第15話大学

 同じ過ちを僕は何度繰り返せば、僕は前に進めるのでしょうか。むしろ過去を振り返ってしまう悲しい人間なのだと自虐してしまいます。

 言葉で人は死にます。殺せます。

 そんなことは分かりきっていたのに、愚かしいことに何度も繰り返してしまうのです。


 言い訳をさせていただけるなら、僕は神様ではありませんし、賢者ですらない愚者なのですから、予想はできないのです。

 自分の発言が及ぼす影響を心得ていたつもりが、想定外の効力を発揮するなんて、夢にも思わなかったのです。

 だとしても、僕に責任がないわけではありません。それは分かっています。

 だから自覚しているのです。僕は人殺しだってことに。


 ケイ先輩とその恋人を殺してしまったのは僕です。僕が認めなければ、ケイ先輩は恋人を別れることを選んだのかもしれません。

 そう考えてしまうと、頭がおかしくなりそうになります。

 いや、とっくの昔におかしくなってしまったのかもしれません。

 頭どころか心まで、おかしくなっていたのかもしれません。


 そんな狂いかけの僕ですけど、大学には合格できました。

 まあ勉強不足だったので、一年浪人しての合格ですけど。

 現役で大学に受かってはいましたけど、もっと良い大学に合格したかったので、一年勉強し直すことを選んだのです。


 その結果、僕は関西の大学に進学しました。まあ明かしてしまうと僕は関東の人間です。

 何故関西の大学に進学したのか。それは地元に居ることに耐えきれなくなったからです。

 兄が居ること。ケイ先輩の思い出があること。今まで傷つけた人間のこと。家族を捨てたかったこと。いろんな理由があります。


 だから僕は関西の大学に進学しました。

 進学した大学の詳細は言えません。これから書くことに対して、できる限り秘密にしておかなければいけないからです。


 でも言えるとしたら、大学生活は楽しかったです。サークルやバイトに明け暮れた毎日はとても新鮮で実りあるものだったと自負しています。

 勉強も頑張っていました。でもサボっていくつか単位を落としてしまったこともありますが。

 そんな生産性のあるのかないのか分からない日常を過ごしていました。

 しかし、その日常が崩れてしまう出来事が起こったのです。


 大学二年生の夏のことでした。

 僕には一人、親友と言ってもいい人間が居ました。

 その人は男性で、イニシャルからYと仮に呼称します。

 Yとは同じ学部で同じ基礎クラスのクラスメイトでした。

 サークルも一緒でした。まあなんていうか、十年来の友人のように気が合ったのです。


 Yには何でも話せましたし、Yも僕に何でも話しました。

 僕の過去も話しました。Yは僕に深く同情してくれました。

 勘違いしてほしくないのは、同情してくれたから仲良くなったわけではありません。

 Yは本当に良い人でした。誰にも優しくて誰からも好かれる人でした。

 だけど、Yは好かれすぎたのです。


 男性の僕から言うのも変な話ですけど、Yは魅力的な人間でした。

 顔もスタイルも性格も全てにおいて標準以上の人間だったのです。

 そんなYの唯一の弱点は優しすぎたことです。


 優しさというのは美点ではありますが、決して利点ではなく、はっきり言ってしまえば欠点でもあるのです。

 人間は時に残酷にならねばならないときがあります。人を蹴落とし踏みつける覚悟がなければ、生きていけない状況があるのです。


 具体的に言えば受験がそうです。自分の志望校に行くために勉強をする。それは裏を返せば他人を不合格にさせるという行為に他ならないのです。受験『戦争』と言われるように、綺麗に勝てるものではありません。むしろ醜く汚れた戦いなのです。


