【15】あなただけを信じています

「そうしてくれればありがたいな、ルウム。どうもあの女と話していると、こっちの調子が狂って困る」


 ほとほと疲れたようにフラムベルクが息を吐く。

 身を屈め、ルウム艦長につきつけていた銃口を下ろし、彼の真意を探るように奴は目を細めて囁いた。


「いっそのこと撃ち殺した方が気が楽だが、お前が本当に、あの像に施した仕掛けを外してくれるのなら、あの女は助けてやろう」


 ルウム艦長がゆっくりとうなずいた。


「いいだろう。じゃ、彼女と話をさせてくれ」


 フラムベルクが彼の両腕を押さえている手下に目配せをした。

 押さえられていた力がゆるめられたせいで、ルウム艦長は静かにその場から立ち上がる。そしてそのまま、隣に立つフラムベルクへ鋭い眼差しを向けた。


「約束は守ってもらうぞ、フラムベルク」


 フラムベルクは左手を胸の前に当て、にやりと薄気味悪い微笑をたたえたまま、ルウム艦長に向かってうなずいた。


「俺は約束を守る男だ。だからお前の船も、やっただろう?」


 はははと、フラムベルクはその顔に似合わないさわやかな笑い声をたてた。


「何ならあの女の所へ行ってもいいぞ。ただし、お前が逃げようとしたら、即座に撃ち殺す。わかったな、ルウム」

「ああ」


 ルウム艦長とフラムベルクの視線が交差し、やがてそれは私の方へと向けられた。ランプを掲げる私は、左舷側の舷側から、ゆっくりとこちらへ歩いてきた艦長の顔を、ようやくまともに見ることができた。


 艦長は朝、マルガリータの店で別れた時と同じ、黒の長外套姿のままだった。額に巻かれていた包帯は外したのかなくなっていたが、フラムベルクに殴られたせいで、彼の顔の左側はこめかみから真っ赤な血が帯のように筋を作って流れている。


 私はこの時を女神像に近付く事ができるチャンスだと感じた。

 ゆっくりと一歩を踏み出してみる。

 大丈夫だ。フラムベルクの手下達は黙って私を見ているだけだ。

 ルウム艦長が近付いてくるタイミングに合わせて、私もそっと彼の方へ歩き出した。


「ルティーナ。君には本当に驚かされたよ」


 私達は女神像の前で向かい合い、足を止めた。

 額から流れる血を気にする事なく、ルウム艦長が私に向かって微笑している。

 こっちの気持ちも知らないで。

 私は唇を震わせ、思わず怒鳴り返した。


「お……驚いたのはこっちの方です! 何故教えてくれなかったんですか。あなたはフラムベルクに、脅されていたそうじゃないですか!」

「……話を聞いていたのか」


 ルウム艦長が眉をひそめた。


「はい。詳しい事情は知りませんけど、あなたがあの船首像を持っていたせいで、フラムベルクに狙われていたことはわかりました」


 私は強い口調でまくしたてた。


「言っておきますが艦長。私はあなたと一緒でなければ、ここを離れるつもりはありません! 私は、あなたを……あなたを……」


 胸が締め付けられるように苦しくなった。

 このままじゃ、あの人が本当にどこかへ行ってしまう。

 私の手の届かない所へ行ってしまう。


 それを嫌でも意識した途端、私はそれ以上言葉を続ける事ができなくなった。

 そんなことになって欲しくないから、私は一人でここへ来たのに。


「ルティーナ」


 気を抜けば目に溢れた涙がこぼれそうになる。

 私の名を呼ぶ彼の声が、二度と聞けなくなるなんて、そんなのは嫌だ。

 嫌なのに、自分の気持ちを言葉にすることができない。

 嫌だから、言葉にすることができない。


 その時、ルウム艦長が右手を上げて、とても強い力で私の肩を引き寄せた。

 不意のことだったので、私はなす術もなく彼の腕の中へ半ばよろけるように倒れてしまった。思わず目を閉じてしまう。


 どこか懐かしさを覚える潮の香り。

 刀の手入れに使う、錆び止め油のざらついた匂い。

 それらが、確かにあの人の存在を私に教えてくれる。

 しっかりと、だが優しく私の肩を抱く彼の手は温かく、この瞬間も私は守られている事を強く感じた。


「ルティーナ。君の勇気は賞賛に値する。だが冷静になって状況を見極めろ。君は無謀に事を仕掛ける愚か者ではない。だから、今は俺の言う事を大人しく聞いてくれ。今なら君を助ける事ができる」


