第十四話 母のやさしさ


 テネーブル公爵家からはジルベール家の私とダフネ、それにクリスチャンも結婚式に既に招待されていました。そして年末に結婚が決まったクリスチャンと私宛には改めて夫婦の名前で招待状が届いたのでした。


「クリスチャン、キャロリン・ゴティエ夫妻ですって、とても良い響きですわね」


「私も光栄ですよ、奥様」


 花嫁と腕を組み大聖堂に入場する父親役はテネーブル公爵に予定通り務めていただくことで皆納得していました。ただでさえ庶民のクリスチャンは貴族の結婚式に招かれたということだけで腰が引けていたのです。


「新米の私には荷が重すぎますから。それに天下の公爵家の婚姻ですよ。私は単なる一参加者で充分です」


 クロエとダフネは今まで通りクリスチャンを名前で呼んでいました。クリスチャン本人もそれでいいと言います。


「大体、私は父親と呼ばれるには威厳が足りません。それにまだ若者ですしね」


「クリスチャンはお父さまと言うよりも、年齢的にもお兄さまのような感じなのですものね」


 時々ダフネが冗談でお父さまと呼んでいるだけでした。




 新居の壁紙、塗装、厨房や浴室の設備に内装を一つ一つ決めていくのは大変な作業でした。それでもクリスチャンと相談しながら私たちのお城を完成させていく楽しみがありました。


 雪が積もると引っ越しも大変になるので、工事が全て終わる前に住み始めることにしました。そして新居で最初の一週間は二人きりで過ごしました。娘二人が気を遣ってくれたのです。


 式は行わず、私たちが出会った日の丁度一年後に婚姻届を提出しました。クリスチャンも含めた家族四人で迎える新年はこの年が最初で最後となり、感慨深いものがありました。


 クリスチャンの実家へは年が明けてから夫婦で挨拶に行きました。田舎の大家族で親族全員が集まり、大層賑やかな一時を過ごすことができました。


 彼のご両親はいつまで経っても結婚しない三男坊にやきもきしておられたようです。それでも彼が三十過ぎた頃からはもう諦めていたとおっしゃって、ご両親はなんと私の手を握って涙を流して喜ばれました。


 クリスチャンは子持ちの未亡人でも私でいいと言ってくれて結婚したのですが、彼のご家族にはどう思われるのか、最初は不安だったのです。




 改装が全て済んだ私たちの小さなお城はとても快適な空間でした。私は毎朝起きる度に幸せを噛みしめていました。そしてクロエが嫁ぐ日はあっという間にやってきました。


「私の結婚式までの短い間でしたけれども、こうして家族四人で暮らせて良かったと思えますわ」


「お姉さまと少しでも早く一緒に住みたかったテネーブルさまはお気の毒でしたけれど」


「ダフネもいつまでも私たちの元に居るわけではないですものね」


「その後は夫婦二人だけの生活になりますね」


「そうとは言い切れませんわよ。そもそも私はまだ運命の男性に巡り逢えていないのですもの。私、このお家の居心地が良すぎるから、いつまでもお嫁に行きたくありません」


「五年後も十年後もずっと居られては困ります」


「君はとても魅力的な女性だから、君だけの王子様がきっと見つかるはずですよ、ダフネ。私の大事な家族である貴女達はそれぞれ逞しく美しく咲き誇っていて私は鼻が高いです」


 クリスチャンのその言葉に、私の次女は少々切なげな表情を見せました。母親の勘ですが、ダフネは就職した去年の秋頃から恋をしているのではと思っていたのです。


「結婚式なんて格好の出会いの場だと友人たちにはけしかけられていますけれども、あからさまに肉食系のギラついた目で男性を物色する気分でもないのですよね。花嫁の親族として、明日は大人しくしているつもりです。狩りは別の場所で行います」