 だからYの優しさは自らの首を絞めるくらいの欠点だったのです。僕なんかと仲良くしていたのも、ひょっとしたら優しさだったのかもしれません。

 そんなYが僕の下宿するマンションに来たのは、ある意味必然だったのかもしれません。


 前にも記述しましたが、僕は相談に乗ることが多いのです。何でも話せる人間だったのです。今でもそうですが、内緒話を聞くことは、他人と比べても十倍以上でしょう。

 話しやすい僕と話したいY。なんて相性の良い二人でしょうか。

 そんな相性は要らなかったのですが。


 うだるような暑さの一日でした。バイトも大学も休みだったので、僕は家に引きこもってゲームばかりしていました。

 不意にピンポンと玄関のチャイムが鳴りました。オートロックのマンションだったので、僕は玄関に備え付けられたカメラを通した映像をモニターで見ました。


 そこにはYが写っていました。

 どことなく調子が悪そうなYに、僕は疑問を持ちながらも、ロックを外しました。モニター越しに話すこともできましたが、それもめんどくさかったので、中に入れました。


「やあ橋本くん。ちょっといいかな」


 Yにそう言われて断る僕ではありませんでした。僕はYを中に招きいれて、エアコンの効いた部屋へ通しました。


「なんだよ。ちょっと元気ないけど、何かあったのか?」


 僕はコップに麦茶を注ぎながら訊ねます。

 Yは家に来るときはいつも連絡をしてくれるのですが、それがなかったので、少しおかしいなと思ってました。

 Yは喉が渇いていたのか、コップに入った麦茶を一気に飲み干しました。

 僕は嫌な予感を感じながら、Yの言葉を待ちました。


「姉さん、知ってるだろう?」


 姉さんとはYの実姉です。学部は違いますが、同じ大学の先輩で、二個上でしたから四年生だったと思います。

 可愛いというよりは美人と形容したほうが似つかわしい、綺麗な人でした。


「うん。何度か会ったことあるけど」


 僕は麦茶をYのコップに注ぎました。コンビニの安い紙パックの麦茶です。


「その人がどうかしたの?」


 Yは目を伏せて、それから僕の顔をじっと見つめました。


「これから言うことは、誰にも言わないでほしい。いいかい?」


 その約束は守られることはありませんでしたけど、僕は思わず頷いてしまいました。

 一瞬だけ躊躇して、そして言いました。


「俺、姉さんと付き合っているんだ」


 最初、何を言ったのか分かりませんでした。

 そして僕は言ってしまったのです。


「えっ? 姉弟でしょ……?」


 Yの顔が端整な顔立ちにそぐわないほど醜く歪みました。

 今にもここから立ち去りたいという顔でした。


「……そうなんだ。姉弟でも、付き合っているんだ……」


 どうやら冗談ではなく、本気で言っているみたいでした。


「えっと、付き合っているって、本気なのか? マジで言ってる?」

「マジだし本気だ。俺は姉さんを愛している。橋本くん、俺たちは真剣なんだ」


 近親相姦という言葉が脳内を廻ります。ぐるぐるとミキサーのように掻き混ぜていくのです。


「そ、それを、僕に言って、どうしたいんだ? 僕に何か協力しろって言うのか?」


 自分でも何を言っているのか分かりませんでした。そのくらい混乱していたのです。


「違う。協力じゃない。相談したいんだ」


 Yは僕の顔を見つめます。僕はなぜか涙を流していました。

 そして衝撃の言葉を言いました。


「俺と、姉さんとの間に子供ができたんだ」


 僕の許容範囲を超えていました。倫理とか道徳とかが言葉になって出てくるのを抑えるのに必死になりました。

 Yは続けて言いました。


「姉さんは産みたいって言っているんだ。俺も産ませたいと思う。橋本くん、俺たちは間違っているのか?」


 短い生涯の中で最も困難な質問でした。

 僕は正直に言うべきか、嘘を吐くべきか悩みました。

 僕はYのことが好きでした。友情を覚えていました。そんなYの告白に僕は応えることができないと思いました。


 正直に言えばYは傷つくでしょう。それは避けたいと思いました。

 だけど、嘘も吐きたくなかったのです。

