第6話
「で、どうして雨の中、鍛錬していたの?」
そんな馬鹿なことをしなければ、倒れずに、病室のベッドの上で過ごすこともなく、晴れた空の下いつもの場所で鍛錬に打ち込めたのに。雨の中で無理をするよりよっぽど効率的だ。
本当に馬鹿だと言ってやりたかったが、ついぞ舌の上で転がすに終わった。
ロラゲが短く答える。
「対抗戦がもうすぐだろ」
「あぁ」
対抗戦。
毎年、この時期に一年と二年の総力戦を行う──予定の行事だ。今年が第一回目なので、恒例行事とはなっていないが、教師よりも生徒たちのあいだで恒例にしようとする雰囲気が高まっている。
「このままだと足を引っ張るだけだから」
「それで、今のうちに強くなろうと」
「そんなところ」
思いの外、ロラゲは会話を求めてきた。
病人は寝ていろと言うべきだとわかっていつつも、ティロル自身も彼について知りたい欲求が勝っていた。
「僕が弱いのは知ってるだろ」
「知らないわ。弱そうなのは知ってるけど」
「一緒だよ。僕は弱いんだ。同級生の中で、一番」
「ちゃんと剣を構えればいいのに」
初めての会話でも指摘したことだ。
彼の鍛錬は、仮想の敵を想定して、イメージの上で型を組むようにして行っている。
このことについて、どうこう言える技術や知識をティロルは持ち合わせていない。
自分は、衛生科で。ロラゲは機動科。
同級生の中で一番弱いと言ったが、それも間違いだ。装備開発、製造を学び行う技術科や傷病者の看護を主に行う衛生科を含めれば、彼は戦える方のはずだ。
「前も言ったけど、僕の剣術は家に伝わるものなんだ」
「あなたの家は商家でしょ?」
「教えたっけ?」
「貴族名鑑で、ロラゲ家が出てきたのを見たから。地方領主と長く親交がある貿易商の家だって」
「あんなの、お金で出してくれるんだよ。仲がいいんじゃなくて、金付き合いがいい
のさ」
喉にこもった熱を含んでいるはずの声は、芯が冷えている。
「少し意外だわ。アナタ、てっきりロラゲ家が好きなものだと」そうでなかったら、家に伝わる剣術に固執したりはしないでしょ。
ティロルの言葉に、ロラゲは複雑な表情を浮かべる。
何種類もの絵具を水に溶かして、できるだけ汚くならないように努めているような。汚したくないのは──。
「好きだよ」
ポツリ、と漏れた。
「兄さんも、弟や妹も。お父様やお母様も。嫌いじゃない。だけど」
だけど。
「ロラゲ家に拘り過ぎている自分が、時々嫌いなんだ」
「拘る? それは剣術に?」
「僕が、ロラゲ家の人間だって証明するにはアレしかないから」
「じゃあ、捨てればいいじゃない」
☆
ロラゲは、ティロルの言葉を驚くほど素直に受け止めた。
「そうだね」
入学してから、何度も頭に過った選択肢だ。
「伝統なんて忘れて、素直に先生たちが教えてくれる剣術を身に着ければ、少なくと
も笑われないぐらいには強くなれるかもしれない」
「わかってるなら──」
「わかってても、やっぱり大事にしたいんだ」
家督は長男が継ぐ。その下の男たちは、家督を手伝うか軍人となるかでしかロラゲ家に貢献する方法がない。
「騎士になって、偉くなれば兄さんたちの役に立てる」
「なおさら形振り構っていられないじゃない」
「僕たち家族しか知らない剣術で強くなれば、もっと名を広めることが出来るだろう?」
「アナタは、しがみ付いていたいのね」
「しがみ付く?」
「そう。ロラゲ家の一員だって、自分で疑いたくないんでしょ?」
「僕はロラゲ家の人間だ」
「でもあなたは、家督を継いでいなければ、家に伝わる剣術も役に立てていない」
「そうだけど!」
「そんなアナタはいったい何者だと?」
「僕は、ギヨーム・ロラゲだ!」
被った布団を払いのけ、身体を起こす。
熱くなった血は流れていた鉛を溶かして、頭に上る。視界が白む。彼女の顔だけがやけにハッキリだ。
沸騰しかける体に生まれる熱は言葉に姿を変えて、口から排される。
「お父様とお母様から生まれて、兄さんたちがいて、ロラゲの姓を継いでいる! 僕は正真正銘、ロラゲ家の人間だ!」
「また話を戻すつもり? それとも考えを改める気がないだけ?」
ティロルは変わらぬ表情。冷めた大地と流れ出す溶岩。冷却と侵攻がせめぎ合って、不安定な地帯が出来上がろうとしている。
冷静なティロルを目の当たりにしても、ロラゲの思考は過熱をやめない。議論──
ティロルにとっては口喧嘩──の相手を得て、相手を言い負かす手立てを求めている。
考えを改める?
どこに、改める必要がある。
この士官学校に入学が決まった時からの、これは覚悟だ。
一度定めた道を己の軟弱さを理由に踏み外すは騎士道に反し、家を裏切るは銘家の恥。ならば、貫き通してこそ己の生きる道であり、存在理由だ。
「僕が、僕であるために必要なことなんだ」
ギヨーム・ロラゲ。
家督を継ぐ資格を持たず。剣術の才に恵まれず。
「有象無象で終わって、それでどうしてロラゲ家の人間だと認めてもらえる」
ロラゲが求めているのは、周囲からの評価であった。
究極のところ、彼は強さを求めてなどいない。
唯一性。独自性。それらから得られる、他者からの評価。
ギヨーム・ロラゲ。
彼も、華麗なる一族の一人なのだ。
有史以前から培われてきた、人々の意識の土層に積み重なってきた銘家という人種
への羨望、優位。求めては失われ。維持し続けるために、紫色の欲望が叶えられ続け
てきた。
たった数行のインク文字を刻むために、膨大な金がつぎ込まれるような世界。
しかし、その数行が、さらに莫大な金を生み金脈となる。
評価と認知が力を生む世界。
それが、今の世なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます