第四話 残念な現実

「ああ、困ったわ」


 お母様の事は、練習通り上手く殺せた。

 死んだふりをされていてはたまらないから、脈がないのも呼吸をしていないのも念入りに確認済み。そこまでは好調だったのだが、死体を処理しようと試みた際にちょっとした問題が発生してしまった。

 力と魂の抜けた『お母様』の体……いいえ。今は文字通りただの肉塊にくかいでしかないのだが、これが想像していた以上に重たくて、抱えたまま階段を降りてシャワールームへ向かうとなれば一苦労。

 おまけに、お母様が逃げ回ったせいであちこちに

赤い液体が撒かれており、もしも運ぶ過程で足を滑らせて後頭部を強打でもしたら……と考えてしまい、なかなかその場から動かせずにいる。


「どうしましょう……」


 このままではとても邪魔だ。

 いっそ、部位ごとに分けてバラバラにしてしまいましょうか。そうだわ、その方が運びやすくて良いはずよ。

 そう思い立ち、床に座ってポシェットからナイフを取り出しお母様の首筋に当てると、そのまま刃を左右にスライドさせて切断を試みた。


「……うーん、やっぱりノコギリじゃないとダメなのかしら?」


 一向に胴体から離れる気配のない頭を手の甲でコンコンと叩き、指についた血をお母様の服で拭っていると、


「もうこれ以上、痛めつける必要はないんじゃない?」

「!?」


 真上から降ってきた聞き慣れない低い声が鼓膜をノックし、弾かれたように顔を上げる。

 呼吸をするのも忘れたまま薄暗い廊下で目を凝らすと、そこには先日夢の中に現れたウサギ男が立っていた。


「……え?」

「……その子はもう、死んでしまったんでしょう? だったら、そのナイフも……銃も、用は無いはずだ」


 ウサギ男は、お母様の死体をちらりと見てそう言いながら片膝をついて屈み、物言わぬ彼女の顔を数秒眺めると、片手を伸ばしてそっと瞼を閉じさせる。

 頬に伝っていたお母様の涙を指先で拭うウサギ男。その一連の動作を見ながら、私は半ばパニックになりかけていた。

 だって、この男は私のはず。それじゃあ、もしかして。


(今、ここまでの全ては夢? 私はお母様を殺せていないの? 目が覚めたら、あの女はまだ生きている?)


 ああ、嫌よ。そんな悲劇があってたまるものですか。今日は最高の誕生日になったはずなのよ。夢オチでしたなんて、そんな最悪のプレゼントは死んでも欲しくない。

 両手で頭を抱えたまま「夢じゃない、違う」と自己暗示のように呟けば、意外な事にウサギ男は「そうだよ、夢じゃない」と優しい声音で同調の言葉をこぼした。


「とても残念だけど、これは夢じゃない。現実だよ」


 ほがらかに微笑む彼の話が真実である根拠も確証もないというのに、それを聞いてひどく安堵する。

 きっと、本心で『私』は解っているからだ。ウサギ男――彼が、今ここに在る意味を。


「……ボクは、夢であってほしいと思うけど」

「……? どういう意味?」

「ああ、ごめんね。キミにとても関係があって、キミとは全く関係のない話だよ」


 謎かけのような返答で首を傾げるが、彼はウサギの耳をぺたりと後ろに倒したまま、ルビー色の目を三日月型に細め「気にしないで」と言って、仮面に貼り付けたような笑みを浮かべる。

 本人……本兎?兎も角、彼がそれを望むのならそうしましょう。私は何も聞いていない、それで終わり。


「……! アンタがその手で、この子に触るな!!」


 シャワールームまで運ぶために男性の力を借りたい旨を伝えようと『お母様』の腕を持ち上げた瞬間、先ほどまで穏やかな雰囲気をまとっていたウサギ男は顔を歪め、声を荒げて私の手首を掴んだものだから驚いた。


「な、なに? どうしたの……?」

「……あ……いいや、何でもないよ。びっくりさせてごめんね」


 二度三度、目線をお母様と私の間で彷徨さまよわせた後、ウサギ男は手を離し再び口元に弧を描く。少しの間を置いて、いつくしむような目をお母様に向けつつ「死体の処理なら、後でボク達がやっておくよ。だから、キミは何もしなくていい」と言い、『彼女』の頭を片手でふわりと撫でたものだから、その様子があまりにも気持ち悪くて吐き気を覚えた。


