第9話
バッカスを送り自宅に帰り眠りにつくはずだったが緊張から解き放たれたからかアルコールが残っていたからか足元が心許ない。
帰らないと。この季節に外で眠るのだけはまずい。死ぬ。もう死んでるけどこの身体の女の子は死なせちゃいけない。その一心で足を運んだ。
そうして気づけばミラの家に来ていた。
時間を確認すれば交通手段は終わりを迎えている。
これが身体の記憶ってやつなのかしら。
幸い彼女の家の鍵はポケットに入っていた。
ため息を吐いて階段をのぼっていくがそれが酷くしんどく感じる。
もたれた壁が冷たくて気持ちいい。
瞼を閉じれば身体がふわりと宙に浮いたような気がした。まずいとは思ったけれど身体が動かなかった。痛みはなかった。たぶん、階段の途中で眠ったのかもしれない。
酷く嫌な夢を見た。
手に握られた銃を親友に撃ち込んでいくものだ。
それをジルに見られる。
酷く嫌な夢だった。
早く覚めてほしいのに、彼の瞳に映るのは金髪に緑の目をしていて動けなくなった。
名前を呼ばれたような気がした。
「あんた、死にたいの?」
安堵したような呆れたようなため息がわりと近くからきこえてその声を追っていくと金髪の髪の無造作さな前髪の間からみえる同じ色の目と視線があった。その瞳には黒髪の少女が写っていた。
「ジル?」
「おい、大丈夫か」
辺りを見回すとそこは階段の踊り場だった。
「ど、うして、ここに?」
「それは俺の台詞だ。お前こんなところでなんで寝てるんだ」
砕けた口調に胸がぎゅっと痛んで口を引きむすんでこみあがる感情を押さえ込む。
「酔ってたみたい。ごめん、ありがとう」鞄を取って階段を駆け上がる。
家の前に着き鍵を差し込もうとするとドアノブに鍵が当たり下に落ちた。
もうなにやってるのよ。
拾い上げて鍵を解いて扉を開けて中に入ると後ろから声がかかった。
「オリビアお前大丈夫なのか?」
どんな顔をしていいかわからず、顔があげられないでいると、差し込まれた足が扉が閉まるのを邪魔した。
「なに泣いてんの」
「泣いてないしなんでもない」
「なんでもなくないから泣いてるんじゃないの?」
「今日、親友の命日だったから、それでちょっと悲しくなっただけ」
「ふぅん」
だからひとりにさせと口にした直後に扉が外側へと引っ張られ呆気なく扉が開かれた。
靴を脱ぎ当たり前に廊下を進む背中を見送りそうになってから声をかける。
「なに入ってきてるのよあなたの家は隣で」「こういう時は人がいた方がいいだろ。俺を利用したらいい」
本当はこれ以上関わらない方がいい。深く知れば知るほどきつくなるのは目に見えていた。彼は私がオリビアだとは知らないのだから。
「そのかわりお前が淹れた紅茶が飲みたい」
それでもそばにいてほしいと願ってしまう。
「それでいいの?」
「ああ。俺はお前の紅茶がいい」
喉がきゅっと締まる苦しさをそらすように軽く返事をすることで彼を招き入れることしか私にはできなかった。
「座ってて」と言ってからキッチンに入ると近くに影が落ちた。
カウンターの向こうにはこちらをみているジルがいた。
「いや、どうやって淹れてるのか気になって」
特別珍しいものでもないと思うけどとは思いつつも少し嬉しく思う自分もいたりする。
態度には出さず冷やしていた紅茶を温めてカップに注いでいく。
「はいどうぞ」
「え、それだけ?」
「それだけよ」
「中身はどう作ったんだ?」
「秘密」
「じゃあまた飲みに来ても?」
「いいわよ」
ほころんで口にしてから失態に気づいて視線をあげるとジルは嬉しそうに口角をあげた。
「いまのなし」
「駄目だ」
「最初からそれが目的だったの?」
「さあ? なに? 変なことでも考えた?」と軽口を叩いたので無視を決め込んだ。
「なあ」
警戒しながらみると彼の目に灯った光が揺れているような気がして喉が鳴った。
「触れても?」
「だ、だめ」
「なんで? 部屋に招き入れたってことはこういうことじゃないのか」
カウンターの向かいでゆらりと立ち上がった彼は上背が高く反射的に足を後ろへと運ぶ。彼はこちらへとやってきたがその異様さに後ろへと逃げるが背中にあたった感触に逃げ場がないことを知る。気づけば壁に追い詰められていた。背丈の違いから彼に覆い被される形になる。なにも怖いことなどないはずなのに、彼の視線が怖い。身を縮こまらせて彼の目を見る。
「ジ、ジル、あの」
「なあ」
喉が張り付いて呼吸がしにくい。
「オリビア、だっけ?」
緩やかに届く声。
「俺に近づいた理由は?」
近づいてるのはあなたでしょ。そう口にしたいのに声が出ない。
伸びた手が頬に触れる。体温があがった気がした。
顔が上へと向けられる。
逃げ場は完全に塞がれた。
彼の吐息が口にかかりその先を求めて喉がひくついた。
「なあ」
触れない唇がもどかしく感じる。
「な、に」
「ミラだろ、お前は」
そんな彼の口がもたらしたその言葉にまるで冷水でも浴びせられたように身体が固まった。
唾が無意識に喉を通る。
支えをなくした身体が崩れ落ちた。
彼が髪をかきあげた仕草が恐怖に変わる。
「ミラアナベル。確か俺にそう名乗ったよな? 覚えているか?」
屈んだ男には先程までのふたりの間にあった熱さは微塵も無く冷たく消えていた。
私が知るはずがない。ミラとジルには面識かあったの?じゃあ彼がそれを隠していた意図はなに?頭の中を探すが答えが見つからない。
「もし、ひとつでも嘘をつけば、俺が殺す」視界には銃が映った。それはジルが握っていた。
「気を引くためにお前が俺の相棒の真似をしてるとも思ったが、どうやらそうではないらしい。かと言ってジョーンズの手先でもない。となればお前は誰だ」
彼がなにを言っているのかわからなかった。
「俺は、女だから殺さないことはない。それもお前は知っているんだろう? なあ」
*
彼女は俺が知ってるオリビアじゃない。じゃないはずなのに彼女を感じる。そこかしこに。この紅茶もそうだ。彼女がいれた味がする。ありえない。だが、オリビアがオリビアであってくれればと思う。馬鹿な話だ。彼女は俺が殺したのに。
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