第16話 大神官シャティーン


 虫の日から一週間経ったけれど、セティはあれ以降部屋に侵入してきていない。

 体力回復に努めているのか、言った通りどこからか私を観察することにしたのか。

 いずれにしろ、侵入を続けていればいつかランス卿以外の誰かに見咎められて大変なことになってしまう。

 レオだって勘がいいから、ある時突然踏み込んでくるかもしれない。

 少しずつ健康に近づきつつあるし、私に対する悔しさはあっても歪んだ悪意は見られなくなってきたから、そろそろ侵入できないように窓の外の警備を増やしてもらおう。


 朝食が終わり、ランス卿に会いに行く準備をしようと思っていた時。

 ノックの音がして、入室を許可すると人事官と侍女の制服を着たオレンジ色の髪の女性が頭を下げながら部屋に入ってきた。


「どうかしましたか?」


「はい。聖女様がもう一人侍女をお付けになりたいと仰っていましたので、候補を一人連れてまいりました。今お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「ええ」


「この者はルカと申します。本人が聖女様にどうしてもお仕えしたいとのことです。お許しいただければ正式に聖女様の侍女として任命いたします」


「ルカと申します! 突然お邪魔して申し訳ありません」


 ルカ……聞いたことのある名前。

 そうだ、地下牢に関する報告書でその名前を見たわ。

 ということは、彼女があの時地下牢にいた侍女?


「顔をあげて」


 声をかけると、ルカが顔をあげる。

 くりくりとした大きなブルーグレイの瞳と、鼻の上にうっすら浮かんだそばかすがチャーミング。

 年齢は私より少し上くらいかしら。

 牢では体力と気力が落ちているようだったけど、今は元気そうね。よかった。


「わたくしの侍女になりたいと?」


「はい、お許しいただけるなら誠心誠意、命をかけてお仕えいたします!」


 なんだか情熱的な人ね。

 おそらく牢から出したことを感謝しているのでしょうけど。


「そう。ちょうどもう一人侍女が欲しいと思っていたところなの。ではこれからよろしくね」


「あ、ありがとうございます!」


「お受けいただき感謝いたします。では私はこれで」


 人事官が頭を下げて去っていく。

 ルカは大きな瞳に涙を浮かべると、その場で土下座した。

 エイミーをちらりと振り返ると、ぽかんとした顔をしている。


「聖女様にお仕えできるなんて幸せです!」


「そんなに這いつくばってもらっても困るわ。そもそもわたくしはとてもわがままなの。後悔しても知らないわよ?」


「はい! 聖女様にでしたら踏まれても蹴られても構いません!」


 うわぁ。

 これは……思った以上に惚れこまれてしまった。

 恩を売るのって怖いわね。


「踏んだり蹴ったりはしないけれど。エイミー、色々教えてあげてね」


「かしこまりました」


 少し笑いを含んだ声で言う。

 エイミーは最初こそ私におびえていたけれど、最近は表情も柔らかくなった。

 一人では彼女も大変でしょうから、これで少し休みをあげられるわね。

 良かった。



 午後になって、高位神官のカーマンが部屋を訪ねてきた。

 ああそうだ、今は神官長になったんだったわね。

 彼は金にも女性にも関心を示さない真面目な性格で、まさに神官の鑑とも言える。

 その性格を買われて三十代後半という若さで神官長に抜擢されたとか。

 あの金の亡者の古狸とは大違いね。

 古狸は城の地下牢に入っているということだったし、もう会うことはないでしょう。


「神官長、どうかしましたか」


「はい。急な話で大変申し訳ありませんが、大神官様がお会いになりたいと」


 大神官!

 リーリアになってからは、一度も会っていないわ。

 世俗のことに一切干渉をせず、『星の間』からほとんど出ることなく過ごすという大神官。

 前世では継承の儀の時に一度会ったきりだったけれど、もう代替わりしているのかしら。

 当時は若い男性だったけど、もう三十年以上経つものね。


「わかりました。支度します」


「ありがとうございます。では後程ご案内させていただきます」


 神官長が出て行ってから、エイミーとルカに手伝ってもらい、正装する。

 ルカは前聖女に侍女として仕えていただけあって手際もよく、特に髪を結うのが得意だった。

 手早く支度を終えた私は、侍女二人を連れて神官長の元へと向かった。



 『星の間』は神殿の離れにある。

 長い長い廊下へと続く扉は普段は厳重に閉ざされていて、鍵は神官長しか持っていない。

 神官長は荘厳な扉を開けると、恭しく頭を下げた。


「わたくしめと侍女はここまでになります。恐れ入りますが、お一人でお進みいただきますよう」


「わかりました」


 美しい大理石の床に敷かれた青いカーペットの上を、一人で歩く。

 装飾品一つない長い廊下は、どこか人を拒んでいるような、そんな錯覚を覚えた。

 高いヒールの靴を履いた足がわずかに疲れを訴える頃、ようやく白い扉の前に着く。

 ノックの返事は、若い男性のもの。

 代替わりした……?

