第2話

 寮生活にも慣れ、委員会の活動にも慣れてきた。


「はい、手続き完了。次来るのは三日後ですかね?」


「どうだろうか。少々仕事が溜まってきている。読む時間が確保できるか怪しい」


 そういって、貸し出した本を抱えて図書室を出ていく教師の後姿を、衛生科一年生、フレダ・ティロルが見送る。


 出ていった彼はああ言っていたが、どうせ三日後には次巻を借りに来るのだ。一月、ほぼ毎日、貸出カウンターに座っていれば常連の動向もわかってくるというもの。


 以前も、予定が詰まっていると嘆きながらも、その三日後にはやってきた。目の下には真っ黒な隈を携えて。


 身体的無理を押し通しても、ページをめくる手を止められなかったのだろう。本や物語が好きな人間とはそんなものだ。


「私も似たようなものですしね」


 手の届くところに置いていた書籍を開く。


 それは思想書。最近では哲学と呼ばれ始めた、不確実な事実を不安定な理論で証明してみせようとする類のジャンルだ。実家から持ってきたもので、図書室の蔵書ではない。


 ──文字に起こして、残す人がいれば、縋るために読む人もいるのでしょうね。


 数々の思想を文字媒体から受け取って得た感想がこれだ。


 理にかなっていて、納得をしかけるものもあれば、くだらないと一笑に付すものもある。


 全体の傾向種別として、二つに分けることが出来る。


 一つはカラリ公国とアムマイン帝国の国教、アリア教の教義に基づいているタイプ。これは、教典の解釈を広げるないし深めているに近い。


 もう一つは、教義から離れようとしているタイプ。時代が時代なら、焚書の対象に

なっていたに違いない。そういった時代ではないからこそ、思想書の所持が許されているのだろう。


前者のタイプは理解できる。物心がついてから。あるいはそれ以前から染み付いているからか。文章を受け取った脳みそが簡単に理解へと整理してくれる。


 後者は、少々理解に苦しむ。読み取っても、薄膜の向こうで靄がかかり、異国の言語を翻訳しているのと同じような気分になる。


 時間をかけて、作者の思想を読み解くのは嫌いじゃない。黙っていられない理論に脳内で反論を繰り広げることも一つの楽しみだ。


 我ながら趣の悪い趣味だ。


 せっかく学費なしで最高峰とも呼べる学校に入学したのだ。もう少し明るい楽しみを持とう。そんな思いで、拾った芋虫を飼っている。


 今は気持ちの悪いクリープ。でもいつかは綺麗な蝶になる。


「さて、彼の翅は開くのかしら」


 カウンターの奥に備え付けられた窓。


 大きな窓だ。


 できる限りの陽光を取り込み、本棚で遮られ暗くなりがちな図書内の光源を確保する役割もあるのだろう。


 その向こうに、彼がいる。


 ここ連日、練習用の剣を振るっている彼だ。


 窓を開けるとまだ少し冷たい空気が風となって舞い込む。


「今日も精が出ますね」


 声をかけたのは初めてだ。


 広くもなく。ベンチもない。あるのは小さな花壇だけで人通りも少ない。小規模な

中庭。


 そこに彼が毎日来ている。


「あ、ごめん、うるさかったかな?」


 胸元のピンは緑色。同学年だ。


 初対面なので敬う言葉遣いをしてみたが、ここからは畏まる必要もない。


「大丈夫。ずっと締め切っているから」


 気遣う必要もない。彼がここで自主練習していることを知っているのも、大方自分ぐらいだろう。最初に彼の存在に気づいたのも、音ではなくたまたま視界に入ったからに過ぎない。


