第17話 彼方を立てれば此方が立たず


 侍女たちが私を慕ってくれる一方で、私を嫌っているであろう女性もいる。

 それが、神聖騎士団の中で数少ない女性騎士。

 女性騎士は四人しかいないのだけれど、そのうちの一人は確実に私を嫌っている。もう一人はなんとなく嫌っている気がする。

 どちらも若い二人。

 ベテランの女性騎士二人は淡々と仕事をしていて、私への感情は良くも悪くも何も感じないのだけれど。

 会う人みんなに好かれるわけはないし、嫌う人がいてもいいのだけど、理由がなんとなく気になる。


「ルカ、昨日部屋の前の警備についていた女性騎士のことを知ってるかしら。黒髪をうしろでひとつに結い上げている人」


 鏡台の前に座りながら、今日の担当のルカに声をかける。

 エイミーは別室で待機中。休みをあげられるようになってよかったわ。


「あー、アイラですね」


 私の髪を梳きながらルカが言う。

 ルカは髪の扱いがとても上手で、彼女が梳いてくれると髪の艶が増す。


「そう。アイラというの」


「アイラって明らかに態度が悪いですよね。あからさまに変なことはしてこないとはいえ。嫉妬しちゃってみっともないったら」


「嫉妬?」


「リーリア様が……あっすみません、聖女様が」


「いいのよ。たまに自分の名前を忘れそうになるから、人前じゃないときだけでもリーリアと呼んでもらえると助かるわ」


「えへへ……じゃあ。リーリア様が現れる前、彼女が次代の聖女に決定していたんです」


「えっじゃあもともと聖女候補だったの?」


 なるほど。

 私が現れて聖女になりそこねたのね。だからあんなに不機嫌な態度をとるのかしら。

 聖女なんていいものじゃないのに。


「彼女の家は……平民の私が言うのもなんですけど、末端の貴族で、騎士の家系なんです。お父様に聖女になることをたいそう期待されてたみたいですから、家にも帰りづらくて騎士として残っているのかもしれませんね」


 ここに残ったのは聖女のスペアとして置いておきたい神殿側の思惑もあるのかもしれないけれど。

 もう決定していたのに、横から聖女の地位をかっさらわれたらそれは気分が良くないわよね。


「それにしても詳しいわね、ルカ」


「えへへー、実は私も、こう見えて聖女候補だった時期があるんです。アイラは同期だから色々話を聞いたりしました」


「そうなの!?」


「はい! と言っても光の魔力があまり強くなかったから途中で候補から外れてしまったんですけどね。でもここに残って働いていいって言われて、お給料もいいし神殿所属の侍女になりました。それで、前聖女様に……」


 明るかった彼女の表情が曇っていく。


「ルカは前聖女付きの侍女だったのよね?」


「前聖女様にずっと付いているわけじゃなく、髪結いと着替えの手伝いくらいでしたけどね。でもある日、侍女長のサラ様にお酒を持っていくのを代わってと言われて。今考えれば機嫌が悪いってわかってたんでしょうね。持っていったらお酒の空き瓶だらけで、顔色もお悪くて。つい、これ以上お召し上がりにならないほうが、と言ったら」


 逆鱗に触れて牢に入れられてしまったというわけね。

 たかがそんなことで牢に入れるなんて、もう正気を失っていたのかしら。


「つらいことを思い出させてしまったわね」


「いいえ。つらいことなんて何もありません。だってリーリア様が助けてくださいましたから!」


 太陽のような笑顔でルカが言う。

 ルカは口数が多くてとても明るい。

 牢にいるときはひどくおびえていたけれど、こっちが本来の性格なのね。

 私も元気をもらえるようで、彼女が側にいてくれるのがうれしい。


「リーリア様はこんなに素晴らしい方なのに、あんな態度をとって。今度アイラにビシッと言っておきますね」


 髪を梳き終って、ピンで器用に結いながらルカが言う。


「いいのよ。別に何かしてくるわけでもないから」


「でも女の嫉妬って怖いですからね。聖女の地位のことだけじゃなくて、リーリア様が美人なうえにレオ様と親しげなのも気に入らないのでしょう」


「彼女はレオのことが好きなの?」


「レオ様にも気があるし神聖騎士団長にも気があるし他の騎士様にも。基本的にイケメンに目がないんです。でも結婚は最低でも近衛騎士団の男性、できれば身分の高い貴族と、ですって」


 なかなか肉食な女性なのね。

 近衛騎士は全員貴族だけど、そのほとんどが跡を継がない次男や三男だし、婿入りしてくれる人を狙っているのかしら。

 なんにしろ、彼女も貴族として家の存続のために必死なのかもしれないわ。

 あまり悪く思ってはダメね。

  

「それにしても、ルカは情報通ね」


「えへへ、話を聞き出すのが上手いってよく言われます。これからもリーリア様のために情報収集をしちゃいます。もちろんリーリア様に関する噂を流したりしませんよ! リーリア様がいかに素晴らしいか以外」


「いかに素晴らしいかもやめてね」


「えーダメですかぁ」


 彼女のほうが年上なのに、妹のように感じてしまう。

 ミリアだったときからは考えられないほど、侍女との時間が楽しいわ。


「そういえば、聖女候補はあなたとアイラの他に何人いたの?」


「あと一人です。その人は実家に帰って結婚しちゃいましたけどね」


 聖女候補が、三人しかいなかった?

