馬車の中

 

 孤児院訪問を終えて、私とレオは一見質素な馬車に乗り込む。

 タウンハウスを訪れるときは豪華な馬車をお借りして行ったけれど、孤児院がある場所は治安があまり良くないことが多いから、なるべく質素に見える馬車を使っている。

 ただ、椅子がふかふかだったりと色々改造してあって、乗り心地は悪くないのよね。

 御者も一見普通の人だけれど、実は若い神聖騎士。エイミーと最近付き合いだしたレインという人。

 さらには、神聖騎士が二人、馬に乗って距離をあけてついてきている。

 万全の体制ね。


 馬車に揺られながら、私は考え事をしていた。

 孤児院と学校を併設する話は陛下も乗り気で考えてくださっているのだけれど、どこまでの規模にするのか、学校には孤児ではない子たちも受け入れるのか、そうすると差別が生まれないか、孤児ではない貧しい子たちはどうするのか……。

 考えることは山ほどある。

 私だけで考えてどうにかなる話ではないから、一人で悩んでいても仕方がないのだけど。

 孤児院を訪問したあとは、いつも色々と考え込んでしまう。

 今できるのは、子供たちに新しい服や文房具やおもちゃ、お菓子と食糧を持っていくくらい。

 孤児院によってはそれすら取り上げて売るような職員もいるから、あまり間を空けずに訪問して様子を見なければならない。


 ふと横を見ると、レオがじっとこちらを見ていた。


「あ、ごめんなさい。一人で考え込んでしまって」


「いいえ。リーリア様を見ていられるだけで幸せですから」


 こういうストレートな言葉には、いまだに照れてしまう。

 もう半年近く付き合っているというのに。

 レオの腕に頭を預けると、彼はそっと腕をずらして、私の肩に手を回して引き寄せた。

 ここまで密着することは滅多にないから、ドキドキしてしまう。

 うう、レオの胸板が……硬いような柔らかいような不思議な感触。


「もうすぐリーリア様も十七歳ですね。侍女たちがパーティーを開くと張り切っていたようですが」


 レオの大きな体の中で響く低い声と、心音。

 それがとても心地いい。


「内輪だけの控えめなパーティーにする予定よ。あ、そういえば……」


「なんですか?」


「その……」


「?」


「陛下が、城門の内側に家を建てて下さるそうよ。一応遠慮したのだけど、国を救ったのだからその程度のことはさせてくれって」


「今の部屋ではなくそちらに住むのですか?」


「……け、結婚後に住む家なの。次代に聖女の地位を継ぐまでは、昼間は今の部屋で過ごして、夕方にその家に帰るという生活になりそうだけど」


 つまり、レオと住む家。

 なんだか私からプロポーズしたみたいで、恥ずかしくて顔が上げられない。


「リーリア様のお気持ちは、今でも変わっていませんか」


 予想外の質問をされて、顔を上げる。

 レオは、どこか暗い目をしていた。


「なぜ急にそんなことを。変わるわけがないわ。レオの気持ちは変わってしまったの?」


「そんなはずはありません。むしろあなたが愛しくてたまらない」


 うれしさと恥ずかしさが同時に押し寄せる。

 レオを直視できなくなって、思わず目をそらしてしまった。


「あなたと結婚だなんて、夢のようです。こんなにも幸せで、あなたもこうして側にいてくださるのに、あまりに現実感がなくて。本当に結婚なんてできるんだろうか、あなたを愛する誰かに横からかっさらわれてしまうんじゃないか……時々、そんなふうに不安になってしまう」


 レオがこんなことを言うなんて珍しい。

 私が、不安にさせている?

 時々セティと話をしたりしているから?


