第4話 初めてのケンカ

「なにこれ、めっちゃ可愛い」

「だろ? この姿ならば文句あるまい」

 さて、大学に行く段階となって、付いてくるというルシファーがぽんっと黒猫に変身して見せたものだから、奏汰は思わずなでなでしてしまう。黒猫ルシファーは嬉しそうに喉を鳴らした。

「まあ、猫ならば問題ないか。大学の構内をうろうろしてるし」

「ああ、あれ、俺様」

「・・・・・・」

 お前、すでに大学の中をうろうろしてたんかい。

 奏汰は猫を撫でるのを止め、じっと睨む。

 ああ、よく見るとこの黒猫、見たことがある気がする。

「奏汰はどこにいても可愛いもんなあ。白衣姿も好きだぞ」

「っつ」

 指摘され、奏汰はそのまま床に頽れる。

 ああ、やっぱり大学で思わず撫でちゃった猫だ。実験に失敗して疲れた心を癒やしてくれたあの猫だ。

「だから一目惚れだと言っただろ。ついでにお前の手に触れられた時、運命だと感じたな」

「ううっ」

 あの時は猫に出会えてラッキーって思っていたのに、今はアンラッキーだったと心の底から思う。基礎実験を思い切り失敗したあの時よりもダメージがでかい。

「ほら、大学に行くんだろ。このドアから出ろ」

「はあ」

 もう、何なの。本当にルシファーと結ばれることが運命だというのか。奏汰は朝からげっそりと疲れてしまうのだった。




「大学まで異空間と接続されている」

 さて、ドアを開けると大学の図書館の中だった。その事実にびっくりすると同時に、逃げ道のなさにげんなりしてしまう。

「便利だろ」

 今は奏汰のカバンの中に収まっている黒猫ルシファーの得意げな声に、さらにげっそり。

「と、ともかく授業。うん、そうだ。日常を過ごせば少しは冷静になる」

 奏汰は自分に言い聞かせるように呟くが、そうはならないことをすぐに知る。

「あれ?」

 それは図書館の中を通り過ぎようとした時、奇妙な小人たちに出会ってしまったせいだ。手のひらサイズの小人。それが本棚に腰掛けて談笑している。服装は絵本に出てくるような、とんがり帽子にベストに半ズボンというスタイルだ。

「俺様の影響だな。精霊だぞ、あれ。珍しいな」

「マジか」

「図書館は様々な書物が集まっているから、飛び出してきたんだろうな」

「マジかぁ」

 つまり、ルシファーといるとヒトではないモノが見えちゃうということか。いきなり霊感を得てしまったということか。嫌すぎる。

「霊感とはちょっと違うけど、まあ、ヒト以外は見えちゃうな」

「めっちゃ日常生活に支障が出るじゃん」

「だから諦めて俺の嫁として生活すればいいんだって」

「嫌だし」

 ともかく、日常へ。

 奏汰はもうそれしか考えられないのだった。




「散々だった」

「だから諦めろと言っているんだ」

 お昼。奏汰は大学の片隅にあるベンチで頭を抱えてしまう。

 ルシファーの影響とルシファーによって与えられたこの服によって、奏汰は完全に浮いていた。めちゃくちゃ浮いていた。おかげでいたたまれなくなり、現在片隅で頭を抱える結果となっている。

「なんだ、奏汰。あんなに金に困ってたのに、宝くじでもあったのか?」

 これは好意的な解釈で、奏汰は笑って誤魔化せた。しかし

「ついにホストにでもなったのか?」

 や

「お前、金がないからってその顔を利用するのはせこいぜ。どこの金持ちのばあさん、またはおっさんを騙したんだ」

 というのがぐさっと刺さった。

 ええ、そうですよ。年中金欠ですよ。でも、そんなストレートに言うか。ちなみにおっさんを騙したんじゃなく、おっさんに騙されているんですけど。しかもそいつ、悪魔だったんですけど。

 しかも中にはその悪魔の気配を感じ取れる人がいるようで

「外道」

「近づくな。気持ち悪い」

 と、これまたストレートに表明してくれる奴がいた。

 ああ、味方がいない。

「諦めろって。俺様と結ばれた時点で普通ではいられないんだ。悪魔としての要素が他に影響を及ぼすからな。どうしても人間の悪感情が揺さぶられる。悪口を言ってしまうのは仕方ないのさ。ついでに言えば、好意的な意見を言った奴。あいつは裏であくどいことをしている可能性が高い」