 ミリアのときは八人もいたというのに。


「そのもう一人って、年齢は?」


「私のひとつ上の十九歳でしたが。何かありましたか?」


「いいえ、なんでもないの」


 アイラも二十歳前後に見える。

 つまり、私の後に光の魔力の持ち主が生まれていない?

 ううん、十歳で貴族から孤児に至るまでみんな一度魔力を調べるから、それ未満の子にはいるのかもしれない。

 けれど。それだと随分間があいている。

 もしかして、この国は女神に見放されつつある……? 

 でもそれなら私がこれほどの力に目覚めるわけもないし。

 ……杞憂きゆうだといいのだけれど。



 なんとなくもやもやした気持ちを抱えながら、ルカと庭園を散歩してベンチに座る。

 さすがに庭園の散歩ばかりじゃ飽きるわね。

 何せ前世も見てきた庭園だし。

 今度野菜か花でも育ててみようかしら。あ、それいいかも。

 それに街にも出かけたい。外出申請を出してみよう。

 護衛は……レオじゃない人にしよう。

 レオと一緒にいるのは嬉しいし安心するけれど、私がミリアだったと気づかれるわけにはいかないんだから、関りすぎてもよくない。


 私がずっとここに座っていると、側に立っているルカが疲れるだろうから、そろそろ帰ろうかしら。

 そう思って顔を上げると、こちらに向かって歩いてくる人影に気が付いた。

 神聖騎士団の白い制服。風にふわりとなびく、くせのある銀色の長い前髪。


「セティ……?」


 一瞬、別人かと思った。

 まだ痩せ気味ではあるけれど、頬がこけているというほどではないし、クマもだいぶ目立たなくなっている。

 顔色もいいし、緑色の瞳からも濁りが消えている。

 そして顔から不健康さが抜けたことで、顔立ちの美しさが際立った。

 やっぱりすごくきれいな顔をしているわ。となりのルカが口をあけっぱなしにするくらい。


「セティウス」


 普通に近づいてくる彼にどうしていいかわからず、とりあえず呼びかける。

 彼はベンチに座る私の前で止まり、形のいい唇に笑みをのせた。


「お久しぶりです。少し話せませんか? 聖女様」


 口調がやけに丁寧ね。

 人目があるからかもしれないけれど。

 私は少し考えたあと、ルカに少し離れていてくれるよう頼んだ。

 ルカはためらいながらもそれに従い、会話が聞こえないくらいまで離れて止まった。


「ずいぶんと元気になったのね」


「まあね。おかげ様で」


 あ、口調がもとに戻った。

 

「今日は何をしに私のところへ? 今度はクモでも集めたのかしら」


「クモも嫌いだ。まずは筋を通しておこうと思ってね」


「筋?」


 セティがすっと頭を下げる。


「腕をつないで、命を助けてくださってありがとうございました」


 思わずぽかんとする。

 セティが、お礼を言うなんて。


「プッ、いいねその間抜け面」


 間抜け面って!

 えっ、私をからかうためにお礼を言ったの?


「わたくしは大したことはしていませんわ。それよりも勝手に聖印を消してしまって……」


「ストップ。謝らなくていい」


「え?」


「それはあなたの泣き顔であがなってもらうから」


 からかうような、でも真剣なような、そんな微笑を浮かべる。

 泣き顔って……結局まだ私への復讐はあきらめてないのね。

 あんたがあなたになっただけましかしら。


「わたくしが憎いのなら何故わざわざお礼を?」


「しばらくあなたと離れて、色々考えてた。助けてもらったのに礼すら言わないんじゃさすがにね。それにもう憎いとは思わない」


 憎いと思わない。

 その意外な言葉に驚く。


「憎くないのならなぜ泣かせたいと思うのかしら」


「そのとり澄ましたきれいな顔が、涙でぐちゃぐちゃの変な顔になるのを見てみたいから」


 それが彼なりの復讐なんだろうか。

 私の顔が変な泣き顔になったら満足するの? 何故?

