第20話 青春のリスタート

 

 街灯が薄暗い光を放ち、人の気配がまるでない。

 そんな場所に俺は連れてこられている。


 ……誰も人がいない。

 まぁ、やんちゃな少年とかはいそうだけど。


 心配はあったが、辺りを見渡してもそんな人はいない。

 けど、誰もいないというのは、なんとなく不気味さがあり、少ない数の灯りが怖さの演出に拍車をかけているように見えた。

 風が吹くと木が揺れ、ざわざわという音も重なり余計にって感じだ。


 その前に、奏が行きたかったところって……。



「……まさかの公園だったのか」




 俺は苦笑し肩を竦めた。

 そんな俺とは対照的に奏は、すごく楽しそうに見える。

 コンビニで買った紙パックの飲み物をちゅーっと飲みながら、鼻歌まじりに横を歩いている。



「有賀っちは、公園が嫌だった??」


「嫌っていうか、違和感……かな。スーツ姿の男性とギャルのような女性が一緒にって——」


「なんかやらしいよね〜〜」


「自分で言うなよ……ってか、自覚ありか」


「ははっ、ウケるね〜っ」



 何がそんなに面白いのだろう?

 手をパチパチと叩き、笑っている。


 人がいないせいで、余計にその笑い声が響いていた。



「なんか閑散としてるなぁー。まぁ当たり前なんだけど」


「昼間はちっちゃい子達がいっぱい走り回ってるもんね〜。この時間だと流石にいないから、独占って感じ」


「確かに今なら遊具遊び放題だな」


「やる?」


「……気が向いたら。大の大人が遊んだら普通に怖く感じる」


「ふふ、そだねっ」




 俺のぶっきら棒な態度に、彼女はまた可笑しそうに笑う。

 内心を見透かされたような態度に、俺は気恥ずかしさを感じていた。


 童心に帰ってブランコをやりたい気持ちはあるが、誰かに見られたらと思うと気が引けてしまう。


 ……やりたいのは事実なんだけど。

 なんというか、子供の頃に遊んでいた玩具を見つけて、なんとなく思い出に浸りたくなる的なね。



「そうだ奏。なんで公園に来たんだ?」


「なんか夜の公園って憧れない? 普段は人の目があってできないこともできるし、20歳過ぎたから補導はされない! そう考えると、開放感からテンション上がってこないかなっ?」


「そうか? 夜の公園は普通に怖くない……か?」


「え〜っ!? そんなビビり過ぎだって~」


「大人になったらビビるぐらいがいいんだよ。慎重に慎重を重ねて……失敗は出来ないしな」


「そっか。なるほどね……」



 俺の言葉にどこか悲しげな表情を見せると、走ってブランコのところに行ってしまう。


 それからくるっとこちらを振り向いてから「有賀っち、こっちだよ〜っ!」と手招きして、俺を呼んできた。


 ゆっくりと向かい、ブランコ前に来ると手を引かれそのまま座らせてしまう。

 俺の肩を背後からがっしり押さえて、そして夜空を指さした。



「有賀っち、そろそろだよ」


「……うん?」



 指がさされた先に視線を移すと、夜の雲から光が溢れ少しずつ満月が見え始める。目が慣れてきたから、よりハッキリとその姿が目に映り込んできた。



「綺麗な満月だなぁ」


「でしょ。これ、私のお気に入り」



『未成年の時から来ていたな!』なんて、ツッコミが頭を過ぎる。

 けど、それを口に出すなんて野暮なことは出来なかった。


 今は、この夜空をぼーっと眺めていたい。

 そんな気分だったから。


 俺がそう思っていると、囁くような優しい声が耳に届く。



「社会人になって、仕事を始めてこうやって……こんな夜にのんびりと月を眺めたことなんてないんじゃない?」


「そうだなぁ……。高校の時以来かもしれない」


「へぇ、高校の時はあったんだ」


「大したことじゃないんだけど、俺は田舎の高校だったから夜の星空が綺麗だったんだよ。校則違反だったけど、屋上に行ってみんなで見たりとか……。だから……懐かしいな、ほんと」



 ——青春っていつ?

 そう聞かれたら俺は、その高校生の時の唯一になる思い出を語るだろう。

 勉強ばかりをしていて、そんな中……たった一回だけサボったあの日の夜のことを。


 忘れていた、あの時の感動と何にも言い難い高揚感……。

 その時の気持ちが蘇ってくるようだが、同時に胸を締め付けてくるような喪失感が俺を包みこむ。


 ……センチメンタルになっても仕方ないよ。


 だって、過去になんて戻れない。

 味わいたい昔は、もう手に入らない。


 そういう残酷な事実は頭に刻み込む必要があって、後悔や未練を捨て仕事に没入しなくてはならないのだから……。




「——大人だからって青春できないわけじゃないんだよ」




 ふと、頭に温かい感覚がして、暗い気持ちに一筋の光明が差し込んだ気がした。

 でも俺は首を振り、即座に否定する。



「無理言うなよ。奏に言われて考えては見たけど、青春なんてわからなかった。唯一、理解したのは青春なんて青くさいこと、学生じゃないと言えないってことだけだよ!


