第二十二話 現実
「呪われている……?」
いったい誰が?誰に?
「うん、残念だけどね」
なぜか
いいえ、いいえ!違う、違う……!!私はまだ大丈夫なはずよ、大丈夫大丈夫。あんな男に、赤の王に呪われてなんていない……!!とんだ言いがかりだわ!!
「……ごめんね、急にこんなこと言って驚いたよね。まずは彼の能力について話をしようか」
「能力に、ついて……?」
「そう」
のんびりとした動作でベッドサイドのナイトテーブルにティーカップを置いた蜘蛛男は、足を組み色の白い人差し指を立てて見せた。
その行動の意味を問うために私が首を傾げるより先に、彼は口を開き穏やかな声で語り始める。
「まず……一口に『呪い』と言っても、王様が使う“それ”は二種類ある。片方は一時的なもの」
「一時的……」
「まあ、お嬢さんはすでに受けてるから分かるだろうけど……“動くな”だとか“意識を保て”って、その場で相手の行動や発言を制限するために彼がよく使うやつだよ~。簡単に言えば、短時間ですぐに解ける『呪い』のこと」
人が良さそうな笑みを浮かべた蜘蛛男は「そして、」と言葉を続け、人差し指に次いで中指を立てた。
「二つ目は、永続的なもの。魂に刻み込まれ、命ある限りその身を縛る“言葉”の鎖……」
そこでいったん言葉を切った蜘蛛男は、細めた隻眼に私を映し小さく息を吐く。それは嘲笑にも似た哀れみの色を浮かべていて、寒くもないというのに体がぶるりと震えた。
どうしてかしら、おかしいわ。私には、
『故に、我はこの森から“出られない”のだ……』
『この国に来てから数百年間……赤の王による呪いの呪縛に苦しめられていたのです』
だって、私は――……彼らのように、赤の王からそんな『呪い』を受けたことはない。そのはずよ。
「本題は、この永続的な『呪い』について。可愛いお嬢さん……君は、もうすでに王様から“それ”を受けた後だ」
「そん、な、わけ……ないわ、ありえない……」
滑稽なことに、絞り出した声まで震えてしまっている。
「だって、そんな……」
「……永続的な『呪い』をかける時、王様は必ずこんなポーズをする」
そう言って、蜘蛛男は人差し指を自身の唇に押し当てた。まるで「静かにしなさい」と促す時のようなジェスチャーは、何の変哲もないもの。なのに、冷や汗が頬を伝い、息継ぎの仕方を忘れてしまう。
なぜなら――私は『それ』を、夢の中で見てしまっていたのだ。
「その顔は……心当たりがあるみたいだね」
「……がう……違うわ! だって、あれはただの予知夢で、」
「本当に、ただの夢? ちゃんと現実だったって、お嬢さんは心のどこかで気づいてたんじゃない?」
「――っ!!」
反射的に片手を振り上げると同時にパンッ!と乾いた音がして、なぜか急に蜘蛛男の右頬が赤く腫れているのを視認したものの、振り下ろした腕に急ブレーキをかけることは難しくそのまま彼の赤い頬を手のひらで思い切り叩く。
パンッ!あら、不思議。さっき聞いた音と同じだわ。
「……うん、痛い! ほら、ちゃんと現実だ!」
「えっ……?」
「ん?」
理不尽とも言える暴力を受けておきながら、蜘蛛男は怒るどころか満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。さらに、困惑する私を見てきょとんとした顔で首を傾げるではないか。
「貴方……、」
「うん、な~に?」
「……ずいぶん、優しいのね……」
それはもう、不気味なほどに。
「え~? びっくりしたぁ、急に褒めないでよ~。嬉しすぎてイっちゃうかと思った」
「……」
しかし、優しすぎる彼も案の定、私の期待を裏切る奇人のようだ。
「……落ち着いた?」
「え? あっ……ええ、大丈夫。ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
彼の赤く腫れた頬から目を逸らし、少しぬるくなってしまった残りの紅茶を飲み干す。
ティーカップの底に沈んだ少量の茶葉を眺めながら次に投げる言葉を探していた時、蜘蛛男はおもむろに口を開いた。
「王様から何を言われたのか、聞いてもいい?」
「……私、は……」
まだよ、まだ大丈夫。私には、赤の王から永続的な『呪い』を受けた証拠なんてどこにも、何もない、はず。
蜘蛛男がどれだけ否定しようと、私は“アレ”を「ただの予知夢だった」としか思っていない。そして、それは私の勝手な憶測ではなく事実に違いない……そのはずだ。
「赤の王は、貴方が今さっきして見せたのと同じポーズをして……『お前の元には、もう二度と死は巡ってこないだろう』……私に、そう言ったわ……」
蜘蛛男は私の返答を聞くなり「やっぱりそっか~」と小さなため息を吐き、足を組み替えてこちらを見据える。
「やっぱり、って……どういう意味?」
「……あのね、お嬢さん。俺はあの教会にいた時と、瀕死の君を連れ帰ったあと。この目で二回、奇跡を見たんだ」
――……奇跡。
たった三文字の言葉を耳にした瞬間、全身の肌が粟立った。
『そして今日、私は……この目で奇跡を目撃しました』
ユニコーンの声が、頭の中でこだまする。
それから、こめかみをハンマーで何度も殴られているかのような頭痛。
(聞きたくない、知りたくない)
そう思うことができても、こみ上げる吐き気のせいで唇を持ち上げることすらままならず、上手く声帯を震わせ『言葉』として彼に伝えることができなかった。
「二回とも、お嬢さんは確かに死んだ。俺が見た君は、どう考えても死んでたんだよ。それなのに……君の肉体は、今もこうして生命活動を続けてる」
(嫌、嫌……っ!)
「多分、今のお嬢さんは……王様のかけた『呪い』によって、“死”という概念を奪われてる」
刹那――……衝撃のあまりまるで時が止まったみたいだった、と感じる人間の心理を知る。
その時はじめて、まるで自分が普通の人間になれたかのような気がした。
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