「そのまま続けてもらって大丈夫よ」


「そっか」


 それだけ言って、彼はそのまま剣を振り始めた。


 集中したいのだろう。


 ティロルはその後を続けることなく窓を閉め、また本を開く。



 次の日も、彼は来ていた。



「今日も精が出るね」


「うん、みんなの足を引っ張りたくないから」

 手を止めることなく、彼は応えてくれた。それだけ、身体に染み付いた動作を行っている。定まった型があるのか。


 観察する。


 空を切る音が元気のよい羽虫のようだと思ったが、剣技を納めようとしている者に対しては不適切な表現かもしれない。


 だが、たまに武闘派の実習や訓練を覗いてきたなかで、彼のような音を出す者がいなかったことも確かだ。 


 他者はもっと鋭い、もしくは音すら鳴らないとそういった領域だ。技術によって成しえているのだろうが、ティロルの素人目がわかるのはそこまで。


 だが、彼女の素人目でわかることもある。


「独特な動きなのね」


「そうかも。実家に伝わる剣術なんだ」


 三手ごとに、剣を鞘に納めては、何かのタイミングを待って鞘から抜くのを繰り返している。


 彼の自主練習が、仮想敵を想定しているのならば、


「誰にも通用しないんじゃない?」


 ここで初めて、彼の動きが止まる。といっても、鞘に納めたタイミングだ。一息付けたかっただけかもしれない。


 ──だとは思えないか。さすがに言い過ぎだった?


 でも、口を出た感想は言葉となった。


 花壇の傍に置いていた水筒でのどを潤し、タオルを顔に当てるその間に、彼の表情が乾く泥のように平らなものになっていった。


「どうして?」


「遅すぎるもの。戦いが始まる前には剣を構えていなくちゃいけないんでしょ? なのに、あなたのそれじゃ、構える前には斬られちゃいそう」


「……うん、訓練でもそんな感じ。よくわかるね。君も機動科? ごめん、名前覚えていなくて」


 機動科とは、主に白兵戦を学ぶ科だ。他の用兵科や魔砲科に比べ、対人の戦闘訓練が多くカリキュラムに組み込まれている。 


 彼は予想通り機動科。


 対し、ティロルは、


「私は衛生科。機動科の二年は実物で訓練だから、衛生科の生徒が授業に受け周りで常駐」


 衛生科は主に、戦地での医療行為を身に着ける学科だ。怪我の治療だけではなく、体調不良に対しての対処療法、病や戦地での疫病予防などを学ぶ。


「あぁ、やっぱり怪我とか多いのか」


「擦り傷、切り傷は基本ね」


 簡単な傷ならば、コードを付与されたコード符でその場の完治が可能。その他、骨折など専門的な知識を要するものは指導者の元にて処置。

校内の訓練場は、武器によってつけられた傷の治療を学ぶには、安全で適した場所だともいえる。


 なので、機動科の実技訓練中は衛生科の生徒数名と、教師が付いていることになっている。ティロルも入学から何度か受け持っており、その際はただ座っているだけでは暇なので、やはり機動科の彼らを眺めていた。


「先輩たちと比べちゃなんだけど、あなた、遅すぎる。素人考えだけど、剣術の基礎を変えることをお勧めするわ」


「先生にも言われたよ」


「先生?」


「うん、カエリニア先生」


「あぁ、熱烈な信徒の」

 アティオ・カエリニア。受け持ちは機動科。スプリウス・ウェケッリヌスに次ぐ、機動科副学科主任だったはずだ。


 顔を見たのは入学式での挨拶が最後だったが、その言内にアリア教の教義が散りばめられていたことを覚えている。女性らしい女性で、機動科にて実戦を教えているのは未だに意外だが、エルゼール士官学校の運営元を考えれば、ある意味で一番ふさわしい教師だとも言える。


「このままじゃロラゲ君の運命は拓かれないわ、て」


 ここで、彼が初めてロラゲという名だと知る。


 ティロルの記憶の中で、カラリ公国の貴族名鑑にロラゲの姓が出てきたことを思い出す。確か、とある貴族と深く親交がある商家だったはずだ。


「アリア教は運命を重んじるものね」


 現世で培った徳に対し、アリア様が平等に幸運の運命を下賜される。


 徳とは、善行だけではない。最良の選択。最善の努力。これらが積み重ねられて、徳となる。


「努力だけでは、アリア様は認めてくださらないって言われちゃったよ」

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