 ルシファーは黒猫姿のまま嫌なことを言ってくれる。しかし、そうか。今の俺って悪魔に取り憑かれているようなもんだもんなあと、奏汰は遠い目。

「昨日までは普通だったのに」

「それはそうだ。昨日から奏汰は魔界にいるんだから」

「・・・・・・」

 全部こいつのせいじゃん。

 奏汰はますます頭を抱え、ついでに猫を引っつかむ。そのまま力任せにぶん投げたが

「甘い」

 ぽんっと空中で元の姿に戻り、ルシファーはにやりと笑う。そして一気に距離を詰めると、奏汰をお姫様抱っこして持ち上げた。

「ちょっ」

「理解しただろ。お前の居場所はもうここにはない」

「い、嫌だ。俺は勉強したいの」

「錬金術なんて勉強しなくても、俺様といれば魔法が使えるぞ」

「錬金術じゃないし! 化学!! 中世ヨーロッパじゃないんだ。ちゃんと物質を変換できる!」

 奏汰は無駄と知りつつ、ぽこぽことルシファーの胸を叩いた。しかし、叩いた結果、こいつがすげえ筋肉質だということが解り、男として情けなくなってくる。

 まあ、軽々とお姫様抱っこされている時点で、筋力の差は明確だったけど。

「まったく。顔は可愛いくせにそんな偏屈な学問をやっているとはな」

「へ、偏屈って」

「仕方ない。勉強したいのならば、俺様が最上級の家庭教師を用意しよう」

「いや、ちょっ」

 俺の大学生活を返せよ! せめて悪魔の影響がこっちにいる時は出ないようにしろよ!!

 奏汰は全力で叫びたかったが、虚しさが勝ってぐったりしてしまったのだった。




 結局、奏汰はルシファーにお姫様抱っこされたまま、魔界に戻ることになってしまった。

 もう、反論する気力もない。そんな状況だった。

 しかし、ベッドの上に下ろされたところで、ルシファーに蹴りを入れる。

「痛いな。俺様を蹴飛ばすなんて、何を考えている」

「なんもかんも、あんたのせいだろ!」

 ごろっと寝転ぶと、奏汰はふて寝モードに入る。

 いきなり部屋に現われ、無理やり魔界で生活する羽目になって、それで大学で散々に罵られれば、そりゃあ心が折れる。あまりの理不尽に、どうしていいのか解らない。

「その、ごめん」

 反対側を向いてしまった奏斗が傷ついていることは解るので、ルシファーは素直に謝った。しかし、奏汰はこちらを見てくれない。

 どうしたらいいんだろう。っていうか、蹴りを入れられてお前のせいだなんて言われたのが初めてで、どう対処していいのか解らない。

「だって、奏汰が可愛かったんだもん。手に入れたかったんだもん」

 だから、口から出て来たのはそんな言葉だけだった。おかげで奏汰は布団を被っていよいよ無視モードに入ってしまう。

「そんなに大学がいいのか?」

 ルシファーはねえねえと、諦めずに奏汰に話し掛ける。無理に布団を引き剥がすことはないが、答えてよとベッドに座って訊ねる。

「楽しく好きなように過ごせるんだぞ。悪魔は魅力的だぞ」

 答えてよと、今度は悪魔に関してプレゼンしてみる。しかし、奏汰は全くこっちを見てくれない。

 くぅ、悔しい。ちょっと不都合があってもいいじゃん。苦労することはもうないのに、何が不満なんだよ。

「奏汰、いい加減にこっちを向け!」

 強引は良くない。そんなこと言ってられるか。ルシファーは思いきって奏汰の布団を掴んで剥がした。が、その目に涙があって、たじろいでしまう。

「か、奏汰っ」

 泣くって、ええっ、泣くって、どういうこと。

 ルシファーは今までにない反応に戸惑ってしまう。

 どんなことをやっても、今までは頭を抱えつつも何とか切り替えてくれたじゃん。それなのに泣くってどういうことだ。

「なんで、俺なんだよ。他でいいじゃん。もう帰してくれよ」

「嫌だ」

 ルシファーが即答すると、奏汰はもう我慢できないとぽろぽろと泣き始めてしまう。そしてぶんっとクッションを投げつけた。

 ルシファーはそれを簡単に受け止めつつも、どうしてそんな反応なんだとおろおろ。

「普通に生活出来るんだったら、別に横にルシファーがいようが、家が異空間になってようが、ちょっとは我慢できると思ったけど、今日のはマジで無理」

 奏汰は涙が出たことで、言葉が正直に吐き出せる。

 別にトンデモ展開になろうと、日常が続くのならば、まあいいかで受け流せた。でも、それが無理となった時、我慢の限界が訪れてしまったのだ。

「帰せない。もう、ここだけにいろ」

 そんな奏汰に、ルシファーは冷酷に告げる。

 日常が続かなきゃ嫌だなんて、そんなの承服できない。自分の伴侶になるのだ。どこかで諦めてくれなきゃ困る。

「一人にしてくれ、頼むから」

 平行線なのはずっと一緒だ。でも、一日一緒に過ごしたことで、どこか受け入れていた自分が嫌だ。奏汰はぷいっとルシファーに背を向けたのだった。

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