第28話 距離感


 翌日、読んだ本を図書館に返却に行った。

 あれをいつまでも部屋に置いておくのは恥ずかしかったから。


「聖女様、もう読まれたんですか?」


 マーサにニコニコと対応される。

 この人はあの内容を知っていて私に勧めたのかしら……。


「恋愛小説はいかがでしたか」


 そこに切り込んでくるのね。


「わたくしには、少し……過激だったようです」


「ええっ、そうですか? 十代の女の子向けだからそれほど過激な表現はないと思いますけど」


 これで十代向け!? どうなってるの、今どきの十代!

 って、そういえば私も十代だった。

 私って世間の十代とずれてるのかしら。

 前世は孤児院育ちでその後聖女候補、聖女。今世は箱入りお嬢様でその後聖女。

 ……世間知らずのフルコースみたいな人生よね。やっぱりずれているのかも。


 図書館を出て、自分の人生についてなんとなく考えながら歩く。

 私は聖女にならなければ恋愛して結婚して子供を産んで、といういわゆる普通の生活をしてみたいと思っていたけれど、そもそも普通の生活をするにはあらゆるものが欠けている気がする。

 まず恋愛に疎いのは言うに及ばず、世の中の一般的な考え方というものからずれているようだし、聖女の能力以外でできることは少ない。

 料理もできない。

 洗濯もしたことがない。

 お風呂の用意もどうしたらいいのかわからない。

 馬にも乗れない。まあ馬は必要ないかもしれないけど。

 運動神経も決していい方じゃないし体力もない。

 労働したことはなく、自分にできる仕事があるかどうかもわからない。

 つまりないない尽くしで自分には聖女の立場と能力以外何もないことに気づく。

 唯一できるのは縫い物くらいかしら。刺繍は得意なほうだわ。

 あとはダンス、歌、詩……。貴族ではなくなったので役に立たないものばかり。


 聖女だから、できないことが多くても困りはしない。

 身の回りのことは侍女がやってくれるし、危険からは騎士が守ってくれる。

 でもそれでいいのかしら。

 私は自分の生活にかかわることすら人任せだし、……自分の身すら守れない。


「ルカ」


 前を見て歩きながら、後ろを歩くルカに話しかける。


「はい」


「わたくし、料理を覚えてみようかしら」


「いいですね。実は私も得意じゃないから一緒にお料理の勉強しますかー?」


「ルカにも苦手なことがあるなんて意外ね。じゃあ今度一緒にやってみましょう」


「はい! エイミーは得意らしいから教えてもらいましょう」


 同年代の女の子たちとお料理……楽しそう。

 自分で育てた野菜を使うのなんていいかも?

 ちょっとわくわくしてきた。


「あと、実は剣術も習ってみたいのよね」


「ええっ!?」


「それはレオが絶対に死ぬ気で反対しますし、そもそも聖女様には向きませんね」


 ……この声。

 振り返ると、いつの間にか護衛がセティに代わっていた。


「今日の護衛はあなたではなかったと思うのだけど」


「さっき図書館を出たところで交代しました。まあ交代させたというか。とにかく、さっきから僕は聖女様の後ろを歩いていましたよ。考え事をしてて気づかないようでしたが」


 思わずため息がもれる。

 護衛が変わっても気づかないほど鈍い人間が、剣術を習って強くなれるとも思えない。

 リーリアはミリア以上に体力がないし、向かないということはわかってはいるのだけど。

 セティが足を早めて私の横に並ぶ。


「なんでそんなことを言い出したかはなんとなくわかりますけどね」


 先日の事件を思い出してしまうたび、恐怖とともに悔しさを感じた。

 身勝手な男相手に手も足も出ず、セティがいなければどうなっていたかもわからない。

 護衛がいなければ自分の身すら守れないなんて。


「いいじゃないですか、力なんて弱くたって。この大陸で最も貴重な力を持っているんですよ」


「それはそうなのだけれど。自分の身の回りのことくらいはできるようになりたいし、自分の身も自分で守れるようになりたいの」


「そこらの男ならあの技でぶっ飛ばせますよ。それ以上強くなってどうするんです。騎士が失業して路頭に迷いますよ」


 セティの物言いに、思わずクスっと笑ってしまう。


「それは困るわね」


「でしょ? 聖女様を守ることを生きがいにしてるやつもいるんですから、それを奪っちゃダメですよ。役割分担です。まあ料理くらいなら覚えてもいいけど」


「役割分担、ね……。ありがとう、気が楽になったわ」


「どういたしまして。だから聖女様は大人しく僕たちに守られてくださいね」


「ええ」


 セティが満足気に笑い、私の前に出て歩き出す。

 やっぱりセティは優しい。


 セティに送ってもらって部屋に戻ると、エイミーが待っていた。


「お帰りなさいませ。ご所望の書類をご用意しました」


 優しい笑顔を向けてくれるエイミー。

 すっかり元気になってよかった。


「ありがとうエイミー。ようやく実現しそうね」


「あ、外出申請書ですか。楽しみですね~」


 とルカ。


「ええ。護衛は事前に決めておかなければいけないのね。誰にしよう」


「そこは聖女様護衛責任者であるレオ副団長にご相談ですよねー」


「自分が行くと仰いそうですけどね」


 二人が顔を見合わせて微笑みあう。


「でもレオは目立つのよね。長身だし筋肉質だし目つきはするどいし。どう見ても普通の人には見えないわ」


「おまけにイケメンですもんね!」


「たしかに目立ってしまいますね。だからといってセティウス様もとても目立ちますし……」


「街に出るなら人当たりがいいグレンが適任かしら。グレンも軍人の体つきだけどそこまで長身ではないし」


「グレン様とデートですかぁ。うらやましい」


 ルカがぼそりと言う。 


「え?」


「あ! なんでもないです!」


 エイミーが口元をおさえてクスクス笑っている。


「ルカ、もしかしてグレンと恋人同士だったりするのかしら」


「ち、ちがいます! まだぜんぜんそんなんじゃ!」


 ルカが真っ赤になる。

 かわいい……。

 そっか。ルカはグレンのことが好きなのね。

 二人とも明るい性格だし、なんだかお似合いね。


「今度からグレンが警護についてくれる時はルカを伴うようにするわね」


「ええっいいんですか。お願いします!」


 ここで照れて断らないところがルカのいいところね。

 かわいいし、その積極性がうらやましい。

 やっぱり人生受け身じゃダメよね。見習おう。


「エイミーは誰か好きな人は?」


「私はそんな。リーリア様一筋です」


「エイミーったら。でも好きな人ができたらこっそり教えてね」


「はい」


 これがいわゆる女子トークっていうものなのね。

 すっごく楽しいー!

