第9話 聖女様の脱走


 レオを見舞った翌々日。

 王様の印璽で封蝋された手紙が私宛に届いた。

 それは、地下牢についての報告書だった。

 その内容は。


 前聖女はわがままでヒステリック、贅沢を好むものの、そこまで横暴ではなかった。

 しかし死の三か月前に突然残忍な面を見せるようになり、地下牢を建設させた。

 したがって、牢に入っていたのは最も長い人で三か月弱。

 死の一月前には常軌を逸した様子も見られ、騎士レオと侍女ルカを牢に入れたのもその頃。

 神聖騎士団からはレオが駆け落ちなどするはずがない、調査をと強い要望が出ていたが、神官長が自分の手元でその話を握りつぶしている間に魔獣討伐隊が組まれ、神聖騎士団の主要騎士もそれに参加したため追及する者がいなくなってそのままになってしまった。

 神官長に関しては、不正な金の流れを前聖女に掴まれ、脅されていて逆らえなかったとのことだった。


 前聖女はどうやって古狸の尻尾を掴んだのかしら。

 自分で調べたのか、人を使ったのか。

 そこまではわからないけれど、逆に前世の私がのんびりしすぎていたのかもしれないわ。

 あの神官長がお金に汚いことは気づいていたのに、何もしなかったのだから。

 あ……もしかして、侍女長サラからもお金を受け取ったりしていた、とか? 彼女の実家は裕福だったし。

 でも今となってはどうでもいいわ。


 レオは昨日神聖騎士団に戻ったとのことだった。

 すごい回復力だわ。

 レオが姿を消していたのは、王様の密命を帯びて行動していたため、その密命とは市井にまぎれている聖女候補(つまり私)を探すことだった……という話にしたらしい。

 それを証明するために王様直筆の文書も作って下さったとのことだから、内心はともかく疑いを口に出せる人はいないでしょうね。よく考えると色々おかしい話なのだけど。

 “聖女”にとってあまりに不名誉なため地下牢の件は秘匿されることになったから、本当のことを話すわけにはいかない。

 だからといって侍女と駆け落ちしたけど戻ってきたなんて話にできるわけもないし。

 苦肉の策ね。

 でもレオが騎士団に戻れてよかった。


 ひとつ気になるのは。

 前聖女がおかしくなったという、死の「三か月前」と「一か月前」。

 私がミリアだったとき、死の約三か月前に聖なる力の衰えを感じ始めた。一か月前には体のだるさも。

 動けないほどではなかったけれど、漠然と嫌な予感はしていた。

 そしてある日突然倒れ、あっけなく死んだ。


 前聖女のように精神がおかしくなることはなかったけれど、もしかして彼女は自分の聖女としての役目の終わりや死を感じていたから、どんどん心が病んでいったのかしら。

 それは今となってはわからないけれど。


 ミリアと同じような力の衰え方、亡くなり方というのがどうしても引っかかる。

 そして、前聖女の享年は三十二歳。ミリアと似たような年齢。

 ミリアの前の聖女は三十歳で引退してミリアと交代したけれど、五年ほど経ったころ、亡くなったらしいと神官が噂しているのを聞いてしまった。


 嫌な考えが払拭できない。


 聖女は短命で、似たような死に方をする、と。


 短命については、なんとなくそうではないかと考えていた。

 さすがに三人の聖女が三十歳過ぎに死んでいるのだから、そう考えざるを得ない。

 だからこそ、レオにミリアの生まれ変わりであることを打ち明けることはできないと思っていたから。

 けれど死に方まで……。

 聖なる力というのは、聖女の体を蝕むものなのかしら。

 そういえば、祈りの間で聖なる水晶に触れながら浄化の力を大陸へと送り出す時、ひどい倦怠感におそわれていた。

 大陸を満たすほどの力を使うのだから、それは仕方がないことだと思っていたけど。

 あれが体に負担をかけていたのかしら……。


 リーリアになってからは祈りの間に入っていないから、魔力の差によってあの倦怠感がどう違うのかを確かめられていない。

 聖なる力に目覚めた時に浄化の力を派手にまき散らしたから、当面の間祈りの間には入る必要はないと神官長に言われた。

 むしろ、強い浄化の力を送り続けるとかえって地脈の負担になってしまうから、祈りの間で力を送られては困るということだった。

 たしかに、あの時瘴気を地脈にの中に強く……なかば無理やり押し込んだような感覚があった。

 祈りの間に入るなというのは大神官の指示らしいけれど、継承の儀を受けなかったせいで今世ではまだ大神官に会っていない。

 このまま会わないのかしら?