 私は顔を上げた。

 ルウム艦長が痛い程真摯な眼差しで私を見つめていた。

 私はそんな彼の顔を見て、いや、そんな顔を彼にさせているのは私のせいだということを意識して、思わず彼から目をそらした。

 こんな艦長はみたくない。

 私は艦長にそんな顔をさせるために、ここへ来たんじゃない。


「私のために、諦めててしまうのですか? あなたは何としてでもフラムベルクを捕らえるんじゃなかったのですか?」

「……ルティーナ」


 ルウム艦長が頭を振った。否定でも肯定でもなく。


「俺はもう失いたくないだけだ。養父ちちのように……君までを犠牲にするわけにはいかない」


「それは私も同じです! 女神像の秘密をフラムベルクに明かせば、あなたは奴に殺されます。私は……私は、あんなもののせいで、あなたを失いたくないんです!」


「ルティーナ」


 ふっと、ルウム艦長が息を吐いた。肩に回された彼の手に、一瞬力が込められる。私を抱きしめた彼が、私の耳にすばやく囁いた。


『君に誓う。俺は奴に殺されはしない。だがそれには、君が俺を信じられるかにかかっている』


「艦長……?」


 彼の抱擁はほんの瞬きをするくらい、とても短いものだった。

 ルウム艦長は腕を解いて、再び私と向かい合った。

 私の頭は混乱していた。ルウム艦長は先程の囁きがどういう意味であるのか、私にまったく告げる事なく、普段通りの落ち着き払った表情で私の顔を見ていたからだ。


「さあ、ルティーナ。君はそのランプを床に置いて、あっちの……さっきまでいた右舷の舷側まで下がっていろ」


「おうおう。やっと言う事を聞いてくれそうか? ルウム」


 待ちくたびれたように、右手で銃を弄んでいたフラムベルクがつぶやいた。


『君に誓う。俺は奴に殺されはしない。だが、それには君が俺をどれだけ信じられるかにかかっている』


「ルティーナ、早く。俺は君が、そうしてくれることを


 ルウム艦長が噛み締めるように再び口を開いた。私はその時、彼の言われるがまま、まずは右手に持っていたランプをそっと床に置いた。

 もう運命に身をまかせるしか方法はないみたい。


 ランプを足元に置いたので、その時私は初めて自分のひどい格好に気付いた。

 ああ。すっかり足が泥だらけになってる。

 しかもドレスまで。膝をついて歩いたりしたから、すっかり表面の布地が毛羽立ってしまっているわ。


 私は不意に込み上げてきた笑いを噛みしめた。

 ルウム艦長、こんな格好で私が現れたものだから、それは本当にびっくりしたんだろうな。


 ランプを置いて私は再び顔を上げた。女神像の前に立つルウム艦長は、その時、私の好きな、あの不思議な静謐さに包まれた微笑をたたえて、私の方を見つめていた。私はしばし、彼の笑みを惚けたように眺めていた。


 八方塞がりの状況だというのに、何故彼はあの『微笑』を浮かべているのか。

 艦長がああやって微笑む時、何故か物事が上手くいく、そういう確信に近い気持ちが、私には強く感じるのだ。


 今まではなんとなく、そう思っていただけだけど。

 今ならどうしてそう思うのか、はっきりとわかる。

 艦長は、私を『信じて』くれているのだ。

 私を『信じて』いるのだ。

 だから心からの信頼がこもった微笑を、私に向けてくれるのだ。


「ルティーナ。次は操舵室まで下がって、そこで待機してくれ。何があっても


 私は彼の言葉に今度も大人しく従った。

 あの人は私に誓ってくれた。

 決して奴に殺されはしないと。

 だから私も、信じなければならない。


「……」


 再び溢れそうになる涙を手で払い、私はゆっくりと操舵室まで後退した。


 私もあなたを信じています。

 何があっても、アースシー・ルウム。あなただけを――。


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