勇者シンの切なる哀しみ

神城英雄

第1話






 旅先の森の中で、少年は憂鬱そうにため息をついた。



 彼こそは勇者シン。チキュウなる異世界からはるばるやって来た、世界を救う少年勇者だ。本名を佐藤新一という、もと高校二年生の少年である。


 聖オルメルリース王国の至宝とうたわれる、アルフィナ・リンテス・ラ・オルメルリースなる美しく可憐な名を持つうるわしき王族によって異世界召喚され、魔王ファナリーを打倒せんとする使命をおびて、パーティーを率いて旅をしている。



 勇者シンは召喚された当初はそれはもう大喜びだった。ご多分にもれず彼もまたゲームに熱中する遊び盛りの少年だったからだ。……だが、直後におのれの運命に暗雲が立ちこめるのを少年は感じ、以後それは次々と的中して外れたことがない。


 そう、具体的には召喚直後の自己紹介の、その時から――





「勇者さま、またため息なんてついて。だめですよ、幸せが逃げちゃいます」


「そ! ……そうだな、ティ――ティア」



 ティアは笑みを浮かべて勇者シンを元気付けた。少年が名を呼ぶ時にいつもつっかえるのは気にしていない。優しいのだ。


 ティア・ルーフィリア。勇者シンのパーティーの心強い仲間である亜麻色の髪の僧侶だ。きちっと僧服を着こなしていて、几帳面さがあらわれてこそいるが、それでも隠せないその僧服を下から盛りあげるものははちきれそうで、少年の心をゆるがせる。明るく優しい性格で、落ちこみがちな勇者シンを包みこむようにいつも慰めてくれる。



「そうだぜ! お前がそんな顔してたら、魔王ファナリーを倒すなんて無理って気になっちまうぜ!」


「あ! ……ああ、確かにな、ウ――ウルピィ」



 勝ち気な声をあげたのはウルピィ・ピピルアリーファ。褐色肌で銀髪の元気な魔法使いである。蛮族出身で身体を包む布が少なく、その肢体を惜しげもなくさらしている。攻撃魔法大好きで、やや前のめりになりすぎるのが玉にきず。だが、頼もしいパーティーメンバーだ。勇者シンも何度もその魔法には救われている。



「そうだ。勇者たるもの、もっと胸を張ってもらわなくては」


「う! ……うん、俺もそう思うよ、イ――イリーナ」



 厳しいことを言うのはパーティーの引きしめ役、イリーナ・フォン・ラナクロフ。凛々しい騎士姿も艶やかな貴族だ。白い鎧の上に青いサーコートを着けていて、ながくのばした黒髪が風になびく。キリッとしているが、じつは虫が苦手という意外な弱点もあったりする。



 僧侶ティア、魔法使いウルピィ、騎士イリーナ。この三人が勇者シンのパーティーメンバーである。勇者シンはこの心強い仲間たちとともに、幾度もの危機を乗りこえ、冒険の旅を続けてきた。どんな強敵だろうが、騎士イリーナが先陣を切り、勇者シンが剣と魔法で戦い、僧侶ティアが回復魔法で支え、魔法使いウルピィが核撃魔法で吹きとばす。まさに快進撃である。


 魔王ファナリーが差しむけるモンスター軍団など恐るるに足らず! 勇者シンとその仲間たちがいれば、世界はかならず救われる! 魔王の脅威に絶望と悲嘆に暮れていた人々は希望をふたたび見いだして、勇者パーティーをこぞって讃えた――勇者シンの懊悩などお構いなしに。



 勇者シンの悩み。それはとても仲間たちには明かすことはできないものだった。だがそれは、確実に勇者のモチベーションを下げていた。具体的には、最初の最初から、ずっと。



 異世界召喚。やった! 魔王の脅威。うん、まかせろ! 選抜された強い仲間たち。やっぱそれがないとな! 報酬は望みのまま。わぁお! ではよろしくお願いします、わたしの名前は――


 それは召喚直後の名のりのときだ。少年は凍りついた。愕然とした。まさか、そうなのか? だとしたら俺は――



 以後、出会う者、出会う者、そのすべてが、勇者シンを苦しめた。哀しませた。その決意をゆるがせた。





 ――俺は、この世界を救えないかも知れない。





 勇者シンは、心の底でずっと悩んでいた。それは優しいティアにも明かすことができない絶対の秘密であり――そして、おそらくは話しても理解してはもらえないだろう、絶望だった。


 その悩みとは――









 ――だってこいつら、おっさんじゃん!!









 聖オルメルリース王国の至宝とうたわれたアルフィナ殿下も、僧侶ティアも、魔法使いウルピィも、騎士イリーナも――みんなおっさん!!


