魔王2099 3.楽園監獄都市・横浜

プロローグ 金輪奈落十王裁決


『判決――被告人ベルトール=ベルベット・ベールシュバルトを懲役2099年に処する』








 ――その判決が下る少し前に遡る。


 被告人がいる。

 裁判官がいる。

 書記官がいる。

 弁護人がいる。

 検察官がいる。

 ただ傍聴人だけが欠けており。

 ただ被告人だけがヒトであった。

 証言台に座らされた被告人――ベルトールは、しかし口を開く事を許されていない。

 全身を拘束され、防声具で顔の大部分を覆われているからだ。

 被告人の感覚器官でこの法廷で有効なのは、防声具で覆われていない片目と、そして両耳くらいなものである。

 この場にいるベルトール以外、その全てが機械である。

 黒いバケツを逆さにしたようなそれは、現想融合前に存在したモデムのように赤と緑色の光を明滅させている。

 機械検察官が、存在しない起訴状を朗読する。

『――公訴事実』

 無機質な男性の合成音声が、法廷に響く。

『被告人は本日午後八時頃、横浜市父祖領域内に許可なく侵入し、領域内に存在する被告人を含む全ての人的、物的資源は父祖の所有物であるにも関わらず、まるで自分に自由の権利があるかの如く振る舞うという教典の冒涜的行為に及んだ』

 次いで、機械裁判長が黙秘権の告知を行う。

『被告人、貴方には黙秘権があります。貴方はこの法廷において黙秘し、答えたくない質問に答えなくても構いません。質問に答えても構いませんが、貴方がこの法廷で発言した事は不利な証拠として扱われる可能性があります』

「……」

 黙秘も何も、被告人は口を塞がれているのだから発言する事などできはしない。

 被告人の発言は許されない。

 そう、この裁判は茶番である。

 初めから全て決まっているのだから。

 形骸化した裁判であり、手続きや流れも関係ない子供のごっこ遊びと同等である。

『被告人、検察官が今述べた事について、何かありますか?』

「……」

 裁判官の問いかけに、被告人は返さない。

 返せない。それも当然だ、被告人は口を塞がれているのだから。

 無意味。

 理不尽。

 口を開けない相手に、問いかける事のなんと滑稽な事か。

『何もないようなので、検察官、冒頭陳述をお願いします』

『はい。ではまず――』

 喋っているのは裁判官と検察官だけだ。

 検察側の冒頭陳述が終わり、裁判官の音声が響く。

『弁護人、冒頭陳述をどうぞ』

『……』

 機械弁護人は一切反応しない。

 他の裁判用機械には先程から光が明滅しているのに対し、弁護人には光がない。

 初めから動いていないのである。であるならば、反応がないのは当たり前である。

 意味のある事をせず、意味のない事をする。

 その両方を行う不合理の塊が、この意味不明な裁判だ。

『検察側は被告人が我が都市横浜市に対し、非常に重大な違反を犯した事は父祖の名において明白であり、証明は不要であると考えております』

 証明は不要。

 それは裁判の否定に他ならない妄言だが、それに対して抗議の声はない。

 この場に常識がないのであれば、常識こそが非常識なのだ。

『求刑を述べます』

 理不尽は続く。

『父祖の支配領域に対する不当な侵入――支配領域侵入罪、懲役666年』

『父祖の支配領域での騒乱――支配領域騒乱罪、懲役217年』

『支配領域に不法侵入した時点で父祖の所有物となり、存在を遡及する事で外から侵入したという事になり、領域より脱出していた事に等しい――支配領域脱出罪、懲役333年』

『法廷で裁判官の質問に対する黙秘――法廷黙秘罪、懲役313年』

『法定で裁判官の質問に答えず、挑発的な態度を取った――法廷侮辱罪、懲役99年』

『領域に侵入し、父祖の所有物になったにも関わらず都市に対して何ら貢献した様子が見られなかった――非貢献罪、懲役403年』

『TM不足――瞑想浮泛罪、懲役20年』

『ガイアの声を聞く努力を怠った――大地誹毀罪、懲役20年』

『父祖のお手を煩わせ、チャネリングを阻害した――交神阻害罪、懲役20年』

『横浜市で規定されているよりも著しく長い頭髪――男子頭髪規定違反、懲役4年』

『横浜市で規定されているよりも高い身長――男子身長規定違反、懲役4年』

 黙秘権があると言ったのに黙っていたら罪になる、喋れない状況なのに喋らなかったから罪になる、ただ髪が長いだけで罪になる。大凡、現代文明とは思えない馬鹿馬鹿しさ。

 ふざけた裁判の、冗談のような求刑内容である。

 だがそんなふざけた場において、それ以外の全てが真面目に進行していた。

『検察は以上を求刑致します』

『わかりました。弁護人、弁論をどうぞ』

『……』

 証言はなく。

 尋問はなく。

 弁護もない。

 ここで行われるのは裁判ではない。

 検察官。

 弁護人。

 裁判官。

 それらが全て正しく機能してこそ裁判である。

 弁明も弁護の余地も存在しないここで行われているのは、既に決定した量刑を言い渡すだけの作業でしかない。

 ただ粛々と判決が下されるだけだ。

 それは、裁判の真似事にすぎない。

『被告人、最後に何か言うことはありますか?』

「……」

『では、判決を言い渡します』

 意思表示の一切が許されぬ被告人であるが、防声具によって隠されていない片目だけは、爛々と被告人の意思を表明しているようだった。

『判決――』

 ――そうして時は初めに戻る。

 判決が宣告される。

 懲役2099年。

 判決を言い渡された不死の魔王、ベルトール。

 この男の顔に絶望や不安といった色は一切ない。

 鷹揚。

 悠然。

 泰然。

 余裕。

 綽綽。

 一切を縛られ、一切を封じられて尚この男は不自由でなかった。

 むしろこの状況を楽しんでいるようですらあった。

 彼はただにやり、と防声具の下で獰猛な笑みを浮かべた。

 この状況こそが、彼の望んでいた事であるかのように。

 声を発せぬはずの魔王は、しかし防声具の下で確かに、楽しそうにこう言った。


「この狭い監獄に……余を縛り付けられると思わぬ事だな」

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