立っていた場所に浄化の光が立ち上る。しかしフェルヒは横っ飛びで素早く避けたようだ。だが、左腕の肘から先がない。完全に避けきることは出来なかったようだ。消滅を免れた左腕の先からは血がしたたり落ちるとともにしゅーしゅーと煙が上がっている。


「なぜだ。なぜだ! なぜだ! なぜ吸血鬼であるお前がそんな浄化魔法を使えるんだ!」

「だから、行きがかり上です。浄化!」


私は再び浄化魔法を放つが、フェルヒも間一髪で避ける。だがそのまま転がって窓ガラスに頭を突っ込んで止まった。割れたガラスがフェルヒの頭に突き刺さりホラーになっている。


「ぐ、ううぅ。影よ!」


フェルヒの足元の影がぐにゃりと歪む。そしてその影は黒い大きな爪のような形となって私に襲い掛かってくる。


「防壁」


しかしその爪は冥龍王の分体のブレスを止めた私の防壁の前に呆気なく弾かれる。


「その程度の攻撃は無駄です」


私は歩いて距離を詰めていく。その瞬間、フェルヒがニヤリと笑った。


「かかったな!」


その瞬間、私の足元の影が黒い槍のような形となって突然私のほうに突き出てきた。


「あ」


そしてその槍が私を串刺しにする。





などということはなかった。槍は私の肌を傷つけられず私の着ていたパジャマに穴をあけて止まった。


「あれ? 随分となまくらみたいですね。どうなっているんですか?」

「馬鹿な! なぜ影の槍が通らんのだ!」


ああ、そう言えば! このために【闇属性耐性】を MAX にしておいたんだった。忘れていた。


「ああ、これも行きがかり上でした。じゃあ、今度こそ消えてもらいます。範囲を拡大してっと、浄化!」


逃げられない様に先ほどよりも範囲を広げて浄化魔法をかける。するとフェルヒは今度は窓の外に逃げ出す。


私は慌てて窓を開けてバルコニーに出るがそこにはフェルヒの姿がない。あたりを見回し、そして空を見上げる。するとそこには血を滴らせ煙をあげながらよろよろと飛ぶ蝙蝠の姿があった。


なるほど、あれが吸血鬼の蝙蝠か。確かに前に鏡で見せてもらった私の白い蝙蝠とは全然違うね。


って、感心している場合じゃない。逃がしてしまうじゃないか。


私の浄化魔法は地面から光を立ち上らせるタイプだし、あの高さに届くとは思えない。


うーん、あれを撃ち落とす手段は持っていないし、どうしようか?


そこで私は閃いた。そう、あたり一帯、つまり町をまるごと全部フルパワーで浄化してしまえばいいじゃないか、と。


町全体をイメージして、上空、木陰、建物の中は地下室に至るまで全てに行き渡るように、魔力を最大限注ぎ込んで、【聖属性魔法】を発動!


「この町を、完全にっ! 浄化!」


私を中心に強烈な光が発せられた。それは闇夜をまるで昼間のように明るく照らし出し、町全体を包み込んでいく。そしてその光は天高く立ち上る。


そして数分の時が流れた後、光は終息した。


私の体からはがっくりと力が抜け、膝をついてしまった。


どうやらこの一発で MP を使い切ってしまったようだ。200 以上に増えた私の MP をごっそり持って行くとは。いくらなんでも町全体の浄化はやりすぎたかもしれない。


さて、心配されているだろうし一度宿に戻ろう、そう思ったところで自分がパジャマ姿なうえ、影の槍で刺されてパジャマが穴だらけになっていることを思い出した。


──── あーあ、このパジャマは割とお気に入りだったのに


そんなことを考えながらパジャマを収納にしまい、そして聖女様なりきりコスプレセットと王様からもらったローブを取り出して身に着ける。


この収納はとんでもなく便利なもので、着ているものを収納しようとすればそのまま脱いだ状態で収納できるし、着た状態で出したい思って収納から取り出すと、自動的に着た状態になってくれるのだ。


私は人の気配のないこの屋敷をゆっくりと歩き出した。私のブーツの踵が大理石の床を鳴らす足音が静かな邸内に鳴り響いていた。


そして多少迷いながらも私はエントランスホール二階の踊り場までやってきた。


すると、誰かが外から走ってくる音が聞こえる、そして、勢いよく玄関の扉が開かれた。そして、クリスさん達が駆けこんできた。周囲を警戒するようにあたりを見回している。


「クリスさーん、ルーちゃーん、シズクさーん、こっちですよー」


私は踊り場から声をかけて手を振る。


「フィーネ様!」


クリスさんが脱兎のごとく階段を駆け上がり私のもとへとやってきた。


「フィーネ様、申し訳ございません。私が付いていながら危険な目に!」

「クリスさん、落ち着いてください。私はこの通り無事ですから」

「フィーネ様っ!」


寝ている間とはいえ、ここまで責任を感じさせてしまうとは。何だか私のほうが申し訳ない気分になってくる。


「姉さまっ!」


涙声のルーちゃんが抱きついてきた。


「ルーちゃんも、心配かけてごめんなさい」

「姉さま、姉さま、姉さまーっ!」

「ほら、私は大丈夫ですよ」


抱きついて離れないのを良いことにそのまま頭をぎゅっとしてあげる。そのうち苦しくなって離れるはずだ。


「フィーネ殿、すまなかったでござる。クリス殿だけでなく拙者も起きていたのでござる。クリス殿だけの責任ではござらん」

「え? ええと、はい。大丈夫ですから。ご心配をおかけしました」

「ところで、こちらでは何があったでござるか?」


私は聞かれたのでことのあらましを伝えた。


「つまり、あの凄まじい浄化の光はフィーネ殿の魔法だったでござるか。しかも蝙蝠になって逃げた吸血鬼を浄化するためだけにあそこまでの広範囲を浄化をした、と」

「はい。そうなんです。何かまずかったですか?」

「いや、まずくはござらんが、町から動くものの姿が一切消えたでござるな」

「はい?」

「つまり、町の住人を全て浄化したでござるよ」

「ええと?」

「フィーネ様。町の住人は一人残らずフェルヒの眷属となっておりました。眷属となった者はもう二度と人間には戻れません。それをフィーネ様はお救いになられたのです。お疲れ様でした」


なんと、そんなことになっていたのか。確かに昔、町を丸ごと乗っ取るとか、国を丸ごと乗っ取るとか、そんなような話を聞いた気はするが実際に体験するとその恐ろしさがよくわかる。


うーん、確かにこれは人類の敵だな。吸血鬼、恐るべし。


あ、私もか。

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