 召喚当初の少年らしいハーレム願望など粉と微塵に砕けちった。



 そして出会うおっさん、出会うおっさん、そのすべてが――



「よう、お前さんが勇者か。俺の名はエレーナだ」


「ほう、なかなか筋がいい。俺はアリューシャという」


「わしが魔法を仕込んでやるぞい。わしこそがジャンヌじゃ」



 厳つい騎士長が、ムキムキの戦士がしらが、しわしわの爺さんが、その汚らわしい口で名のるヒロインネームのオンパレード! こともあろうに少年の愛したゲームやアニメのヒロインたちの名前まできっちり余すところなく網羅されていたわけで。





 ――いやがらせか!





 では逆に愛らしい女の子たちはと言うと――



「勇者さま、世界をお救いください! わたしの名前はゴンザレスです」


「よろしく、勇者さま。わたしはザルドゴス」


「まぁ、かっこいい! わたし、ドゴルバース!」



 なみいる美女、美少女たちのすべてが、一人の例外もなく、とんでもないおっさんネーム! それもやけにごんぶっとい感じの! ごんぶと!





 ――やってられるか!





 最初のころは勇者シンもがんばった。がんばって名前を気にしないように必死だった。けれど、愛らしい口元から名のられるそのごんぶとネーム。心に描いた美少女の思い出がごんぶとネーム。すべてすべてがごんぶとネームで上書きされて、年頃の多感な少年の心をこれでもかと痛めつけた。


 なんなんだこの世界。逆転するなら貞操観念とかにしろよ、最近流行はやりだっただろ! 勇者シンは痛切なる哀しみに打ちひしがれた。





「ほら、またため息。だめだよ、いいとこ探ししようよ」



 優しい僧侶ティアがまた包みこむように慰めてくれる。その僧服をぎちぎちと下から盛りあげる、はちきれんばかりの筋肉の偉容に包みこまれそう。



「はっ! なんだよ、元気ねーな。少し分けてやろーか! あははは!」


「まったく、先が思いやられます」



 魔法使いウルピィがその日に焼けて褐色になった筋骨隆々の肢体を惜しげもなく見せつける。騎士イリーナが、白い鎧もいらないのではないかと疑問に思えるほどのマッチョボディーを唸らせる。





 ――だめだ、世界を救うという決意がゆらぐ。





 勇者シンの心は懊悩にむしばまれつつあり、勇者という役目に辟易へきえきしはじめていた。と言うより、さっさと魔王を倒して地球に帰りたかった。召喚された時は舞いあがっていて、その直後に絶望に叩きおとされたものだから、すっかり地球に帰れるのか確認するのを忘れていた。


 少年は最近そのことをよく考える。召喚された国、聖オルメルリース王国からは既に遠くはなれてしまっており、この世界にはもちろんスマホなんてなく、似たような魔法もない。あのオルメルリースの至宝とうたわれた、うるわしき筋肉美を誇るアルフィナ殿下に、確認するすべはもはやなかった。



「魔王ファナリーをさっさと倒そう」


「「「その意気!」」」



 少年の悩みなど知るよしもないマッチョ三人は、勇者シンの決意を歓迎した。もっとも――



 ――魔王ファナリーか。どうせまたマッチョなおっさんなんだろうよ。けっ。



 勇者シンはかなりやさぐれてしまっていたが。





 だがそれは、すぐに一転することになる。





「――ほう、お前が勇者シンとやらか」





 なにやつ! と、マッチョなおっさんたちがあわてて勇者シンの周囲をかためるなか、空から天女かと思える絶世の美少女が降りてきた。



「わらわは魔王ファナリー」



 魔王ファナリー。それは物凄い美少女だった。腰までのばした紫色のながい髪は風になびいてきらきらと宝石のよう。透きとおるような白い肌に、愛らしい小顔。赤い瞳は蠱惑のきらめきを魅せ、まつ毛は長く、鼻筋はちょんと整い、瑞々しい桜色の唇は誘うよう。黒いゴシックドレスに身を包み、背中には黒いコウモリの羽。頭からは二本のほそい黒い角。角と羽こそ確かにあれど、世にもうるわしい乙女の姿。しかしそれに惑わされることを少しも許さぬ魔王のまがまがしいオーラが、森を圧してゆるがせる。彼女こそが魔王ファナリー。世界に覇を唱えんとする魔族の女王。悪の可憐な一輪華いちりんか


 魔王はほっそりしたたおやかな白い手を勇者に向け、世界の運命を問うた――



「勇者よ、一度だけ問おう。わらわのものとなれ。さすれば、世界をはんぶ」


「はい」


「即答!?」


「「「えええ!?」」」





 その日、世界の運命は決した。


 勇者シンの突然の心変わりの理由については、歴史書にはなにも記されていない――









 後日、魔王城にて。



「ファナリー。俺はお前のナイトだ。もう勇者とは呼ぶな」


「それは頼もしい。特別にわらわの本名で呼ぶことを許そう――ファヌヌウンリゴズンドコ・ゴルドゴル・ターゴサク・エイサッサじゃ。よろしく頼むぞ、わらわのナイトよ」



 勇者あらため魔王のナイトは床に手をついて叫んだ。



「ちくしょおおおおおおおおおお!!」






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