kiss×2 俺の嫁候補
部屋に戻るなりエアコンのスイッチを押した。冷え切った室内が暖まるのには少々時間がいるだろう。制服のブレザーを脱いでホットカーペットへ転がると、愛猫の
真っ黒な毛並み、折れ耳が特徴的なスコティッシュフォールド。ペットショップで運命的な出会いを果たし、信長と俺はすぐに意気投合した。武士のように凛々しい顔立ちがカッコよくて〈のぶなが〉と俺が命名したのだ。
(飯ができるまで信長とダラダラすっか)
信長は寂しかった穴埋めをするように頬ずりをしてくる。俺はホットカーペットのスイッチも入れた。信長のためだ。もうどう思われたって構わない。それくらい溺愛しているのだから。
(
*
line
ちょっと話がある。夜ご飯食べたらそっち行ってもいい?(柊)
いいよ。俺も相談したいことあるし(景)
わかった。ご飯とお風呂済ませてからいく(柊)
りょーかい(景)
*
何だろうな。また少女漫画の新刊買ったから読んで攻撃かな。いや別に俺も恋愛小説書いてる身だからいいんだ。参考になるし。
超自己満足で書いてるだけの恋愛小説。唯一、柊のみが知る。まあでも小説投稿サイトにひっそり載せててもボツボツ読まれてるから怖い。いやね、ほんとは超嬉しいです。
だがな柊。まとめて十冊とか持ってきて「今読んで。感想聞きたい」っていう案件。俺がいくら暇だからってやめてほしいんだが。
でもさ、そう思うのにさ。
アイドル顔負けのフェイスに、甘ったるいボイスで囁かれたら男の俺でも正直勝てない。最近は柊のことばかり考える。
でも「今読んで」って言われたら多分ひとつ返事でオッケーするんだ。自分、流されやすい生き物なんだなあって、つくづく思う。
「母さん、ご飯食べたいんだけど?」
リビングへ顔を出すと「カレー出来てるから好きなときに食べなよ」と母さんは言う。俺と同年代くらいのアイドルグループのライブ映像を作業用BGMにして歌いながらアイロンがけをする母さん。
アイドルグループ
俺はその前を容赦なく通過してキッチンへ行く。
「あん、
俺は無言のまま鍋の蓋を開けてカレーを温め始めた。
「後で柊くるってー」
「ええっ、柊くん来るの? じゃあ何か用意しなくちゃねえ。ふふん、ふんふん」
柊パワー強し。機嫌が良くなった。
「や、食べてから来るし何もいらんって」
ふんふんふんふん。ふおおおっ。ふんふんふんふん。
「え──っと母さん。母さ──ん」
ダメだ全然聞いてねえ。
ならば。
「お姉さーん」
「何よ景都。早くカレー食べてお風呂入りなさいよ。柊くん来るわよ」
なるほど。お姉さんと呼べば返事をするのか……って聞こえてんじゃん。やはり都合のいい耳だ。
幾らね、柊がアイドル顔負けのベビーフェイスだからって普通の男子高校生なんだから。付け加えておけば柊は貴方のためにここへは来ません。
俺だってこの根暗さえなきゃ、この冴えないしょうゆ顔だってイケると思うのに。根暗な性格が俺の前を立ちはだかるように邪魔をしてくる。
口の中で少々火傷しながらもカレーを急いで掻き込み、とんでもなくハイテンションな母さんを置き去りにして部屋へ逃げた。
履いていた制服のスラックスも脱いだ。ボクサーパンツとカッターシャツ姿の解放感に男として安堵する。それを椅子にかけておいたブレザーの上へ無造作に重ねた。ネクタイをはずそうと手をかけるが、ちょっと乱れていることに気づく。
(げっ、そういえばさっき小悪魔ちゃんに掴まれたんだった。すっげー力で引っ張るんだもんなー。裂けてないかあ、これ)
メスブタ野郎。
小悪魔ちゃんに吐き捨てた下品な言葉。あの後、逃げるように走り帰った。今になって猛烈に後悔している。
イラついてメスブタ野郎と叫び視線をケーキ屋へと逸らした。その後はもう彼女の顔は見ていない。声も聞いていない。いや正確には彼女の声が発せられる前に逃げてきたんだ。
やってしまったものは巻き戻せない。諦めとも言える溜息を深く吐き出してから風呂場へ向かった。
ピンポーン、ピンポーン。
風呂から上がって拭き終わったナイスタイミングで家のチャイムが鳴った。
パタパタと母さんの歩くスリッパの音が廊下に響く。「柊くん、今開けるからちょっと待ってねえ」と、まるでキャバクラに来た客を出迎えるような猫なで声を上げる母キャバ嬢。
玄関に一番近い所に風呂場があるため、声が筒抜けだ。
「お邪魔します。お母さん」
「いらっしゃい、柊くん。景都なら今お風呂。もう出ると思うから上がって部屋で待っててね」
柊は「お母さん」と呼ぶ。もうこれには慣れた。
生まれたときからここに住んでいる俺達。自分の親のように接しているせいか、柊は俺の両親を「お母さん」「お父さん」と親し気に呼ぶ。
だが俺はちょっと恥ずかしいので、あっちの両親を「柊の母さん」とか「柊の父さん」と呼んでいる。彼の天性の社交性さには常々見習いたいとは思っている。
急いでスウェットを着て脱衣所の扉を開けた。
「よお、今風呂から出たとこ。お前、飯と風呂は?」
まだ髪は濡れたままだ。
「飯食べたし風呂入った。何か早く来たくてさ」
いちいち可愛いことを言う奴だ。
「ほんと、柊くんっていい子よねえ。可愛いし素直だし。うちに嫁に来てもらってもいいんだけどなあ」
ぶ、ふおおおっ! ゴホッ、ゲホッ!
「景都、大丈夫かよ。何かつまったのか?」
何もつまってねえよ。
つまってんのは柊の脳ミソん中の少女漫画だろうが。
ん?
母さん?
今、何て言いましたか?
うちに嫁に来てもらってもいいんだけどとか、どーとかこーとか。
「お母さん、それ名案ですね」
は?
柊まで何言うてるの?
「でしょでしょー! いつでも景都の嫁に来てもいいんだからね」
俺の喋る隙すらも与えてもらえない。
「はい、考えておきます」
「後でお茶持っていくから、ゆっくりしてって。何なら泊まっていってもいいのよ。ああ、景都のベッド、シングルだから狭かったわね。でもいつも一緒に寝てたんだからいいわよねえ、わっははは」
「はい、ありがとうございます」
や、待て。
嫁……やぞ?
嫁の意味、わかってるよな、お前ら。
はい、考えておきますって何?
俺と柊が結婚して柊が俺の嫁で一緒に住んで──
って可笑しいだろ、それ!
男同士だぞ、俺ら。
そりゃあ……モゴモゴ
柊のこと……モゴモゴ
確かに意識してるけどさあ……モゴモゴ
「景都の部屋行こうよ」
「あ、ああ、おう」
部屋に戻るや否や、柊から「俺、好きな人がいる」と告白された。
その瞬間、後頭部を鉄アレイで思いっきりぶん殴られるような衝撃音を脳内で確かに聞いた。
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