 迷いました。迷って迷った挙句、僕は正直に言うことにしました。


「Y。お前たちは間違ってるよ。子供は諦めたほうがいい」


 僕は人として正しいのでしょうか。

 いや友人としての対応は正しかったのでしょうか。

 僕は続けて言いました。


「二人が愛し合うのは仕方のないことだけど、越えてはいけない一線ぐらい分かるだろう。僕は間違っていると思う」


 そんなにしっかりと言えませんでした。涙ながらに訴えるように言いました。

 僕にできることは人の道を説くことでした。人の道から外れてしまった友人をどうにか正そうとしたのです。


 Yは黙って僕の言葉を聞いていました。

 表情はありませんでした。喜怒哀楽もありません。

 僕の言葉を最後まで受け止めて、そして言いました。


「ごめんね。橋本くん」


 その一言で、僕は確信しました。Yは実姉との愛を貫くつもりだと。

 ああ、また救えなかった。

 ああ、また助けられなかった。


 僕はそのまま去っていくYを見送ることしかできませんでした。

 僕はしばらく放心した後、ハッと気がついて、Yの後を追いました。

 危ないと感じました。そのまま一人にしたらどうなるか分かったものではありません。


 マンションを出て、辺りを見渡しても誰も居ませんでした。

 大声でYの名前を呼びました。

 だけど、答える声は聞こえませんでした。


 僕はすぐにYの家に向かいました。

 だけど、下宿先に行っても、Yは不在でした。

 警察に連絡するべき? いや、なんて言えばいいんだ?

 悩みましたが、僕のできる手段と方法を尽くしても、Yに会えることはできませんでした。

 Yの実姉についても同様でした。


 結局、Yとは会えずじまいでした。

 そして最悪の結果になったのです。


 Yは死にました。

 実姉を包丁で刺して、殺害した後、自分の喉を突いて自殺したのです。


 それを聞いたとき、僕が殺したと思いました。

 あのとき嘘でも肯定してあげれば、Yは今でも生きていたはずです。

 僕が殺したんだ。そう思っています。

 二人――子供を含めると三人、僕は殺してしまったのです。


 僕はどうしようもない悪人です。言葉でたくさんの人を傷つけました。そして五人の人間を殺してしまいました。

 多分、僕は天国に行けないのでしょう。アイさんと同じ天国には行けないのだと思いました。


 僕はもうどうしようもなくて、地元に帰ることにしました。大嫌いだった地元に帰ることにしたんです。

 もう一人で居ることも他人と関わることも嫌になったのです。

 僕の両親は酷い親ですけど、弱りきった僕の帰郷を許してくれました。


 そして半年間、僕は精神科の病院に通院しました。

 いや、今でも通院しています。

 病名は統合失調症でした。

 初めからおかしかったのか、それともたくさんの人の死に触れてしまったから、こうなってしまったのか、分かりません。


 僕は精神異常者です。生きていていい人間じゃないのです。

 僕のせいで死んだ五人にどう謝ればいいのか分かりません。

 それでも僕は生きなければいけないのでしょうか?

 自問自答しても答えは見つかりません。


 大学は辞めてしまいました。もう行きたくなかったのです。

 しかし、何も亡くなった僕ですけど、それでものうのうと生きています。

 心に病を抱えながら、生き続けているのです。


 それはアイさんの手紙のおかげでしょうか。

 アイさんが生きてと言ってくれたから、僕は生き恥を晒して生きています。

 人殺しのどうしようもない僕ですけど、生きていていいはずのない僕ですけど、それでも自殺ができなかったのです。


 今でも夢に見ます。

 アイさんが消えていく姿。

 Yと姉の恨めしそうな顔。

 ケイ先輩の最期の微笑み。


 眠れない日は今も続いています。

 鬱々とした気分も晴れません。

 だけど、それでも生きています。

 それは、僕がこうして小説を書いていることに起因しています。

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