 体もほぼ健康になって、精神も健全になりつつあるけれど……なんとなく彼の性格がよくわからない方向に曲がってきた気がする。


「で、どうやってわたくしを泣かせるのかしら。部屋への侵入はもう困りますわよ」


「警備も強化されたし侵入は難しいだろうね。居眠りトムは兵士に降格されたし」


 そうだったのね。

 セティが侵入してくるとわかっていてランス卿がただ黙っていたとも思えない。

 ランス卿が窓の外でこっそり警備をしてくれていたのかもしれない。

 私が本当に危機に陥ったら踏み込んでくるつもりで。

 それなら騎士が居眠りしていたのも見ていたでしょうし、いつまでも職務怠慢を許してはおかないでしょうね。

 ランス卿にも色々と迷惑をかけてしまったわ。


「まあ、あなたを観察しつつ弱点でも探してみるよ。暴力と虫以外の方法を探さなきゃね」


 思わずちいさく笑ってしまった。

 なんだかかわいい。


「その余裕の表情がむかつくんだよなあ」


「馬鹿にしているわけではないわ。ただあなたが元気になってうれしいだけよ」


 心からそう思う。

 ミリアの聖印が、セティを死なせてしまうところだった。

 聖印を消したことにもともと後悔はなかったけれど、彼が肉体的にも精神的にも元気になってきたことで、ようやく消して良かったと思えてくる。


「なんであなたはそういう顔で笑うんだろうね」


「え?」


「さて、そろそろ行こうかな。あそこで殺気を放ってるやつがいるし」


 セティが横を向く。

 彼の視線の先をたどると、木に寄り掛かるレオがいた。

 その手が、剣の柄に軽く触れている。


「じゃあね聖女様。楽しみにしてて。――僕が必ず泣かせてみせるから」


 妖艶とさえ言える笑みを浮かべて、そんなことを言うセティ。

 やっぱり、なんだか性格が。

 固まっている私に可愛らしく手を振って、セティは去っていった。

 横目でレオをちらりと見ると、彼は柄から手を離し、こちらを見ている。


 こ、怖い。

 レオの顔が怖い。

 わっ、こっちに来た!


「ごきげんよう、レオ」


「聖女様におかれましてはご機嫌麗しく恐悦至極に存じます」


 この嫌味なほどかしこまった挨拶が怖い。

 どう返していいのかもわからず、沈黙してしまう。


「聖女様。セティウスと随分親しいご様子でしたが」


「えっ? そ、そんなことありませんわ。腕をつないだお礼を言われただけです」


「病院で治療して以降会っていないのに、あいつがあっさり恨みを忘れて礼を言ったと?」


「え、ええ。魔力の淀みが解消されて精神も健やかになったのでしょう」


 再び沈黙が下りる。

 レオの顔は相変わらず怖い。


「セティウスは一度会っただけの人間にあのように気安い態度で接するやつではありません。俺の知らないところで何度かお会いになりましたね」


 確信をもっている様子でレオが言う。

 そうですとも違いますとも言えず、ただ下を向く。

 それは肯定したも同じだった。


「俺はセティウスがあなたに危害を加えるのではないかと、もう何日も気が気じゃなかった。団長が俺を無理やり休ませるようになったのも納得いかず、勝手に気を揉んでいました。けれどその裏であなたは密かにセティウスとお会いになって、やつと親しくなっていたというわけですね」


「親しいわけではありませんわ。彼は私を困らせたいようですし」


 そう言うのがやっとだった。

 レオが怒るのも無理はない。

 彼は弟ともいえるセティが聖女に危害を加えるのではないかとずっと心配して、睡眠時間を削って警護にあたっていた。

 それなのに、私がのんきにセティと会っていたとわかれば、それは腹も立つでしょうね。

 実情はそんなにのんびりしたものでもないのだけれど、部屋に侵入されていたと言うわけにもいかない。

 それを知れば騙されていたと思うかもしれない。

 レオに、申し訳ないことをしてしまったわ。


「レオ。心配をしてくれていたのにごめんなさい」


「聖女様が謝る必要はありません。警護はもともと俺の仕事です。俺が仕事に私情を挟んでしまっただけです」


「弟のようなセティウスが罪を犯すのではないかと心配するのは当然だと思います。あなたにもっと色々相談すべきでした」


「……」


 レオがあからさまに苛立ったため息をつく。

 もう何を言うのが正解かわからなくなってきた。


「彼の聖印を勝手に消したのですから、私が彼の怒りを受け止めるべきだと思ったのです。何度か話して、彼の気持ちは徐々に落ち着いてきました。彼は立ち直りつつあります。だから……」


「なぜあなたは会って間もないセティウスのためにそこまでするんでしょうね」


「それは……」


 ミリアとしての責任とは言えない。


「あいつに気があるんですか」


「なぜそんな話になるのです」


 なぜレオに怒られてるのかわからなくなってきた。

 レオが乱暴に髪をかき上げる。


「何を言ってるんでしょうね、俺は。聖女様相手に失礼しました。これからは立場を弁えます」


「レオ」


 立ち上がって彼に何か言おうと思っても、とっさに言葉がでてこない。


「失礼します」


 彼は会話を拒否するように一礼すると、踵を返して去っていった。


 レオに叱られる日がくるなんて。

 ううん、それ以上に、レオに嫌われたのであろうことが悲しかった。

 もうどうしたらいいかわからず、遠くで様子を見ていたルカが迎えに来るまで、ただその場に突っ立っていた。

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