 継承の儀を行う彼なら、もしかしたら聖女の寿命について何か知っているかもしれない。


「私は何歳まで生きられるのかしら……」


 思わず漏れた言葉を否定するように、首を振る。

 まだ短命だと決まったわけじゃないわ。

 聖なる力も前世よりずっと強い。

 祈りの間が原因なら、それも今のところ避けられている。

 それに初代聖女様はとても長生きだったはずよ。

 もしかして聖なる力の強さに寿命が比例するのかしら。


「……考えても仕方がないわね」


 未来のことなど誰もわからない。

 短命かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 でも、我慢し通しの人生だったなんて最期に思わないように、わがままに楽しく生きなきゃね。

 それが今世の目標なのだから。



 翌日。

 私はエイミーを伴って神殿の庭園を散歩していた。

 時折、すれ違う神官や侍女がヒソヒソと私の噂をしている。

 聖女の特殊能力らしいんだけど、耳がいいのよね。だから聞こえてしまう。


「聖女になって早々侍女をクビにしたらしい」

 合ってるわね。

「わがままらしいぞ」

 それが今世の目標だし。

「でも美人だな」

 ありがとう。

「神官長までクビにしたらしいぞ、とんでもない」

 私がクビにしたわけじゃないわ。色々明るみに出ただけ。

「王様に給料を寄越せと言ったらしいぞ。がめついな」

 そんなことを言うあなたたちは、もちろん無給で労働力を提供しているのよね?


 噂なんてこんなものよね。まあいいわ。

 わがままな聖女と思われていたほうが気が楽だもの。


 部屋へと戻る途中、神聖騎士団の詰め所がなんだか騒がしいことに気が付いた。

 話を聞いていると、魔獣討伐隊という単語が何度か聞こえた。

 伴っていたエイミーに話を聞いてきてもらうと、討伐隊が王都に帰還したこと、重傷者は王立病院に運び込まれていたことがわかった。

 

 重傷者……私の力で癒せないかしら。

 軽傷ならばそのうち治るけれど、重症の人は命に関わったり後遺症が残ったりすることもあるから。


 本当は、あまり癒しの力は大っぴらに使うべきではないと思っている。

 だって世の中には怪我をしたりする人がたくさんいて、その中には重症を負う人もいて。

 癒しの力が知られれば怪我を治してほしい人が殺到するかもしれない。

 そういう人たちをすべて癒して回ることはできない。


 けれど、魔獣討伐は浄化の力と関係がある。

 浄化の力が弱まり瘴気が濃くなれば魔獣は多くなり強くなる。

 先代の聖女のこととはいえ、浄化の力の弱まりによって現れた魔獣を倒しに行って怪我をしたのだから、放っておくことはできない。


 どうしようかと考えていると、赤銅色の髪がちらりと見えた。

 神聖騎士団の白い制服に身を包んだレオ。

 もう体調は大丈夫なのかしら。本当にすごい回復力ね。伸びっぱなしだった髪もきれいに短くなっているわ。

 レオの長身と逞しい体に、騎士の制服がよく似合っている。素直にかっこいいわ。

 後ろのエイミーを振り返ると、頬を染めて見ている。

 もてる男になったのね。誇らしさと、ほんの少しの寂しさを感じる。


 レオは、難しい顔をして同僚の騎士と話していた。

 討伐隊の話かしら。

 彼の視界に入らないようそーっと近づく。


「死亡と危篤のリストだけ? なんで重傷者のリストがないんだ。どこで止まって……」


 とそこで彼が振り返る。


「聖女様」


 あ、見つかった。

 さすが騎士、鋭いわね。


「えっ、あ、聖女様!」


 レオと話していた同僚騎士が慌てて礼をとる。


「レオ卿。討伐隊が戻ってきたと聞きました」


「レオ卿なんて呼び方はオレには似合いません。レオと呼んでください」


 レオ。

 前世で何度も呼んだその名前。

 私の小さな騎士。

 もうすっかり大人になって、かっこよくなって、私の手を離れてしまったけれど。


「――レオ」


 自然と笑みがこぼれる。

 レオがはっとしたような顔をした。

 隣にいた騎士はなぜか胸のあたりをおさえている。


「あ、いや……討伐隊の話でしたね。先ほど王都まで戻ってきたようです」


「重傷者が何名か病院にいるとか」


「はい。まだ正式な報告は来ていませんが、神聖騎士団の騎士に一名……危険な状態の者がいるそうなので、行って様子を見てこようかと」


「そうですか。他に病院に行く方はいるのですか?」


「ゾロゾロ行っても邪魔になるので、俺だけで行きます」


「すぐに出発を? 馬で行きますか?」


「? まあ、そうですね。外出許可を待っていますので、もう少ししたら。もしかして、俺に何かご用がありましたか?」

 

「いいえ、いいのです。お気をつけて。エイミー、部屋に戻りましょう」


「はい」


 どこか戸惑ったような顔をしたレオに別れを告げ、私たちは部屋に戻った。

 そして部屋に戻ったところで、エイミーに「頼みがあるの」と声をかける。

 エイミーのきょとんとした顔が、この世の終わりのような顔になるのを、私はどこか楽しい気持ちで見ていた。



 神聖騎士団の厩舎は、騎士団の詰め所からは少し離れた場所にあった。

 理由は、臭うからでしょうね。

 ブルルブルルと鼻をならす馬の首をかるく撫でる。馬の目ってかわいいわね。まつ毛も長い。

 そこに現れたレオは、私を認識するやぎょっとした顔をした。


「聖女様、ですよね……!? 何故ここに。そしてその姿は一体?」


 私は、ピンク髭医者に施した魔法を自分の髪に施していた。

 淡い金髪が、今は黒髪に。

 服装も聖女の衣装ではなく、膝上のふんわりとした白いチュニックに太めの皮ベルト、馬にも乗れるよう黒い細身の膝下ズボンをはいている。

 さらには、顔を隠せるようフード付きの外套も羽織っていた。


「レオ。わたくしも病院に連れて行ってください」


「何を仰るんですか。聖女様がそのようなところに何故」


「今は何も聞かずに連れて行ってください」


「お断りします」


 ズバリ断られて、思わず眉間に力が入る。


「何故ですの」


「まず御身に何かあっては困ります。それに聖女様が行くような場所ではありません」


「どこに行くかはわたくしが決めます。それに城下町までは護衛がいれば行っていいと陛下に許可をいただいています。あなたは実力者だと聞きました。護衛はあなた一人で十分でしょう」


「この外出についても許可を取ってらっしゃるんですか?」


「いいえ。わたくしの外出許可はおそらく時間がかかりますから。窓から縄梯子を伝って脱出してきましたし、気づかれませんわ」


 にっこりと笑みを浮かべると、レオは苦い顔になった。


「とんでもなくお転婆な聖女様だ。貴族出身だと聞いてますが、脱出や変装がお得意とは」


「実家でも自由が欲しいときはよくやっていましたわ。縄梯子も実家から持って来ましたし。とにかく」


 一歩近づくと、レオはたじろいだ。

 すごく背が伸びたわね。見上げたら首が痛いくらい。


「あなたはわたくしに借りがあるはずです」


「たしかに、治療の件で大きな借りはありますが」


「そちらは後ほど返していただきます。今日はわたくしをベッドに押し倒した分ですわ」


 一拍おいて、レオが真っ赤になった。


「ひ、人聞きの悪い! 押し倒してなんていません!」


「わたくしをベッドに押さえつけて上からのしかかったではありませんか」


「……! ちがっ……」


 レオがついに両手で顔を覆う。

 さすがにかわいそうになってきたわね。

 これ以上はやめておきましょう。


「聖女様は、俺の首が飛ぶところを見たいんでしょうか」


「見たくありませんわ。だからそのことを忘れるために今日ここで借りを返していただきたいのです。わたくしは引き下がるつもりはありませんし、どうしても貴方がダメだというのなら他の方に頼みます」


 レオがため息をもらす。


「聖女様は大変したたかでいらっしゃる」


「よく言われます。お褒めいただき光栄ですわ。引き受けてくださって感謝します」

 

 もう一度、レオが大きなため息をついた。


 

 レオの馬に同乗し、フードを目深にかぶって裏門へと向かう。

 裏門から出た先には街へと続く道がある。街中では緊急時以外馬を走らせることはできないけれど、この裏道は早馬などにも使われる道だから騎士であれば騎乗が許されている。

 しかも騎士以外がこの道を使うには通行許可が必要なため、人通りもない。つまり目立たない。

 さらには、この道は王立病院にまっすぐ続いている。距離的にも近いし、馬ならなおさら早く着ける。

 けれど、門には当然門番がいる。

 聖女だとわかれば止められるだろうし、だからといってフードを被った身分証を持たない怪しい女が通してもらえるとは思えない。


 というわけで、レオにはあまり近づかないでおこうという決意はひとまず引っ込めることにした。

 一人でここから出られない以上、レオに協力してもらうしかない。

 万が一脱走がばれて咎められた場合でも、護衛をちゃんとつけていたという名目が手に入るし。


「ん? あんたレオか!」


 門番がレオに親しげに話しかける。

 レオは馬を降りて外出許可証を門番に渡した。


「ああ。久しいな」


「しばらく姿が見えなかったが」


「詳しくは言えないが任務だった」


「そうか。騎士は大変だな。ところでそちらの女性は?」


 手綱を持ったままの私の体がぎくりとこわばる。

 それは聞かれるわよね、当然だわ。


「野暮だな。聞くなよ」


「そうはいかない。顔を見せて身分証を」


「まあまあ。秘めた仲なんだ。頼むよ」


 声をひそめ、レオが門番に何か握らせる。


「決して怪しい人じゃない。俺が保証する。だからここは見逃してくれないか?」


「どうした、トラブルか?」


 門近くの建物から兵士が声をかけてくる。

 じっとりと、嫌な汗が浮かんだ。


「いや、なんでもねぇ。問題ない。じゃあなレオ」 


「ああ、ありがとう」


「遊んでばっかりいないでそろそろ身を固めろよ」


 それには答えず、レオは馬にひらりと乗り、私の後ろから手綱を握る。

 レオのおかげで、なんとか裏門を通過できた。

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