旧知の悪友

青谷因

旧知の悪友

 度重なる不運としか言いようの無いくらいの、激務が続いたとある日の深夜。


 何とか間に合った最終電車に滑り込むと、もはや人影のほとんど見当たらないシートに倒れるように、身を投げ出した。


 自分で企画したプロジェクトが、詰めの段階で予想外の損害を出してしまい、その穴埋めに奔走した一ヵ月半。


 ろくな休みも睡眠も、恐らくはまともな栄養すら取ってはいない。


 疲労困憊、精根尽き果てる手前まで、精神すら病み始めていたのだろう。


 幻覚や幻聴に度々悩まされることがあった。


 ようやくの、一段落。


「―やるだけのことは、やったよなぁ、俺・・・・・・よくやったよなぁ・・・」


 これですべてが片付いたわけではないのだが。


 会社での仮眠休憩泊を余儀なくされていた日々からは、ひとまず離脱できる。


 そこで、少しばかり気が緩んだのだろう。


「・・・・・・―」


 軽いうたた寝のつもりが、意外なほど長い時間、現実世界から意識を手放す結果となってしまった。






「―おい、終点だぞ?」


 上からものを言うような声で我に返り、慌てて飛び起きると、電車は既に止まっていた。

 見回す車内には、人の気配は無い。

―・・・何だ、今のは・・・誰かの声がしたように感じたが・・・

 しかし、間もなく巡回してきた車掌に声を掛けられ、俺は列車を降りて駅名を確認し、落胆した。

 乗り過ごした駅は、六つ。結構な距離と時間になる。

「・・・タクシーでも、拾うしかないな・・・」

 やれやれと、頭を抱えてホームに背を向け歩き出し始めると、また、あの声に呼び止められた。

「―よう。送っていってやろうか?昔のよしみで―」

 少し警戒しながら振り返ると。

「久しぶりだね、タカシくん?」

 見覚えの無い男が、ニヤつきながらこちらを見ていた。

「・・・・・・」


―誰だ、こいつ・・・


 訝しげに、何も言葉を発しないままにその場に立ち尽くしている俺に痺れを切らしたのか。


「俺だよ、俺。つーかさ、マジ覚えてないの?っちゃーっ!こりゃ困ったね。まぁ、どっちかって言うと、お前にとって俺って、あんまし良い友達っつー間柄じゃなかったかも知れないからなー」


 そう言って、頭を掻きながら苦笑する。


「ま、それは置いといて。家、遠いだろ?俺この近くに車止めてるから、良かったら送っていくぜ?遠慮すんなって。こっからお前の家までタクシーで帰るとしたら、結構金もかかるじゃん?あ、俺のことは気にしなくて良いからさ。たまには真夜中のドライブも、いいってもんよ。久しぶりに昔話でもしようぜ!」

「あ、いや、ちょっと・・・」

 そいつは俺の返事など待つ気はさらさらないらしい。

 馴れ馴れしげにぽん、と肩を叩くと、俺の背中を無理やり押して先を促した。

 間違いなく、怪しい奴だし、おかしな奴だといってもいい。

 そして、強硬な姿勢が何より、怖い。

 はずなのだが。


 何故か、押し切られてしまうのだ。

 予断を許さない状況が続いたための、疲労からくる無力感なのか。

 相手の、へらへらとした軽薄な態度に対する、脱力感からなのか。

 奇妙なことに、抵抗する気力が、何故か、沸き起こらなかったのだ。


 気力が起こらないというよりは、“気力を奪われている”ようにさえ思えた。


 こうして、促されるままに、俺は知り合いだと言い張ってはばからない男の車に、何の抵抗も出来ないままに押し込められる。

「あ、シートベルト締めといてね。さすがにこの時間まで取り締まりは無いと思うけど、安全のためにさ?あ、でも俺安全運転がモットーだからね?あはははは」

 軽々しい笑いが、逆に恐怖感をあおるも、俺は先程から襲ってくる謎の“無気力感”から、言葉を発するのも億劫になり始めていた。そうして。


―・・・あ、やばい。なんだか思考まで・・・


 とうとう、意識までもが飛び始める。

 すると、俺がずっと無言なのが気になったのか、単に性分なのか、何か策略でもあるのか。

 再び口を開くと、一方的にまくし立て始めた。


「いやぁ、何年ぶりになるかなぁ・・・最後にお前と会ったのは・・・そう、地元の高校受験のときだったかなぁ。お前ってば、余程勉強が好きなのか、真面目すぎるのか、小学校に入ってから、ずーっと塾通いでさ。俺と全然遊んでくれなかったじゃん?むしろ、俺のこと、勉強の邪魔するウザい奴って思ってただろ?これでも、気ぃ遣ってたんだぞ?あんまり根詰めて、お前がぶっ倒れんじゃないかってさ―」


「・・・・・・」


 思い当たる節が無いわけではなかったが、それにしても、地元の友人たちの中に、こいつがいたかは定かではない。しかし人違いではないだろう。何せ、俺の名前を知っていたし、深夜の車窓は見づらいながらも、確実に、俺の住むアパートの方向には進んでいた。


―帰る、と見せかけての、新手の誘拐なのか??だとしたら、何の目的で??こいつのメリットは何だ??