 扉が自動的に空いた。おそらく大神官の魔法。

 お香の匂いが、ふわりと香った。


 大理石の床に敷かれた、毛足の長い丸いラグ。

 その上に素足で立つのは、床につきそうなほど長い白い髪と赤い瞳が神秘的な、美しい男性。

 年齢は、三十歳を少し過ぎたくらいに見える。

 ――前世で会った時と、変わらない姿。

 ぞわりと鳥肌がたつ。


 どういうこと?

 ミリアの時の大神官の息子とか?

 でも……似すぎている。


「ようこそおいでくださいました、聖女様。本来ならばこちらから伺うべきところ、ご足労いただき申し訳ありません。大神官シャティーンと申します」


 シャティーン。

 やっぱり、前世と同じ大神官だわ。

 ミリアが継承の儀を受けた時から三十年以上も経っているのに、どうしてまったく変わっていないの?


「リーリアと申します。お初にお目にかかります」


「立ち話もなんですから、どうぞお座りください、聖女様」


 と言われても、ソファや椅子などはない。

 大神官は唇に笑みをのせると、ラグの上に直に座った。

 長い髪がラグの上に流れる。わずかに銀色がかった美しい白い髪は、どこか人ならぬものを感じさせる。

 たしかにクッションなども置いてあるけれど、こんなふうに座るのは初めてね。

 前世ではさほど話をすることもなくすぐに儀式を受けたし。

 まあいいわ。聞きたいことも色々ある。

 私は靴を脱ぐと、クッションのそばに座った。


「先ほども申しましたが、お越しいただき申し訳ありません。私は世俗から離れて暮らしておりまして、ほとんど外に出ることがないのです」


「お気になさらないで下さい。こちらこそご挨拶に伺うのが遅れました」


「本来なら貴女の就任式に出席すべきだったのですが、貴女の力の覚醒のときに一度目覚めたきりで、それ以降は寝ておりまして」


「寝て?」


「誤解を招く言い方でしたね。私は月に2~3日程度しか起きていません。それ以外は奥の間で眠りについています」


 えっそうなの!?

 というかそんな人間がいるの?

 もしかしてずっと若さを保っているのも、その生活のせい?


「眠るというと……普通に眠ってらっしゃるのでしょうか」


 大神官は意味ありげな笑みを浮かべた。


「大きな結晶石の中で眠っているのですよ。仮死状態というのが近いでしょうか」


 もしかして、結晶石の中で眠っている時は肉体の時間が止まっているということかしら。

 でもなんのためにそんな生活を?


「なぜそんなことをするのか、不思議ですか?」


「はい」

  

「なかなか正直でいらっしゃる。聖女継承の儀のためですよ。他に継承の儀をできる者がいないから、私はそうして永らえているのです」


 いったいこの人は何年生きているのだろう。

 たしかに聖女継承の儀はこの国の生命線とも言えるものだけど、そんな生活をしてまで守るなんて。

 本当に他にできる人はいないんだろうか。

 もしこの人が誰にも継承の儀のやり方を明かさないまま、死んでしまったら?


「後継者はお育てにならないのですか」


「高い魔力のほかに信心深さや精神力など、必要な要素が色々とありますから、なかなか適任が見つからないのです。ただ、私に万が一のことがあれば継承の儀のやり方がとある方法で残されることになっていますから、ご心配なく」


 何らかの方法で継承の儀のやり方は残すということね。

 でも適任がいないのなら方法だけ残っても仕方がないのでは?

 まあ、それは私の考えることじゃないわね。


「あ、そうそう、後継者といえば。これは自慢なのですが、紋章術を編み出したのは私なのですよ」


「そうなのですか!?」


 紋章術の歴史はたしか百年と少しくらいだったはず。

 じゃあ、それ以上の時を生きているということに……。

 なんだかちょっと怖くなってきた。


「紋章は大神官様自らが騎士に刻んでいるわけではないですよね?」


「ええ。そちらの技術はすでに他の者に伝承していますので、私がいなくても伝わっていくでしょう。もちろん国によって厳重に管理されていますが」


 目の前で穏やかに微笑むこの人は、その容姿と高い魔力が相まって人ではないようにすら感じる。

 なぜか気後れしてしまう。

 でも、気になることは聞いておかなくちゃ。陛下以上にこの方には滅多に会えそうにない。


「大神官様。わたくしは聖女継承の儀を受けずに聖なる力に目覚めました」


「はい。大変驚いております」


「それは何故なのかご存じでしょうか?」


「貴女は魂の段階で女神様の祝福を直接受けたのかもしれませんね。初代聖女様もそうだったと記録されています」


「魂の段階で、ですか」


 女神様のおわす白い世界。

 そこで、祝福を……?

