【14】駆け引き

「……ジルバ。女と話をしたい気持ちはわかるが、痴話ゲンカはここじゃなくて他所でやれ。さっさとこの海軍の女を片付けろ」


 うんざりとした様子でフラムベルクがジルバに言った。

 ――この男。私の要求をさっきから無視しまくってるわ。


「フラムベルク、ジルバ! そこから動かないで頂戴。手下達もね! 動いたらこの火の着いたランプを『女神像』へ投げるわよ。さっき油の入ったランプをぶつけてやったから、あなたの大事な『女神サマ』は油まみれなんだから。あっという間に壮絶に燃え上がるわよ! それでもいいの?」


 ぐっとフラムベルクが口の中でうめき声をあげた。

 奴はぬらぬらとした感触を未だ覚える左手の指を見つめ、そして後ろを振り返ると、女神像の滑らかな頬をどろりと伝って、醜い染みを作る油に気が付いた。


「……この女ぁ……! 俺の『女神』を穢しやがって」


 フラムベルクが右手を腰に持っていったかと思うと、そこから先程ルウム艦長を殴りつけた銃を抜き放った。


「そのランプの火を消して、足元へ置け! でないとぶっ殺すぞ」

「――嫌よ!」


 誰がお前の言う通りにするもんですか。

 そう叫び返すと、フラムベルクの唇に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。


「馬鹿な女だ。お前がそれを投げ付けるより、俺が引き金を引く方が早い」

「……そんなこと、わかっているわ」


 私はごくりと生唾を飲み込んだ。

 口の中はからからに乾いていたと思っていたのに。


「撃つなら撃ちなさいよ。その代わり、で殺しなさい。でないと私は、このランプの火をドレスに引火させて、這ってでもあの像を燃やしてやるから」

「……」


 私は脅しではない証拠に、じりじりと女神像に向かって一歩を踏み出した。

 フラムベルクは信じられないといった形相で、銃口を私に向けたまま口を半開きにしている。


「ルティーナ! 馬鹿な事はやめろ。君は関係ないんだ。なんだって、あいつのためにそこまでする必要がある……!」


 たまりかねたようにジルバが口を開いた。

 私は彼に向かって自分でも知らず知らずのうちに笑いかけていた。


「そうね。自分でも馬鹿げてるって思ってるわ」


 でも。

 これだけは、譲れないから。


「フラムベルク。あなたはどうする気? あなたが欲しいのはあの『女神像』でしょ? 私はルウム艦長さえ返してくれれば、あなたの邪魔をする気はない。すぐさまここから立ち去るわ」