 落ちかけている意識からの思考は、あまり要領を得ないでいた。


「ま、よく言われてたしなー。呼んでもいないのにしゃしゃり出てきて邪魔をする、ってね。結果、お前は志望校合格を決めて、そのまま有名大学出て、一流企業に就職決定ってか?いやー、順調な人生、羨ましい限りで。俺が心配するまでも無く。さすが!出来る男は違うねぇー!」


「―・・・ちがう。」

「えっ?今何か言った??」

「・・・ちがう、違うんだ。俺は、出来る男なんかじゃない・・・」

 心からの叫びが、思わずもれ出てしまった。

 ここへきて、不思議と、何かが俺の中から湧き上がり始める。

 それは、恐らくは、これまでの人生において、押さえ込んできた様々の、鬱屈した思いだったのかも知れない。しかし、何故今、この期に及んで、なのだろう。

 理由の分からないままだが、とにかく衝動は止められず、どんどん溢れてくる。


 そんな俺の心情を見透かしたように、彼が放った言葉は、ついに、俺の引き金を引いてしまった。 

「・・・へぇ。順風満帆な人生だと思っていたんだけどねぇ?俺の度重なる誘惑を蹴散らして、掴み取った勝利じゃなかったの?だって君は、“やれば出来る男”なんだって、もっぱらの評判だった」

「だから、違うんだよっ!!」

 先程までの無気力感は何処へ行ってしまったのだろうか、と思わせるほどに、俺は声を荒げ、革張りのシートに拳を力いっぱい叩きつけた。

「・・・俺は、俺は・・・出来る子なんかじゃないんだ・・・」


“お前は、やれば出来る子なんだから”


 この言葉が、どれほど俺を苦しめてきたか。


“やれば出来る奴なんだから、期待してるよ”


 どれほど、俺を追い詰めてきたか。


―俺は・・・俺は・・・・・・


「・・・・・・もう、無理なんだ・・・」


 限界を、とうに振り切っている。

 一心不乱に、ここまで、期待を裏切らないように、自分に言い聞かせるように、納得させるように・・・・・・自分を、追い込んでいたのだ。


―追い詰めていたのは・・・そうか。


 自分自身だった、ということに、ようやく気がついた。

 否。

 気付かない振りをしていたことを、突きつけられたのだ。


「・・・・・・ッ!」


 頭を抱えて、シートにうずくまりしゃくりあげる俺に、あいつは予想外の事を聞いてきた。


「―あのさ、今更なんだけど、俺、誰だか分かってる?」

「え・・・・・・」

 散々、知り合いだとか何だとか自分で言って絡んでおきながら、一体何の意図なのだろうか。

「・・・・・・」

 当然ながら、答えられない俺は押し黙って、様子を伺っていると。


「・・・・・お前の、影ってゆーか、本心、みたいなもん、かな?あ、俺の名前、思い出せないようだから、一応言っておくわ―」


 ぞわり、と悪寒が走り。

 再び言いようの無い脱力感に襲われた。




 まさか、アイツが。


「―でさ?これから、どうすんの?」

「・・・どうするって・・・」

「ひとりぼっちのアパート帰って、ほとんど寝ないでまた会社行って、ただでさえいっぱいいっぱいなのに、あれこれいろいろ押し付けられて『いやぁさすが出来る男は違うねぇ!』とか見え透いたおべんちゃら耳タコに聞かされて、へらへら無駄に愛想振りまいてご機嫌とってへとへとに身も心もくたくたで精魂尽き果てたころまた終電ギリギリ乗って・・・」


『これが、君の勝ち取った、人生なのかい?』


 そんな風に、揶揄されているように思えた。

 そう、これが現実で、俺の選び取った人生なのだ。

 いや。

 俺にはこれ以外の人生を、選ぶ自信が無かったのだ。

 だから、他に、もう、どうしようもないのだ。


「ねぇ、折角ここで再会したんだからさ?これも、何かの縁だと思ってさ、俺の誘いに乗りなよ、ね?」


「・・・・・・」





 俺を乗せた車は、もはや休息の意味すら希薄になりつつあったアパートの前を通り過ぎると、何処へともなく、走り去った。



 その後の俺の消息は、誰も知らない。












『なぁ、一緒にサボローぜ?』



(終わり)

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旧知の悪友 青谷因 @chinamu-aotani

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