「……ああ、そうだ。ところで、貴方のお名前は? 私は貴方を何と呼べば良いのかしら?」

「……ボクの名前を知っても、しない?」


 やっとお母様から目線を移動させたウサギ男は、嘲笑にも似た笑みを浮かべて私を見据える。


「何を言っているの? そんな事するわけないじゃない」


 そう答えて笑い返した途端、彼の頭から伸びるウサギの耳は直立して左右に大きく広がり、短く「ふっ」と鼻を鳴らして笑った。


「うん、そうだね。それが普通だ」

「……?」

「ああ、そう。名前、名前の話だった。ボクは『白ウサギ』だよ」


 白ウサギ。

 想像していた通りの返答に、思わず小躍りしそうになった体を理性で抑え込む。嬉しさで緩む口に力を込めるけれど、にやけはどうしても隠し切れない。

 だって、だって……!十八年間、この瞬間をずっとずっと待っていた。私は今日やっと、『不思議の国のアリス』になれるのだ。

 ねぇ、そうよね?だって、


「白ウサギ……白ウサギが居なければ、物語は始まらない。そうよね?」

「……うん、その通り」


 ああ、やっぱり!やっと迎えに来てくれた!

 彼の衣装に、絵本で見たような懐中時計のポーチは見当たらないけれど、白ウサギである事に違いはないのだから瑣末さまつな問題。


「それにしても……耳も髪も黒いのに、どうして『白ウサギ』なの? その見た目なら、貴方の事は『黒ウサギ』と呼ぶ方が相応しいと思うわ」

「ははっ。黒とか白とか、“そんな事”は気にするんだね」


 私にとっては、とても大事な事だと思うのだけれど。


「キミは、ボクが迎えに来た理由をきちんと理解しているの?」

「……どういう意味?」

「キミは質問が多いね」


 それに関しては私に非があるのではなく、無駄に謎めいた言い回しや意味深な物言いをする彼――白ウサギの所為だ。


「……キミがボクの迎えを待っている間……ボクたちは何度も、何度も。警告したはずだよ」

「な……なに、を……?」

「ボクはキミに、たくさんのヒントを与えた。『あの人』はキミの夢の中に干渉してまで、思い止まるための猶予を与えた。それなのに、」


 白ウサギの口調は相変わらず穏やかで、決して私を威圧するようなトーンではないというのに、言い知れぬ寒気がぞわりと背筋を駆け抜けて全身があわ立つのを感じる。


「キミは、その全てを無下にした。『あの人』が唯一与えたチャンスも……全て」


 ミシリ、ギシリ。ああ、おかしいわ。どうしてかしら。

 心臓が、嫌な音を立てている。


「ちょ、ちょっと待って。だって、私――……」

「ボクが迎えに来た時点で、キミの運命は決まっているんだよ。覆る事も、時が戻る事もない……ああ、いけない! ほらほら、急がなきゃ! 遅刻したら、女王陛下に首を刎ねられてしまう! なんて、ね」


 彼の言葉が切れるのと同時に、一階の柱時計がボーンボーンと鳴き声をあげた。そこでふと違和感に気付く。


(あれ? そういえば……この家に、鐘の鳴る柱時計なんて置いてあったかしら?)


 チクタク、チクタク。私を急かす、秒針の呟き声。まるで、あの夢の中と同じだ。


「!!」


 一瞬、ぐらりと足元が波打つ。一度瞬きをして、地震かしら?と辺りを見渡した時にはもう、世界が丸ごとひっくり返っていた。

 いいや、違う。


(私たちが、逆さまになってる……?)


 足元には天井、頭上には廊下が伸びており、お母様の死体はどこにも見当たらない。

 混乱する私をよそに、白ウサギは両手を広げて心底楽しそうに笑いながら私を見てこう言った。


「さあ、いこう!」


 瞬間、世界が真っ暗闇に包まれる。

 かと思えば、息を一つ吐く間に数え切れないほどの振り子時計が壁一面を飾り付けていき、筒状に伸びたヘンテコ空間へ変化した。着地点は見当たらず、上下共にどこまでも長く続いているようにも思えるその場所へ無重力状態でぽんと放り出された途端、激しい目眩と吐き気が襲いかかってくる。

 まるで、ガラス瓶の中に閉じ込められたまま激しく揺さぶられ、内臓の隅まで好き勝手に混ぜられているかのような感覚。


(気持ち悪い、気持ち悪い……っ!)

「大丈夫? ここはまだ入り口の入り口……『不思議の国のアリス』と言えば、穴を落ちていくのが決まりでしょう?」


 なんとか苦痛に堪えようと謎の空間で体を丸めてうずくまる私を、白ウサギは涼しい顔で見下ろしつつ片手の指をパチンと鳴らした。


「さあ……不思議の国へ、向かう時間だ」

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