第十三話 待ちきれない


 その夜は我が家でクリスチャンも加わって四人で婚約成立と新居購入のお祝いをすることにしました。興奮冷めやらぬのは私たちだけではなく、それは娘二人も同じでした。


「お姉さまもお母さまもそれぞれ幸せを掴んで結婚される上に、夢の一軒家が持てるなんて。お目出度いことが重なりますわね。本当に良かったです」


「結婚はいつをお考えですか?」


「キャロリンが求婚を受け入れてくれたから私はもう待てないのですが、新居に住めるようになる年末か来年初めでしょうか?」


「そうですわね、クリスチャン」


「お母さまがクリスチャンと一緒に住むのでしたら私も安心です。晴れて今のお屋敷に住み込みで働けますわ」


「ダフネ、私たちに遠慮しなくても、新居の二階には全部で三部屋もあるのだから家族皆で住みましょう」


「本当ですか?」


「ええ、そうです。だからクロエもダフネもそれぞれ部屋が持てるのですよ」


「まあ、素敵。自分だけの部屋が持てるだなんて。引っ越しが待ちきれませんわ」


「私はともかく、お姉さまは何をおっしゃっているのですか。婚約が成立した時から、テネーブル家の離れに早く移り住めって、将来の旦那さまからしつこく言われているのですよね。結婚まであと数か月しかないのですから、その間に二度も引っ越しをしなくてもよろしいではないですか」


「まあクロエ、テネーブルさまはそんな提案をして下さっていたのですか?」


「ダフネ、それは言わないでとお願いしたのに!」


「それでも、私たちがお姉さまを引き留めているのではないかと、テネーブルさまにお会いする度にジト目で睨まれている気がするのです!」


「それは違います。フランソワには嫁ぐまでの短い間、家族の時間を大切にしたいと言ったら分かって下さいましたもの」


 クロエ以外の私たち三人はこっそりと目配せをし合っていました。テネーブルさまは優しい婚約者として一応理解を示したものの、本当はクロエと早く一緒に住みたいというのが本音なのでしょう。


「とにかく私も短期間だけでもそのお家に住みたいのです。庭付きの一軒家に個室だなんて、夢みたいですわ」


 再び私たちは意味ありげな視線を交わさずにはいられませんでした。大体、私とクリスチャンの新居はテネーブル家の離れよりも小さいくらいなのです。クロエがもうすぐ女主人となるテネーブル公爵家の豪邸は庭も母屋も私たちの家の十倍の広さはあると言えます。


「確かに、私も借家ではなく立派な家から貴女をお嫁に出したいという希望がありました。母親としてのただの見栄ですけれど、その願いが叶って嬉しいわ。これも全てクリスチャンのお陰です」


「それが私の喜びですから」


 クリスチャンはそう言うと私の手をしっかりと握ってくれ、娘たちの前なのに私の唇に軽く口付けまでするのです。そうでなくてもクリスチャンは事あるごとに私を熱く見つめてきます。娘二人に揶揄からかわれると思うと、少々気恥ずかしさもありました。




「私たち、あの子たちの前であまりベタベタしていて、いい歳してって呆れられていないでしょうか」


 その夜、二人きりになった時にクリスチャンに聞いてみました。


「ダフネは私達のラブラブイチャイチャは大歓迎だと言っていますよ。ということで、公共の場ではともかく、家族だけの時は私も遠慮しませんからね」


「まあ、嫌ですわ。それでも貴方が娘たちとも気が合って仲良くして下さることに私は感謝しています」


「私もお二人に貴女の結婚相手として認められ祝福されて、これ以上の幸福はありません」




 翌日は家族皆で新居を訪れる予定でした。私は娘たちの帰宅を待ち、それから三人でクリスチャンの事務所に歩いて行って合流することになっていました。結局クロエはテネーブルさまと一緒に馬車で帰ってきたので、彼も併せて総勢五人で私たちのお城を見に行きました。


「この辺りは王都でも古くから家が建ち並んでいた地区なのですね。立派な並木や家の建築様式からも分かりますわ。まあ、私たちの家の裏はすぐ森なのですか……自然も豊かで、とても静かなのでしょうね」


 馬車が家の近くにさしかかった辺りから、一行の中で一番はしゃいでいたのがクロエでした。菩提樹や楓の紅葉の美しさを愛でることから始まり、近所の家や庭について褒め、お喋りなダフネに比べると口数の少ないクロエにしては珍しいことでした。


 彼女の興奮はクリスチャンの案内で家の二階に上がった時に最高潮まで達したようです。


「ダフネ、貴女はここに私より長いこと住むのですから、そちらの大きい部屋を貴女に譲ります。私はこちらの部屋が良いです。一番小さい寝室ですけれど、私の寝台を置いても場所は十分ありますし。窓から目に入ってくるのは隣の壁でも洗濯物でもなく、森の木々だけだなんて、癒されますわ!」


「えっ、クロエ、私の部屋って……君も引っ越してここに住むつもりなの?」


「もちろんですわ。自分だけの部屋が持てるだなんて夢みたいです」


 段々嫌な予感がしてきた私たち三人はクロエと婚約者さまを残してこっそり一階に下りました。


「ちょっとまずい雰囲気ではないですか?」


「将来の公爵夫人は以前からかなりの天然でこんな感じですわ……振り回されるテネーブルさまのご苦労を察すると、私まで涙が出てきそうです」


 ダフネが盛大にため息をついて本音を漏らしていました。


「新参者の私としては、何と言っていいのか……だって、テネーブル公爵家はこの家なんて比べ物にならないくらいの豪邸なのでしょう?」


「クリスチャンは何もおっしゃらなくて結構です。お姉さまの頭の中では結婚前に公爵家の離れに移り住むという選択肢は全くないみたいで、この家に引っ越すことに決定しているようですわね。天下の公爵さまも指をくわえて婚姻の日まで待つしかないのですわ」


「それはキャロリンの教育の賜物なのでしょうか?」


「クリスチャンったら、もう」


「夫の躾は最初が肝心というのが母の口癖ですから。姉のところは交際中からどちらが主導権を握っているか明白ですよね」


 そこで満面の笑顔のクロエと少々拗ねたような表情のテネーブルさまが居間の私たちに合流しました。


「引っ越しとご結婚の予定はもうすぐなのですか?」


「はい。改装はもうほぼ終わっていますから、後は寝室と厨房の内装を仕上げるだけです」


「今の借家は年内のうちに引き払う予定なのです。大きな家具はあまりないですから、少しずつ物を運ぶつもりにしています」


「ここに越すのが待ち遠しいですわ。夢の一軒家だなんて楽しみですね、お母さま」


「引っ越しもですけれど、お姉さまはテネーブルさまとの結婚も指折り数えて待っているのでしょう?」


 あまりにもクロエのはしゃぎぶりにテネーブルさまが少々気の毒になってきたところ、ダフネは口を挟まずにいられないようでした。


「え? ええ、それはもちろんですわ」


 しかし、とってつけたようなクロエのその返事に、テネーブルさまの顔色をうかがって私とダフネの方が焦っていました。




***ひとこと***

フランソワ君はクロエと婚約が成立しても何だかまだまだ苦労しているようです……


さて、クリスチャン・キャロリン組は年内に結婚予定、春に式を挙げるクロエ・フランソワ組より一足先にゴールインです。


待ちきれない ステルンベルギア

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