「ダフネ、公爵家の婚姻の儀なのですから、他の招待客の方々とお話する時にはそんな俗語を並び立てず、言葉遣いをきちんとなさい」


「もちろん、分かっておりまーす」


「キャロリン、ダフネ、そろそろあれを出したらいいのじゃないかな?」


「そうでした。今取ってきますわ。ダフネもね」


「はーい」


 クロエが不思議そうな顔をしています。私は先日完成した嫁ぐ娘への贈り物を寝室から持ってきました。ダフネも大きな箱を抱えています。


「お姉さま、これは私からの結婚祝いです。ささやかなものですけれども」


「まあ、ダフネ。ありがとう。何かしら?」


 それはダフネ手製の蒸し菓子でした。私たちの出身の地域で結婚式などのお祝い事に出されるのです。領地を離れたのは娘たちが小さい頃でしたが、二人共おぼろげながら記憶に残っていたようでした。


「私が出来ることと言ったらこのくらいですから。お姉さま、幸せになって下さいね」


 公爵家の晩餐会に出すにはあまりにも素朴な庶民のお菓子です。結局ダフネは式の後、テネーブル家のご家族と使用人の方々にお配りできる程度の数を準備していました。


「ありがとう、ダフネ……私、結婚したら貴女の料理が恋しくなるわ」


 クロエが涙ぐんでいます。


「テネーブル家のご馳走に飽きたらいつでも帰ってきて下さい、お姉さま。私の家庭的で素朴な手料理を振る舞って差し上げますから」


「ダフネ、縁起でもない。貴女、明日は忌み言葉を連発しないようにも気をおつけなさい」


「分かっておりまーす」


「クロエ、こちらは私とクリスチャンからのお祝いです」


 既に瞳に涙を浮かべていたクロエはその箱を開けて私の縫ったドレスとエプロンを見た途端に泣き出しました。


「まあ、素敵……お母さま、ドレスもエプロンも縫って下さったのですか? かなりの時間を要したでしょう? それにこんな立派な絹地だなんて……勿体なくて汚してしまいそうで中々着られませんわ。クリスチャンもありがとうございます」


 私の娘はこれから天下の公爵家に嫁ぐと言うのに未だに庶民感覚が抜けきらないようでした。本来は綿のドレスで家事をする既婚女性が動きやすいようにスカートの切り替えが高めの位置にある、故郷伝統のデザインなのです。上等の絹地で作ったドレスですが、高位の貴族女性が着るものではありません。


「実は私は材料を提供しただけで、あまり貢献はしていないのですけれども」


「貴女に内緒で縫うために引っ越し前は専らクリスチャンの家で時間を見つけては縫っていたのですよ。ですから彼も大いに協力してくれたのです」


「わ、私は幸せ者ですわ……」


 そう言ってクロエは言葉に詰まり、再び涙をはらはらと流していました。


「さあ、お姉さまそのくらいにしないと、明日は晴れの日なのですから。一生に一度のお式に腫れぼったい目で出るわけにはいきませんよね」


「そうですわよ、今晩は早くお風呂に入って明日に備えてゆっくりお休みなさい」




 その夜、夫婦二人きりになり、クリスチャンに色々とクロエとダフネの小さい頃の思い出を話して聞かせていました。


 思い切って王都に出てきて十年余り、苦しいながらも母娘三人体を寄せ合って助け合って今まで生きてきました。いつまでも子供だと思っていた娘が成人し、こうして嫁ぐ日が来るなんて感無量でした。その上、私の愛する人と二人で娘を送り出すことが出来るのです。


「人生何が起こるか分からないものですわね。私、再婚するなんて今まで思ってもみませんでした。貴方に出会えて本当に良かったですわ」


「私も同じような気持ちですよ、愛しいキャロリン。三十代に入ってからはもう一生独身でもいいなんて思い始めていた頃に貴女に出会えました」


「愛しています、クリスチャン」


 私たちのティユール通りの家で、クロエの婚姻前夜は静かに更けていきました。




 ――― キャロリン編 完 ―――





***ひとこと***

しっとりとした大人の恋を頑張って書いてみたキャロリン編、こうして大団円を迎えました。この次、ダフネ編はこれに比べるとやや過激なところがあります。


母のやさしさ カタバミ

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