「レオ……」


 両腕が私の背中に回されて、私は強く抱きしめられた。

 レオの鼓動が、早い。


「すみません、こんな馬鹿げたことを。情けない顔をしているので見ないでください」


「馬鹿げていないし情けなくなんてないわ。わたくしが不安にさせているのね」


 私も、レオの体に腕を回す。

 レオの体がぴくりと動いた。


「そうではありません。あなたがセティウスと決して二人きりでは会わないようにしているのは知っています。それ以上遠ざけて欲しいだなんて思いません。あなたと両想いになれただけでも贅沢なことなのに、これ以上あいつからあなたを奪えない」


「でも」


「それに、あいつは恋人にはなれなくてもあなたに会えているから平静を保っていられるんです。急にあなたが離れてしまっては、あいつを刺激しかねない」


「……」


 逆の立場で考えれば不安になるのは当然よね。

 もし、レオのことを愛する女性が近くにいて、レオもその気持ちを知っていて。二人きりではないにしろ、親しく話したりしていたら。

 それで何も感じずにいられるはずがない。

 けれど、私がセティを遠ざけることはしないほうがいいというなら。

 私にできることって、一体なんだろう。


「わたくしがレオのためにできることは?」


「俺の気持ちの問題です。自分で解決するしかありません」


「でも」


「誓いを破ってあなたを欲望のままに抱けば俺のものだと思えるのかと考えたこともあります。でも、それでは駄目なんです」


 あからさまな言葉に、心臓が大きく跳ねる。


「結婚を……早める? もうわたくしは結婚できる年齢よ」


「いいえ。あなたが大人と言える年齢になるまで待とうと決めたんです。十七歳も十八歳も大差ないのかもしれませんが、それでも」


 レオが少し体を離す。

 ずっとこうして不安や焦りを抱えていたのかもしれない。

 でも、なかなか二人きりになれる時間すら取れなかったから、そのことについて話すこともできなかった。


「すみませんでした。言っても仕方のないことを。あとたった一年だというのに、心穏やかに待てないなんて」


「ううん。本音を言ってくれて嬉しかった」


「今でもあなたが俺だけのリーリア様だとは思えません。でも、きっと幸せすぎるから、実感が追い付かないんでしょう。こうして話してみれば、ただの贅沢な悩みです」


 ばつが悪そうに、レオが視線をそらす。

 こんなことを思ってはなんだけど、その顔がかわいくて愛しい。


「レオ」


「はい」


「わたくしは、あなたのものよ」


「……っ、はい」


 レオが照れたような顔をする。

 ふいに、その顔がもっと見たくなって、私は椅子に膝をついて体をのばし……レオに軽く口づけた。


「そしてレオも、わたくしのもの」


 大きく目を見開いて、レオが固まる。

 その表情を見て、急に冷静になった。

 ……私、なんて大胆なことを。

 恥ずかしくなってレオから少し離れようとすると、強い力で再び抱きしめられた。

 そして大きな手が私の顔を上向かせて、唇が重なる。

 私の唇をなぞるような、食むような優しい動きに、頭の芯がしびれて体中の力が抜ける。

 口づけをしたまま髪を梳くように頭を撫でられ、恥ずかしさなどどこかに吹き飛んでその心地よさに身を任せた。

 どれくらいそうしていたのか、彼の唇が離れたころには、私はもう何も考えられない状態になっていた。

 頭の中が、溶けてしまったかのよう。

 のろのろと彼を見上げようとすると、頭を彼の胸に押し付けられた。


「すみません、今ひどい顔をしているので……」


 ひどい顔ってどんな顔だろう。

 驚くほど早い彼の鼓動の音が、なんだか嬉しかった。


 ほどなくして、馬車は裏門を通って神殿前へと到着した。

 レオの手を借りて降りると、御者をしていた神聖騎士レインが真っ赤な顔をしている。

 あれ?


「そういえば御者席との間のカーテン、閉めていませんでしたね。レインが裏門が近くなったあたりで一度振り返って、慌てて前を見ていました」


 事もなげにレオが言う。

 み……見られた……。

 恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。

 だって、あんな、あんな姿を……!

 その恥ずかしさから抜け出せないままレオに部屋まで送ってもらい、部屋に入る。

 部屋の中ではルカがお茶の用意をして待っていた。


「お帰りなさいませ、リーリア様」 


「……」


「リーリア様?」


「えっ!? え、ええ、ただいま」


 ルカの口元になんともいえない笑みが浮かぶ。


「孤児院訪問は楽しかったようですねウフッフッ」


 あああ、ルカのあの笑い。

 やめて、私を見ないでーーー!

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【電子漫画化】聖女リーリアはわがままに生きたい 星名こころ @kokorohoshina

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