 生まれ変わってよかった。

 今度は三人でティーパーティーしようっと。


 あ、そうだ、護衛をどうしよう。

 明日出かけるには、夕方までには書類を出さないと。

 勝手に護衛を決めて提出したらレオの立場がないし色々困るわよね。

 レオは一番警戒が必要な夜から朝にかけて部屋の外か窓の下の警護についてくれることが多いから、今は寝ているかもしれない。

 とりあえず会いに行って寝てたら考えよう。


 エイミーを伴って詰所の副団長室へ。

 軽くノックするけれど、返事はない。鍵はあいてるみたいね。

 エイミーは「ごゆっくり」と微笑みながら副団長室から少し離れた位置に立った。なんだか複雑……。

 そっと中に入る。団長室より、少し狭い。

 同じように机と応接用のソファとテーブルがあって、そのソファにレオが寝ていた。

 個室は別にあるだろうに、そっちで寝ないのかしら。ソファから長い足が思いっきりはみ出していて、なんだか疲れそう。

 起こしては悪いのでそっと近づく。

 寝顔がどこかあどけない。あの頃の面影があるわね。

 普段は鋭い琥珀の瞳の印象が強くて、あまり子供のころの面影を感じないのだけれど。

 制服の上着は壁にかけてあって、シャツ姿のレオが新鮮だわ。

 眠るためにボタンを開けたのだろうけど、シャツの襟元が大きく開いていて、そこから見えた首筋や鎖骨に思わずドキッとする。

 ってちょっと待って私。

 男性の寝顔や首元をじろじろ見るなんて、淑女のすることではないわ。

 ダミアン殿下のこと何も言えないじゃない。

 出直そう。

 そう思って踵を返したとき。


「リーリア様……?」


 レオが起き上がる。

 レオにリーリア様と呼ばれたのは初めてじゃないかしら。

 たったそれだけのことなのに、胸の奥がざわめく。


「失礼しました、聖女様。なぜここに?」


「少し相談が。でもまたにしますね。寝ているところを邪魔してごめんなさい」


「いえ、もう起きる時間ですから。というか寝すぎました。まさか接近に気づかないとは」


 レオが立ち上がり、私にソファに座るよう促す。

 私は素直に従った。


「疲れているのですね。あ、どうかレオも座ってください」 


 夜間の警備ばかりして休みもほとんどとらないのだから、疲れていて眠いのも当然よね。

 なんだか申し訳ない気持ちだわ。

 けれどそれを口に出すのはレオにとって嬉しいことではないだろうから、言わないでおこう。


「疲れてはおりません。相談というのは?」


「明日街に出るために外出申請を出すのですが、護衛を事前に決めておく必要があります」


「俺が一緒に行きます」


 即答だった。


「ですが……こう言ってはなんですが、レオは目立ちます」


「それは聖女様も同じです。護衛を三人つけるのであれば俺でなくても構いませんが」


 勇者様ご一行じゃないんだから、そんなに後ろにゾロゾロ連れては歩けない。

 かなり目立ってしまう。


「……わかりました。ではレオにお願いします」


「必ず聖女様をお守りいたします」


「ありがとう。ではレオはもう少し寝てくださいね」


 私が立ち上がると、レオもまた立ち上がった。


「もう起きます」


 苦笑しながらレオが言う。

 寝癖がついているのがかわいい。


「ふふ、では寝癖を直して行かれたほうがいいですよ、副団長殿」


「えっ」


 レオが慌てたように髪をなでるけれど、くせのついた髪が再びぴょんと飛び出した。

 そう、レオは寝癖がつきやすいんだった。

 だからいつも髪を短めに切ってたのよね。

 寝相が悪いせいもあるのだけど。


「このへんです」


 私が自分の頭をさす。

 レオの手が見当違いなところを撫でて、私は思わず笑ってしまった。


「そうではなくて、ほら……」


 それは無意識の行動だった。

 いつの間にか自分の中ではミリアの気持ちになっていて、目の前にいるこの大きな男の人があの小さな男の子のように感じていた。

 だから、ふいに髪に手を伸ばしてしまった。


「いけません」


 そう言われて、はっと手を止める。

 異性の髪に触れるなんて、よほど親しい間柄でないとやらないことなのに。

 少なくとも今の私とレオは“親しい間柄”ではないわ。


「ごめんなさい。失礼でした」


 なんだか恥ずかしい。

 いつの間にかかつての間柄のように思っていたことも、拒否されたことも。

 そういえば、副団長になってから特に距離を感じる気がする。

 一線を引いているというか、態度が硬いというか。


「失礼など。そういうことではありません」


「いえ、今のはわたくしが悪かったのです。今日はこれで失礼しますね」


「待ってください」


「いいのです、気にしないでください」


 何がいいのですなのかよくわからなかったけれど、いたたまれない気持ちでいっぱいでとにかく一刻も早くここを立ち去りたかった。

 彼に背を向けてドアに向かうと、レオが私の後ろからドアノブに手をついて、私の行く手を遮った。

 すぐ後ろに、彼の気配が。

 振り返れない。

 これが噂の壁ドン……?

 じゃなくて、ドアに手をついているからドアドン?

 どっちでもいいわよね。思考が現実逃避に走っているわ。


「逃げるように去らないでください。誤解したままでいてほしくないんです」


 背筋に響くような、低い声。

 影をつくるほどの大きな体。

 私はどうしてこの人を子供のように思ってしまったのかしら。 


「逃げてなんて」


「ならちゃんと話を聞いてください」


 なんだかレオには距離をとられているか怒られているかどっちかのような気がするわ。

 再開したばかりの頃のほうがまだ普通の距離感だった気がする。

 こんなふうになりたいわけではないのに。

 

「嫌だと言ったら?」


「諦めます。聖女様相手に無理強いはできませんから」


 えっ諦めちゃうんだ。

 レオが、ドアについている腕をどけた。

 閉じ込められているような感じがなくなってほっとするけれど、相変わらず距離は近い。

 振り返ることができない。


「話とはなんですか」


「まず、失礼だとか嫌だとか、そんな理由で触れようとするのを止めたんじゃありません」


「ではなぜ?」


「俺が距離感を間違えてしまいそうになるからです。聖女様の警護責任者としてあってはならないことです」


 私は前世の記憶があるからレオとセティに親しみを感じるけれど、レオにとっては私はただ仕えるべき聖女ということ、なのかしら。

 副団長になってからはその責任感も増したのね。

 理解はできるのだけれど。

 なんだか寂しい。


「レオの言いたいことはわかりました」


「……なんとなくわかっていない気がしますが」


「侍女を待たせているので失礼しますね」


「……。承知しました」


 今度はレオに止められることなく、私は部屋を出た。

 私の顔を見たエイミーが一瞬心配そうな顔を見せたけど、何も言わずにいてくれた。

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