「……無茶苦茶な女だ。その無謀さだけは認めてやろう」


 初めてフラムベルクが、私の顔をまともに見た。

 相変わらず銃口はこちらへ向けたままで。


「だがな、ルウムは俺の船を先月奪った。俺の手下を大勢捕らえ、今も連中は海軍の牢で不自由な生活を送っている。海賊として奴は許し難い存在だ」


「あら。今度はあなたが牢に入る番になるわよ。フラムベルク。私が何の備えもせずに、武器も持たず、ただ一人でここに来たと思っているの?」


「……何だと?」


 フラムベルクも含め、彼等の手下達も密かに息を飲む音が聞こえる。


「もうすぐ海兵隊がここにやってくるわ。ぐずぐずしてると、あなた達も捕まる運命なのよ」


 海兵隊がここに来る事は間違いない。

 ただし、本当はもっと時間がかかるけれど。


 フラムベルクは不意に天を仰いで、からからと笑い声を上げた。

 さも可笑しくて可笑しくて、仕方がない、といった具合に。


「ならば早く仕事を急がなくてはならん。……お前とのおしゃべりはもう沢山だ!」


 フラムベルクが急に真顔になり、私に向かって銃の引き金を引こうとした。

 ああ。

 結局はこうなるものなのね。

 フラムベルクは一発で私の命を奪うだろう。

 私は無駄だと知りつつも、せめて女神像を燃やしてやるために、ランプを握りしめて投げ付けようと振りかぶった。


「海兵隊なんか来るものか」

「……!?」


 不意に聞こえたその声で、フラムベルクが一瞬体を硬直させた。

 私も銃で体を撃たれたかのように、身動きする事ができなかった。


 今の声は。

 私は思わず声がした左舷側へ顔を向けた。

 そこには二人がかりで両腕をつかまれているルウム艦長がいた。

 辺りが暗いせいでその顔はよく見えなかったけれど、彼の声は力強かった。

 私は安堵のあまり、持っていたランプを取り落としそうになった。


「ルウム! はっ、もう目が覚めたのか。丁度いい。お前の部下が死ぬ所をしっかり目を見開いてみるがいい」


 フラムベルクは相変わらず私に銃口を向けている。


「待て、フラムベルク。ルティーナを撃ってみろ。俺はあの像のを墓場まで持って行くからな」

「……んだとぉ!」


 フラムベルクの銃を握る右腕がぶるぶると震えた。腕のみならず、奴の唇も肩も小刻みに震えている。


「あの『女神像』を船首像に作り替えたのはこのだ。その時にお前の『女神』の秘密を知った。だから、ちょっと小細工させてもらった」


「……ルウム……貴様という奴は……!!」


 フラムベルクの怨恨に満ちたうめき声が、静まり返った甲板に響き渡った。だがルウム艦長は自分に向けられたそれに動揺する事なく、とても落ち着き払った表情で、フラムベルクを見つめている。


 どすどすどす。

 たまりかねてフラムベルクがルウム艦長の所へ歩み寄った。


「フラムベルク。安心しろ。お前がルティーナを助けてくれたら、俺は洗いざらいあの像に施した仕掛けを話してやる。それから、海兵隊が来るとか彼女が言っていたが、あれは単にお前と取引するために、彼女が仕掛けたにすぎない」


「えらく自信があるじゃないか。俺はあの女が嘘をついているとは思わないが」


 フラムベルクは今はその銃口をルウム艦長のこめかみに突き付けていた。


「そうよ、嘘じゃないわ。海兵隊は来るわよ! 必ず!」


 私は取りあえず時間を稼ぐためそう言い放った。

 だけどそれは突如発せられた、ルウム艦長の笑い声によって消失した。


「ルティーナ。君がこんな無謀な事をするとは正直思わなかった。君の格好ドレスをみれば、海兵隊を手配する時間なんてなかったと容易にわかる。君はフラムベルクを偶然見かけて、それで奴の後を追ってきた。海兵隊を呼ぶ時間があれば、彼等と一緒にここへ来ているはずだ」


「……」


 私は敢えて黙っていた。

 艦長は私の真意を理解してくれていると信じて。


「ふん。黙っている所をみれば、やはりはったりだったか、お嬢さん」


 馬鹿にしたようにフラムベルクが私を見た。

 私は内心とても悔しかった。悔しかったけれど、今はそんなちっぽけな感情に振り回されるわけにはいかない。


「だからなによ。艦長はああ言っているけれど、あなたが彼を解放しないかぎり、海兵隊が来ようと来まいと、私の考えは変わらないわ」


 私は再び高々とランプを顔の前に掲げた。


「船長、あの女、本気で女神像を燃やすつもりですぜ」


 像の傍らにいたフラムベルクの手下が思わず声を漏らした。


「……!!」


 フラムベルクはいまいましげに私を睨みつけ、そしてルウム艦長の方へ血走った眼を向けた。

 一方ジルバは巻上げ機の側にひとり立ったまま、じっと私の方を見つめている。


「フラムベルク。ルティーナはやるといったら必ずやる女だ。でも、彼女の命を助けてくれるのなら、俺が彼女を説得しよう」

「ルウム艦長!?」


 私は突然の艦長の言葉に一瞬動揺した。

 違う。

 私はそんなことを望んでいるんじゃない。


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