第45話翼の鎌倉散歩(7)円覚寺門前の精進料理店

「若!」

武は、大きな声。


翼は、恥ずかしい。

「こんな外で、大騒ぎしないでよ」


武は、うれしくて仕方ないといった顔。

「いやーーー!懐かしい」

「都内の大学にって、お聞きして」

「いつ来てくれるかなあと・・・」

「この間も源さんと、話しましたよ」

「今日は食べて行ってくれますよね」


翼は、笑顔。

「うん・・・これから円覚寺に寄って、参拝して」

「武さんの和食が恋しくてね」

と、適当に話を合わす。


武は、また笑顔。

「若、こちらに」と、翼を勝手口に案内、そのまま開けて、女将を呼ぶ。


出て来た女将は、まず、深々と頭を下げる。

「ご実家には、本当にお世話になっておりまして」

「翼坊ちゃまのアドバイスにも、それで救われたことも何度も」

「武さんも悩むと、すぐに翼さんですもの」

「それが、またいつも正解で・・・他の料理人も、実際にお逢いしたいと、常々」


そして顔をあげ、翼に目をパッと目を輝かせる。

「うふふ・・・翼坊ちゃま?」

「あの可愛らしい翼坊ちゃまが・・・こんなにイケ面に?」

「どうしましょう・・・アイドルですって、私の」

「今ね、ドキドキして・・・胸が苦しくて」


翼は、また困った。

なかなか「円覚寺に」と、言い出せないほどに、女将の言葉は連続して途切れない。

また、いつのまにか、武と女将さんだけではない、他の料理人や仲居たちも、翼を取り囲んでいる。


それでも武が気を利かせた。

「若が、円覚寺さんにお参りしたいと」


すると女将は、仲居の中から、一人を手招き。

「ねえ、茜さん、ご案内をね」

その「茜」は「はい」と美しい声。

そのまま、翼の前に来る。


また翼は、戸惑う。

「あの・・・一人でも・・・」

「お仕事は?」


すると女将が、クスっと笑う。

「何をおっしゃる?若様」

「茜に全てお任せを」


翼は、これ以上の遠慮は野暮と思った。

「わかりました、よろしくお願いいたします」と、素直に茜と円覚寺を参拝することにした。


店を出て、円覚寺の山門に至る階段を一緒にのぼる。


茜はニコニコとしている。

「翼さん、この間、業界の雑誌の表紙写真で拝見しました」

「インタビューも、いろんな発言が面白くて、深くて」


翼は、「はぁ」と気のない返事。


茜の言葉は続く。

「それとメチャ可愛くて、しかも武さんとも女将さんとも、深く長いお知り合いとかで」

「女将さんは昔、翼さんが店に来られた時の写真を自分の部屋の壁に貼りますし」

「あ・・・どうしましょう・・・私、ドキドキして・・・」


翼は、この時点で、「ちょっと面倒」の気持ちが、発生している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る