【11】もう一つの顔
『帆柱亭』は商港の入口にある老舗の居酒屋だ。
毎朝新鮮な魚が水揚げされる市場に一番近い店のため、一仕事終えた漁師達が贔屓にしている店でもある。
ここに行くためには街の中心ともいえる『広場』をつっきっていかなくてはならない。辺りはすっかり夜の帳が落ちて暗くなり、広場だけが、集まった数十台の屋台が灯す、色とりどりの花提灯のぼんやりとした光に包まれている。
「らっしゃいらっしゃい! 名物シーリウスの目玉スープはどうだい」
「皇帝エビの地獄焼きに、メキ貝のつぼ焼きができたぜ~」
呼び込みの声と共に、料理の放つ美味しそうな匂いが次々と誘惑する。
ジェミナ・クラスは本当に海産物の料理が美味しい。
そうそう。深海魚シーリウスの目玉のスープはおすすめの逸品。
野菜からとった透明なスープの中で、ぷっかりと浮かぶ赤い目玉がかなり薄気味悪いんだけど、その目玉を食べた翌日は、お肌がすべすべしてとっても美容にいいのよ。
人気の屋台ははや満席となり、空きを待つ人達がそれを取り巻くように列をなして待っている。そんな人達の間を縫うように通りながら、私はようやく広場の反対側へ出た。その時だった。
「あれって……やっぱり、そうよねぇ……?」
広場の街灯の下に見覚えのある人物が立っていた。白いシャツに黒っぽい襟飾りをつけ、紺の上着を羽織っている。飾りのない黒い三角帽を被っていたが、街灯の灯りのせいで顔がはっきりと見えた。
そう、あれはジルバ料理長――いや、元・料理長だ。
しかも彼には連れがいた。左右に着飾った年若い夜会服姿の女性達に挟まれて、とても楽しそうに会話に興じている。
「今夜はとことん付き合ってもらうわよ」
「そうそう。ずーっとあんたが帰ってくるのを待ってたんだから」
「や、二人ともすまなかったね~。僕だってどんなに君達に会いたかったと思ってるんだい」
襟足にかかる長い金髪の後頭部を右手で困ったようにかきながら、女性達を見つめるジルバ元料理長の顔はとってもうれしそうだ。
私は彼に声をかけようと思っていたが、その様子をみてやっぱりやめることにした。私が姿を見せたら、きっとジルバ元料理長は海軍のことを思い出してしまうだろう。
故意ではなかったにしろ、いや、これは私も原因の一因なんだけど、アマランス号の火災のことを話さないわけにはいかないし、その結果、あんなに楽しそうなジルバ元料理長の気分を、消沈させてしまうかもしれない。
私はまた彼と再会できることを願って、その場から立ち去ろうとした。
「おいジルバ。俺との約束をあれほど忘れるなと言っただろうが」
私は男の低い声に足を止めた。気付かれたくないので建物の影に隠れて、こっそりとジルバ元料理長たちがいる街灯をうかがっていると、彼等の前に数人の男達が何時の間にか立っていた。
「いや、忘れてたわけじゃないんだけど。こっちのご婦人達とも約束していたもんだから~」
ジルバ元料理長が愛想笑いをして、一番背の高い、黒い帽子に紅の羽飾りをつけた男に向かって肩をすくめている。
「ふっ。俺の約束の方が先だったはずだ、なぁ、ジルバ」
男のマントが持ち上がり、その下から伸びた節くれた指が、ジルバ元料理長のヒゲのないつるりとした頬をぴたぴたとはたいた。
「そ、そういわれれば、そうだったような気も……」
「ちょっと、ジルバ。なに、この人達」
夜会服姿の女達は不機嫌そうに唇をとがらせ、ジルバ元料理長を肘でこづく。
「あ、ごめん! 今夜はこの人達と大事な話をしなくちゃならなかったんだ」
「えーーっ! 今更それはないわよ、ジルバ」
「そうよそうよ」
憤慨した女性達をジルバ元料理長は、両手でその肩を押さえつつ、懸命に謝っている。
「本当にすまない二人とも。そうだ、明日! 明日必ずこの埋め合わせをするからさ。カンパルシータの『銀羊亭』を予約しておくから。だから、今夜は勘弁して! 頼む」
女達は本当に仕方ないといった様子で、渋々ジルバ元料理長の言葉に従い、広場の人込みの中へと消えて行った。
それをジルバ元料理長は、名残惜しそうに見送っていたが、例の黒い帽子の男が何も言わず彼の胸ぐらを掴み上げた。
「うわっ! な、何を……」
男がかみつくように吠えた。
「てめえは目を離すとすぐにこうだから始末が悪い!! 仕事が終わればいくらでも遊ばせてやるから、さっさと案内してもらおうじゃないか。俺達の『女神』の所へな」
「……うう。わ、わかったから、離してくれ。苦しい……」
男はいらいらとした様子で、石畳に叩き付けるように荒々しく、ジルバ元料理長の襟元から手を離した。
「つう! 痛ってぇ……」
「ほら、早く立て!」
黒い帽子の男のそばに立っていた、茶色の上着を着た黒っぽい髪の男が、ジルバ元料理長の腕を取って立ち上がらせる。ジルバ元料理長はつかまれた腕をふりほどき、機嫌が悪そうに顔をしかめると、足元に落ちていた帽子を拾った。
うんざりとした様子でため息をつき、ぱたぱたと帽子の埃を手で払い落とす。
「心配するなって。あんたの大事な『女神様』は、ルウムの所に預けているからさ。それを僕達はもらいにいけばいい」
「……そうか」
まるで黒い小山がうごめくように、低い笑い声が男達の間から沸き起こった。
「ついでにあの小僧の首ももらってやったらどうです? 船長」
「そうだそうだ。あいつには船を一隻とられちまったんですぜ。それに仲間はまだ海軍の牢に入ってるし。この礼はたっぷりとさせてもらわないと」
「……ふん。それはてめえらに言われなくても、俺自身がそう思ってるわ! なあ、ジルバ!」
黒い帽子の男が親しげにジルバ元料理長の背中を叩いた。
そして彼等は、私がまさに行こうとしていた、商港の方に向かって歩いて行く。
「……」
これはいったいどういうことだろう。
私は右手でケープの袂を押さえながら、建物の暗がりから出た。
『あんたの大事な女神様は、ルウムの所に預けているからさ。それを僕達はもらいにいけばいい』
『ついでにあの小僧の首ももらってやったらどうです? 船長』
『そうだそうだ。あいつには船を一隻とられちまったんですぜ。それに仲間はまだ海軍の牢に入ってるし。この礼はたっぷりとさせてもらわないと』
これって、やっぱりルウム艦長のことよね。
そして『女神様』っていうのは、アマランス号の船首像に他ならない。
あれは海神・青の女王を模した女神像だもの。
ならあの男達の正体は――。
私はハッと我に返った。
あいつらは、ひょっとしたら、海賊フラムベルクじゃ……。
私はいてもたってもいられず、彼等が立ち去った商港へ走り出していた。
彼等の口ぶりでは、どう考えてもルウム艦長に危害を加えようとしていることが明白だからだ。
それに私は艦長のことも心配だったけれど、何よりジルバ元料理長が、フラムベルクに通じていた事が信じられなかった。
一体何のために……?
