第三章 一途な彼女は本当の理解者

第21話 家に入り浸る彼女

 


 仕事をして、家に帰ってご飯を食べ、そして寝る。

 これが俺にとっての当たり前だった日常で、長い時間働いていれば、家は中継地点としかならなかった。


 嫁が起きてるわけでもない。

 いない時だってある。


 ただ、どちらにも共通しているのは部屋が暗く、まるで一人暮らしをしているようだったということ……。

 悲しくて、辛くて、そして惨めだった。



 でも今は——。



「先に入っちゃうね。お邪魔しま〜すっ!」


「お、おい! 子供じゃないんだから……って、靴はちゃんと揃えるのね」


「へへっ〜」



 奏は得意気に笑い、そのまま洗面所に入って行った。


 ……ほんと、賑やかな日々になったよな。

 俺が帰ると電気がつく、ひとりでぼーっとすることもなく飽きない日常に変わってきている。


 洗面所からは微かに水を出す音と、上機嫌な彼女の鼻歌が聞こえてきて、自然と俺の顔が綻ぶのを感じた。



「有賀っち〜?」


「うーん?」


「ご飯は食べるよねぇ?? 何か食べたいものとかあるー??」


「そうだなぁ。お酒のおつまみ系で」


「おっけ〜! 有賀っちを太らせる揚げ物を作るねッ」


「それは言わない約束だ」


「幸せ太りってことで」


「はいはい」



 確かに腹が……いや、まだ大丈夫だけど。

 これは時間の問題か?


 今までは、食べない日もあったのに、楽しくなってからは毎日のように晩酌するからなぁ。

 そろそろ自重しないと、真面目にやばい気がする……。


 ジムにでも通うか?

 それとも、ゲームで体を動かすか……?

 どっちにしろ、動かないとまずいな。


 俺はため息をつき、奏を見た。

 奏は俺の心境を理解しているのか、お腹周りと顔を交互に見て「ぷぷっ」とからかうように笑う。



「なぁ奏、最近……毎日来てない?」


「甲斐甲斐しくお世話をしに来る女子大生っていいでしょ~?」


「確かに、悪くはないが……」


「じゃあいいじゃん! モーマンタイだよっ」



 俺は自分の家を見渡し、それから顎に手を当て唸る。


 確かに自分の家だ。

 奏での紹介ではあったけど、俺が借りた家——それは間違いない。


 だけど……。



「なんか、奏の私物が増えてるんだけど?」


「うわぁ~! びっくりだね~っ!?!? あ、もしかしてぇ~魔法とか?」


「アホか。まったく、惚けやがって……」


「えへへ~」


「笑って誤魔化そうとすんな」


「あ、バレたぁ〜?」



 にししっと笑い、台所に行き奏が持ってきたエプロンをつけて、くるりと回る。


『可愛いでしょ?』とアピールされた気がして、俺は「可愛い可愛い」と言いながら手をひらつかせ視線を逸らした。


 ……自分の魅力を分かってる美人は手が負えないな、ほんと。


 俺は高鳴り続ける鼓動を落ち着かせようと、目を閉じふぅと息を吐いた。



「有賀っち、見て見て〜。今日はマグカップだよっ!」


「ほお〜。可愛い感じだな……うん? 2つ??」


「なぁーに惚けてんの〜? ペアカップに決まってるじゃん」


「今度はペアカップね……」



 日用品だけではなく、勉強道具から着替えまで。

 日に日に物が増えている。


 ペアで揃えれる物は、奏が勝手に揃えてくる。

 部屋のレイアウトなんかは、俺の好みなんて理解していると言わんばかりに、落ち着いた雰囲気で整えられていた。


 なんだろう?

 俺の家なのに、家じゃない……これって。



「同棲カップルみたいだね」


「ぶーっ!?!?」



 俺は飲んでいたお茶を吹き出して、咳き込む。

 心配そうに背中を撫でてくれてはいるが、当の本人は自分が原因だという自覚がないようだ。



「同棲って……。奏は、なんか理由をつけて毎日のように来てるだけじゃないか。確かに……半同棲とは、言えなくはないが」


「ふふっ。有賀っちの所は、居心地いいからさぁ。つい入り浸っちゃうんだよねぇ。なんていうの? くっついたら離れられない。一度入ったら抜け出せない的な?」


「俺の家は“ゴ◯ブリホイホイ”かよ……」


「中毒性が高いんだよねー」


「それならまた引っ越した方がいいかもな」


「アハハッ! そしたらまた手伝うよ〜! そしてまた居つくからぁ~~」



 奏は俺の背中をバンバン叩き、大笑いをする。

 笑いすぎたせいで、目には涙が浮かんでいた。

 って、泣くほど面白いことか?


 まぁ……俺はこういうやりとり……嫌いじゃないけど。

 でもなぁ〜。



「あんまり入り浸り過ぎると怒られないかー? わだかまりは消えたかもしれないけど、厳しいんだろ……?」


「ん~、それはお陰様で大分緩和されたよ! ま、服装のことは言われるけどねぇ」


「奏の格好は緩いもんな」


「ははっ! お母さんと同じこと言うね〜。お母さんも、そんなゆる〜い格好じゃなくて着物を着て欲しいみたいだよ?」


「奏が着物ね……」



 うーん。

 全体的にスタイル良くて、すらっとしている……。

 考えただけで、かなり似合いそうだな。



「有賀っち〜、着てあげようか?」


「……機会があればな」


「じゃあ、花火大会は決定ねッ! これは確定事項だから〜」


「勝手に俺の予定が……」


「忙しいのー?」


「いや……暇だけど」


「じゃあオッケーだね」



 奏は手帳を取り出し、8月の前半あたりに丸を書いた。

 どうやら、そこら辺で花火大会があるようだ。


 ……よくそんな先の予定まで把握してるよ。

 俺は苦笑し、頭の中で奏の着物姿を想像しながら今の奏を眺める。



「奏はもう少し、慎みってやつがあればなぁ〜」


「別に緩くてもよくなーい? 私は気にしないし」


「俺は気にするんだよ」


「え〜。だって、もう20歳だし、何しても合法っていいよねっ。高校生の時と違ってお手つきもアリ!」


「……女性が言うセリフか、それ?」


「今は絶食系男子とかも多いからねぇ。時代は女の子が這いよる時代なんだよッ!」


「どちらかといと、突進に近いけどな」



 ——猪突猛進。

 それは、彼女の受験が終わってから変わらないことだ。


 離婚するまでは、全く靡くことはなかったけど、独り身となった今では、彼女が距離を詰めてくる度に気が気ではない。

 香水とは違う甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺を劣情へと駆り立ててくる……。



「でもー、有賀っちが全力で拒否するなら〜。私も潔く……」


「……身を引くのか?」



 身を引いてしまう。

 そう考えると、嫁が消えたあの喪失感が蘇ってくるようだ。


 ——未練はない。

 だけど、『信じたかったモノが消える悲しみ』は何にでも言い難い爪痕を俺に刻んでいる。


 情け無いが、ハッキリ言ってトラウマだ。




「ううん。徹底抗戦あるのみだけど? 引くわけないじゃん、このこの〜」




 俺の頰を突き、心のモヤを消し去るような屈託のない笑顔で笑ってみせた。

 それに答えるように俺も微笑み返す。



 ……救われてばかりだなぁ。



 ——日に日に増えてゆく奏の私物やペアのグッズ。

 それらを見渡して、俺は苦笑した。


 殺風景だった家の変化や日常の楽しみ。

 それを考えるだけで、自然と笑みが溢れたのだった。


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