 何かあったような気がするのだけど、思い出せない。


「初代聖女様は力に目覚められた時、女神様のお言葉までも思い出され、皆に伝えたと言われています」


「女神様の言葉?」


「端的に言うと、聖女はもうこの国にしか授けない、戦争を続ける国は瘴気と魔獣によって滅びるといったことですね」


「そうなのですか」


「失礼ながら、リーリア様は何か女神様のお言葉を思い出したりといったことは?」


 女神様のお言葉。

 頭の奥のほうにぼんやりとよみがえる、白い世界。

 魂だけの存在のとき、私に何かお言葉を授けられた……?

 何かを……そう、何かをするなと、言っていたような。

 ああ、だめ、思い出せない。

 頭にもやがかかったようで。

 何か伝えなければいけないことがある気がするのに。


「申し訳ないのですが思い出せません。お役に立てず……」


「ああ、いいのですよ。女神様のお言葉がなくても、貴女が特別な聖女であることに変わりありません」


「申し訳ありません」


「謝られる必要はありませんよ」


 安心させるように、大神官はにっこりと笑った。

 しばし、沈黙が部屋を支配する。

 このままだと「では今日はこれで」とお開きになってしまいそう。

 聞けることは聞いておきたい。


「わたくしや初代様のような聖女が女神様の祝福を受けた存在ということはわかりましたが。女神様の祝福を受けたわけではない光の魔力の持ち主が聖女になるという、聖女継承の儀とはなんなのでしょう」


「ふふ、好奇心旺盛でいらっしゃる。光の魔力の持ち主もまた生まれながらの聖女ほどではないにしろ祝福を受けた身ですから、そんな彼女たちを女神さまに希って聖女にしていただく儀式ですよ。詳しい方法はお教えできませんが」


 期待はしていなかったけど、やっぱり話さないわね。

 そもそも女神様はこちらの世界に直接的には干渉できないという話だったと思うのだけど、その女神様に希って聖女にしてもらう?

 どうもうさんくさいわね、聖女継承の儀。

 でも、これ以上は話を引き出せなさそうだわ。


「色々と聞いてしまい申し訳ありません」


「いいえ、いいのですよ。貴女は聖女なのですから、気になって当然です。それに……」


「それに?」


「人とこんなにも話をするのはどれくらいぶりか。久しぶりに自分が人であることを実感できました」


「……」


 聖女継承の儀のうさんくささは置いておいて。

 そのためだけに人生のほとんどを結晶石の中で過ごして、目覚めている間も外に出かけるでもないという生活は想像もできない。

 聖女としての生活の閉塞感なんて比べ物にならないわ。


「寂しくは、ないのですか」


 思わずそんな言葉が出てしまう。

 言っても仕方がないことなのに。

 彼は少し困ったように笑った。 


「たまに、自分が生きているのか死んでいるのかすらわからなくなります。けれどこれが私の役割ですから」


「……」


「貴女は不思議ですね。お若いのに、人生の熟練者でもあるような」


 冷たい汗がじわりと浮かぶ。


「褒めているのですよ。今までの聖女様は、私を恐れたり不気味がっていましたから」


 そういわれれば前世はこの人が怖かったかもしれない。

 どこか人ではないようで。

 謎の儀式を受ける恐怖もあったのだけれど。

 

「さすがは女神様が直接お選びになった聖女様です。お話ができてとても光栄でした」


「わたくしもですわ」


 そろそろ話は終わりなようね。

 立ち上がると、足がじんじん痺れていることに気づいた。

 あ、イタタタ、なにこれ。

 ああっ、靴を履くのが痛い。ヒールの高い靴が憎い。足の裏がビリビリする!

 でもみっともなく痛がるわけにもいかないので、平気なふりをする。

 大神官はいつも床に座っているから平気なのかしら。

 そう思って彼を見ると、立ち上がった瞬間にズデーンと思い切り転んだ。


「だ、大丈夫ですか」


「お見苦しいところを。足が痺れるなんてどれくらいぶりか。いやー生きているって実感します。楽しいです」


 うーん。

 やっぱり常人とは感覚が違うようね。

 変わった人だと思うと同時に、なんとなく切ない。


「わたくしが長話をしてしまったせいですわね。ああどうか立ち上がらず。ごゆっくりお休みくださいませ」


「お気遣い痛み入ります。楽しい時間をありがとうございました」


「こちらこそ。では失礼いたします」


 一礼し、踵を返す。

 ここへ来たときと同じように、扉が自動的に開く。

 そのまま廊下へと進むと、扉はゆっくりと閉じ始めた。

 扉が閉まる直前、大神官が何かを言っていたような気がするけれど、それが何かまではわからなかった。

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