「違う。そうじゃないよ。青春に年齢はない……だって青春は、自分がどれだけ感情のままに楽しめるか……義務感や思想、忖度のない状態で過ごせることだと思うよ」


「ない状態か……」


「勘違いしているかもだけど、遊ぶことだけが青春じゃない。今、この場も捉えようによっては青春だよ。夜の公園で、ブランコに腰を下ろして月を眺めて語り合う……これも立派な青春だって。“こんなこと?”って思う人もいるかもしれないけど、私は好きかな」



 くすっと笑う声が聞こえ、吐息が耳にかかる。

 そして、俺の頭を撫でてきた。



「だからね、有賀っち。青春は心なんだよ」



 その言葉が頭に響き、心臓がどくんと高鳴り始める。

 奏はそのまま優しい口調で、語りかけるようにして話し続けた。



「悩むのも青春。突き進むのも青春。仕事だって青春と感じるかもしれない。とにかく青春は、多感な感性に突き刺さってくるんだよ……」


「…………」


「だからさ。有賀っちがしたいことをいーっぱいしようよ。今まで我慢してきたこと、やらなかったこと……そんなことをやってこ」


「我慢してきたこと……?」


「有賀っち。私の授業の時、よく言ってたよね? 『根を詰めすぎるな。たまに休息は大事だし、休まないと馬鹿になる。スイッチのオンオフを考えとけ』って……」


「言ったなぁ……」


「他にも『遊ぶ時は遊んで、青春を謳歌しろ』とも言ってたね」


「ハハハ……。よく覚えてるね」


「忘れないよ。私に楽しそうに、助言をするように語るのに……。ちっとも心では笑ってるように感じなかったから。だって……これって有賀っちの後悔そのものだよね?」


「…………」



 ストレートに投げかけられた言葉が俺の胸を抉る。

 あまりにも的を射たその言葉に、俺は自嘲気味な笑いとため息しか出てこなかった。


 ……強くなったなぁ、奏は。

 昔のことを思い出すと懐かしい気持ちと共に、遥か彼方にまで成長した彼女に劣等感を感じずにはいられない。


 俺は天を仰ぎ、ふぅと息を吐いた。



「……はぁ。ほんと、奏には勝てないな。普段はお気楽キャラなのに、こういう時は鋭いんだから、猫かぶってるよ」


「それは有賀っちのおかげだよ」


「猫かぶりも俺のせいか?」


「ふふっ。そうかもね。だって、有賀っちは昔から抱え込んで自分から言わないじゃん」



 奏の言う通りだった。

『自分が我慢すればいい』、そう思って言わないでいた。


 でも、生徒にはそうなって欲しくなかった。

 だから俺が今まで生徒へ伝えてきた言葉は経験談からくるもの……。

 自分が後悔した、失敗したことを誰かの糧に……同じ轍を踏ませないようにって。



「また新しく進むのが怖いなら、今は立ち止まってもいい。

 どうしても動けなくて強張ったりしても、その体を私が引いてあげるから……恐れずに見ていこうよ。色々な世界を、知らなかったことを、裏切らない人もいるんだってことを……」


「…………」


「だから言ってみて、溜め込まずに……思ってることを。口に出してみよう」



 俺は唾を飲み込んだ。

 それから口を開くと、今まで溜め込んでいたのが次々と溢れ落ちていた。



「……大学生の頃、サークルに入ってみんなでワイワイとやりたかったな」


「うん」


「同窓会だってさ……。みんな行ってる中、俺は行けなかった。そしたら、だんだんと行きづらくなるし、微かにあった繋がりもプツリと切れちゃったよ。行きたかったなぁ……」


「そうなんだね」


「普通のデートもしたかった。背伸びした金ばかり使うんじゃなくて、身の丈にあった普通の……水族館で魚を眺めたり、イルカのショーを観たり……動物園もね」



 奏は相槌を打ち、俺の言葉を聞いてくれる。

 溢れ出す感情から涙が流れないように、俺は必死で平静を装っていた。


 教え子にこんな姿を見られたくない、そう思ったから。

 でも——



「そして、何より自分の時間が欲しかったな」



 そう吐露した時、俺の頰を一筋の涙が流れた。

 けどそれは首筋まで届くことはなく、奏が指でそっと拭いてくれる。


 そして、後ろからぎゅっと抱きしめてきた。



「今日が有賀っちの変わる日だよ。やりたいこと挑んで、進んで、青春を謳歌してゆくのを開始する……青春のリスタートだね」


「リスタートか……。なぁ……なんで奏は、ここまでしてくれるんだ?」


「それは秘密」



 相変わらずの秘密主義に、思わず苦笑する。

 抱きしめてくる彼女は最後に耳元で。



「でもひとつ言うとしたら——私をあの日、見つけくれたからだよ」



 そんなことを言ってきた。


 初夏の前の青々し始めた木々が揺れている。

 そのまだ未熟な葉が、自分のように思えたのだった。

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