ジルバ元料理長、あなたは一体何者なの?
「はぁ……はぁ……」
うっ。こんな時に限って、何で動きにくい服を着てきたんだろう。私。
夕食をとるつもりだった『帆柱亭』の看板の下で、私はしばし立ち止まった。
奴等の後をつけていたつもりだったんだけど、気付かれることを恐れて距離を離したせいか、ここで見失ってしまったのだ。
右手は漁船が沢山係留されていて、その先は人っ子一人いない暗い魚市場の建物と桟橋。一方左手は大小さまざまな商船がずらりと係留されており、やはりその先は桟橋になっていて、沖合いに停泊している大型船の雑用艇が何隻かロープで繋がれている。
「まいったわ。奴等、どこに行ったのかしら」
辺りを見回しながら、私は途方に暮れた。
このジェミナ・クラスは常時数百隻の船がいる巨大港だ。
奴等がここに来たということは、ルウム艦長は独自に自分の船を持っていて、そこにあの船首像もあるということだろうと察するけれど、果たしてこの港のどこにルウム艦長の船があるのか、私は知らない。
気ばかりが焦る。
こうしている間にも、艦長の身には危険が迫っている。
せめて船にいなければ、奴等に襲われる事はないはずだけど……。
「あ、海軍のおねーさん。どうしたの?」
えっ?
私は突如、右手の漁船の暗がりから飛び出してきた影に驚いて、思わず出かかった悲鳴を抑えるべく両手で口元を押さえた。
「なんだよ。そんなにびっくりして」
私の目の前に立っていたのは、まだ十才ぐらいの男の子だった。
『帆柱亭』の窓からこぼれる光が男の子の顔を照らしたので、私はようやくそれが見覚えあるものに気付いた。
「あ、あなたは……今朝の。運送屋をしていたルース、だったかしら?」
「そう。オレ、ルースだよ」
ルースはにかっと私に笑ってみせた。屈託のない笑顔と、大人用の大きすぎるブーツのせいで、とても滑稽に見える。
「女一人で夜道は危ないよ。帰るんなら、オレが送って行ってあげるよ」
うーん。子供に心配されるなんて。
そんなに私って、危なっかしそうにみえるのかしら。
「あ、ありがとう。ううん。ひとりで大丈夫よ。だって、私は軍人なんだから」
そういうと、ルースは困ったように差し出した手をもじもじと動かした。
やがてそれをきまり悪そうに引っ込めて、鼻の頭を照れくさそうにかいた。
「まあ、おねーさんがそういうなら、大丈夫なんだろうけどさ」
「それより、あなたこそこんな所で何してるの? 仕事が終わったんなら、お家へ帰らないと、家の人が心配するわよ」
「へへーん。そんなやつ、誰もいないから心配いらねえよ! ただ、さっき変な連中をみたから、『ちゅーこく』してやったんだい。じゃ、オレは行くよ」
「あ、ちょ……ちょっと待って! ルース!」
私はきびすを返した少年の襟首を思わずつかんでいた。
「なっ、何するんだよ!」
抗議に満ちた子供の視線が私を射ぬく。
「ご免なさい。ねえ、変な連中って、黒い帽子を被った男達のこと?」
「……さてね」
ルースは私に背を向け、ちらりと上目遣いで私を見た。その瞳が何かを思いついたように、急にきらきらと輝き始めている。
「知ってるんでしょ? 大事な事なの。教えて頂戴」
「……うーん。どうしよっかなー」
ルースは両手を後ろに組んで、にやにやとした笑みを浮かべている。
「ああ、もう。わかったわよ。一体どうすれば、教えてくれるの? 私はルウム艦長に奴等のことを教えなくてはならないの」
「ルウム艦長……って、アースシーの兄貴のこと?」
ルースがはっとして息を飲んだ。
私は少年の目線と同じ高さになるように、その場に膝をついた。
ルースはびっくりしたように、まじまじと私を見つめ返している。
「そうよ。あなたが見た連中が、私の追っている連中なら、早く艦長に身の危険が迫っている事を、知らせなくてはならないの」
「やっぱ、あいつらって、海賊――?」
私は深くうなずいた。
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